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戦争で起きる感情論廃し死者への葬送儀礼の重要性説く先﨑氏

ウクライナの首都キエフの様子=3月18日(UPI)
ウクライナの首都キエフの様子=3月18日(UPI)

『逃走』勧める浅田氏
テレビの時事番組は今、ウクライナ情勢に関する番組一色だ。戦後77年の間、戦死者を一人も出さずにきた日本だが、力による現状変更という暴挙に加え、プーチン大統領が核使用も辞さない姿勢をちらつかせて脅す現実を目の当たりにしたのでは、いかに地理的に遠くても他人事(ひとごと)ではない。日本周辺には、ロシアの暴挙をまねしかねない核保有国が複数ある。

ロシアによるウクライナ侵略を自分事として考える上で、興味深い番組があった。BSフジの時事番組「プライムニュース」(14日放送)。京都芸術大学教授(批評家)・浅田彰氏は、もしウクライナに自分の学生がいたなら「プーチンみたいなゲスに殺されることはない。逃げても隠れてもいいから、とにかく生き延びろと言う」と、著書に『逃走論』を持つ教師ならではのことを言った。

一方、同じく大学で教壇に立つ立場でも、日本大学危機管理学部教授(思想史家)・先﨑彰容氏はいったん退却か前進防衛かを判断するのは簡単ではない、ただ言えるのは「冷静になれ」ということだという。

日本人の感情論に釘(くぎ)を刺す点では両氏は一緒だったが、先﨑氏は保守派らしくこんなことを指摘した。「あそこで起きていることを日本に置き換えた時、自衛隊をはじめ、何人かの方が亡くなる可能性がある。戦争に対する死者は、何が最終的に担保するかというと、一国の総理や大統領が葬送の儀礼をやることでしか浮かばれない」
国のために死ぬことは崇高に見えるが、気高くなくてもいいから、とにかく生きろという浅田氏。死者が出ることを前提としながら、指導者は国に対する忠誠心と犠牲者に何で報いるのかを座禅でも組んで「沈思黙考」せよという先﨑。ウクライナ情勢を自分事として引き付けながら国防を考えたとき、死生観、国家観によって考え方が違ってくることを示す、2人の主張だった。

強い意志が戦争抑止

ウクライナ情勢から、日本人が学ぶことは少なくないが、一国の安全保障においては、国際世論を味方に付けることが重要になっていることもその一つだろう。ウクライナへの支援が集まっているのは、ロシアが企(たくら)む力による現状変更を許せば国際秩序が瓦解(がかい)し、自国の安全保障もままならなくなるという危機感からだけではない。

ゼレンスキー大統領のリーダーシップの下、銃を持って命懸けで戦うウクライナ国民の姿が世界の人々の心を打ったことが大きく影響し、これがプーチン大統領の思惑に狂いを生じさせることにもなっている。もしゼレンスキー大統領が早々に亡命し、国民も簡単に白旗を揚げていたら、情勢はまったく違ったものになっていたはずだ。

逆を言えば、ウクライナ国民による頑強な抵抗を予想していたなら、プーチン大統領は侵攻を思いとどまった可能性がある。つまり、国防に対する国民の意志の強さも戦争を抑止するのである。

日本では今、憲法改正や「核共有」論議など、安全保障体制を抜本的に見直す機運が出ているが、そこでまず問われるのは、政治家や国民が命を賭してでも国を守るという強い意志を持っているのか、ということだろう。

日本国憲法の「偽善」

他国に侵略された時、戦うか逃げるかという選択の違いは、憲法改正についてのスタンスの違いにもつながる。

浅田氏は、平和主義を掲げる日本国憲法には「偽善」があり、ウクライナ情勢によって建前を掲げただけでは蹂躙(じゅうりん)されることが明らかになったとしながらも、その「偽善的な建前」を放棄した途端、文明は終わるとして憲法改正に反対する。片や、先﨑氏は憲法を絶対に正しいと安穏としていたのでは、それは「違う」と、条件付きの改正を主張した。

こんな議論を聞いたら、キエフの地下壕(ごう)や周辺国の避難所にいるウクライナの人々は何を思うのだろうか。
(森田清策)

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