「憲法とリベラル紙の欺瞞」を浮き彫りにさせた露のウクライナ侵攻

戦争反対のプラカードを掲げる女性。

まさに観念論の極み
ロシアのウクライナ軍事侵攻は、「平和憲法」と称される現行憲法の幻想を見せつけた。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(前文)、「平和主義」(9条)を唱えても、野蛮な国家指導者の心次第で「平和」はいとも簡単に打ち破られる。国民はそのことを実感させられた。

ところが、護憲主義者は何があっても「平和憲法」なのだ。例えば、朝日の編集委員、高橋純子氏はウクライナ危機よりも憲法が大事なようで、23日付「多事奏論」では、「私は、体験や実感が刻み込まれた日本国憲法に信頼している」と胸を張っている。

記事は、「公正と信義」を持ち出すが、それにどんな「体験や実感」があるというのか。その「信頼」はロシアのウクライナ軍事侵攻でも揺るがないのか。高橋氏は改憲を唱える「3代目」政治家をバカ呼ばわりするが、ならばぜひ、次回の「多事奏論」で論じてもらいたい。これは護憲の朝日全体に言えることだ。

日本共産党の志位和夫委員長のとんちんかんぶりも度が過ぎていた。ツイッターで、「プーチン氏のようなリーダーが選ばれても、他国への侵略ができないようにするための条項が、憲法9条なのです」と、こちらも胸を張っている。

志位氏のツイッターに対して「外国が攻めてきた場合はどうするのか」との批判や、「志位さん、共産党はこれまで9条で他国から侵略されないと仰(おっしゃ)ってたのでは?」(日本維新の会・松井一郎代表)との疑問が呈されている(読売26日付)。これには志位氏は口を閉ざし、都内での街頭演説で「『侵略やめよ』『国連憲章を守れ』の一点で声をあげる」と絶叫している(「しんぶん赤旗」26日付)。声を上げても侵略を防げないことはウクライナで証明済みで、観念論の極みである。

「森嶋・関論争」想起

では、どうする。冷戦期にロンドン大学教授(当時)の森嶋通夫氏がこう言っていた。「もしソ連が侵略してくれば、左手に白旗、右手に赤旗を持って整然と降伏すれば、被害は多くないからよい」。いわゆる白旗赤旗論だ。白旗は降伏、赤旗はソ連の同志。それで身の安全が守れるというわけだ。プーチン氏もこう言っている。「ウクライナ兵は武器を捨てて、家に帰れ」と。今なら白旗か、それとも白赤青のロシア国旗か。

森嶋氏に対して東京都立大学名誉教授の関嘉彦氏は、「ソ連は共産主義の支配の拡大のために機会さえあれば、武力侵攻も辞さないから、しかるべき防衛力を整備し、足りぬところは民主主義の価値観を共有する同盟国の米国に頼るべき」と反論した。これは世に「森嶋・関論争」と呼ばれた(1979年、月刊『文藝春秋』誌上で)。どちらが正論かは言わずもがな、だ。

この論争は古びた話ではない。「米国に頼る」ことができなくなりつつある今、「しかるべき防衛力」をどう整備し、日米同盟を再構築するか。このことは日本にとって死活的問題のはずだ。ところが、朝日や毎日などのリベラル紙はロシアを威勢よく批判はするが、こと日本の防衛力となると、途端に足を引っ張る。彼らの辞書には「抑止力」という言葉が存在しない。

昨年12月に防衛費増が伝えられると、産経は「抑止力構築に増額必要だ」(同3日付)と訴え、本紙は「隙のない体制の整備を急げ」(29日付)、読売は「効率的に抑止力強化を図れ」(30日付)と理解を示した(いずれも12月)。

心の底に白旗赤旗論

ところが、リベラル紙はことごとく異を唱えた。朝日は「加速化 理解得られるか」(27日付)、毎日は「歯止めなき膨張許されぬ」、東京は「軍拡競争に加わるのか」(いずれも28日付)と反対論をぶった。ならば、いったいどう国を守るのか。それを言わないのは心の底に白旗赤旗論を秘めているからではないか。そう疑わざるを得ない。ロシアのウクライナ軍事侵攻はいみじくも「憲法とリベラル紙の欺瞞(ぎまん)」を浮き彫りにさせたのである。
(増 記代司)

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