
安保で重要な3視点
ロシアのウクライナ侵略は軍の「力」を改めて見せつけている。プーチン大統領はウクライナ支配の野望を「軍」をもって達成しようとし、一方のウクライナは国民の安全を守るため「軍」が奮戦している。こうした軍事に日本はどう向き合うのか、国家のありようが問われている。
それで『軍事と政治 日本の選択』(文春文庫、2019年発行)を取り上げたい。同書は朝日の元主筆、船橋洋一氏が設立した「アジア・パシフィック・イニシアティブ」(API)で催された安全保障を考える研究会(座長=細谷雄一・慶応大学教授、五百旗頭薫・東大教授ら)のいわば報告書だ。
その中で船橋氏は「(戦後日本は)自らの意思と能力で国を守り、国民を守る体制にはなっていない。…平時の時に有事を考え、そのリスクに備え、いざというときの当事者たちの権限と責任、手続きと優先順位を国全体、社会全体で決めておくことが、これまで以上に求められる」とし、安全保障の統治には、①軍が国民を守る「軍による安全」②軍の暴走を防ぐ「軍からの安全」③政治の暴走を防ぐ「政治からの安全」―の三つの視点が重要だとしている。
これを咀嚼すると、防衛力はむろん①。ミャンマーの軍事政権は②、プーチン氏が独断で始めたウクライナ軍事侵略は③のいずれも機能不全。中国人民解放軍が共産党の軍隊なのは、軍は「政治の暴走」の道具で、「政権は銃口から生まれた」(毛沢東)からだ。
つまり、「軍による安全」「軍からの安全」「政治からの安全」は、法治の民主主義国家の話で、独裁国家とは無縁だ。それだけに細谷氏の次の指摘は重い。「究極的には生命を失う覚悟を含めた自己犠牲を強いることになる軍人に対して、国民や政府がその困難を理解して、共感し、尊敬の念を抱き、さらには補償措置も用意して初めて、軍人もまたそのような統制に服することとなる。それは相互的な関係であり、三角関係の三つの辺のすべてにおいて信頼関係が必要となる」
三つの辺とは政府、軍、国民のことだ。ところが、戦後の9条体制は「軍からの安全」ばかりを唱え、軍の存在そのものを否定してきた。船橋氏はその誤りをいみじくも“告白”しているのだが、氏の主筆時代には論議すら許さなかった。残念なことに朝日の姿勢は今も変わらない。
今さらの「専守防衛」
朝日19日付オピニオン面は「なし崩しの『専守防衛』」と題して阪田雅裕・元内閣法制局長官のインタビューを載せている。聞き手の藤田直央・編集委員は「2015年に安全保障法制ができて以来、武力の行使を制約する憲法上の『たが』は外れたままになっている」と書く。
この期に及んでも「専守防衛」なのだ。思わず「法匪(ほうひ)」(法律の文理解釈に固執し、国民を顧みない者)という言葉が浮かんだ。国際環境への緊張感なく「たが」が外れているのは朝日の方だ。
毎日19日オピニオン面では加藤陽子・東大教授(日本学術会議の新会員任命を拒否された)が戦前の日本を持ち出し「武力をたのむ国は自滅する」とウクライナ情勢を論じている。これも「軍による安全」の視点が皆目ない。
こんなリベラル紙の「御用学者」よりも読売の「視点ウクライナ危機」の方が現実を的確に捉えている。18日付で高見沢将林・元国家安全保障局次長は「(ドイツなどの核シェアリングの)本質的な目的は『核兵器の共有』ではなく、『同盟国の一体性を示し、政治的負担と運用、作戦上のリスクを共有』し、『危機のエスカレーションを管理』し、『平和を保ち、強制を防ぎ、侵略を抑止する』ことにある。これは日本にも通じる。大事なことは、その目的のために日本ができる方法を国民全体で考えることだろう」と指摘している。
「9条の呪縛」を解け
船橋氏は朝毎の「9条の呪縛(じゅばく)」を解くことにこそイニシアチブを発揮すべきだ。
(増 記代司)