
マスコミを味方に人権蹂躙

――1980年代、90年代には宗教2世に関する報道はなかった。
80年代、90年代の出来事は、著名人の周りで騒ぎが起こったというスキャンダル。見ている側は野次(やじ)馬にすぎなかった。
今回は宗教2世という無名の人たちが家族トラブルでしかない問題を持ち出して、あたかもそれが全て事実で普遍的であるかのように思わせてしまった。このため、自分の家庭もそうなるのではないか、家を一歩出たらだまされるのではないかという猜疑心(さいぎしん)が社会に生まれた。猜疑心というのは、なかなか抜き去り難い。それが当時の岸田文雄首相や閣僚、国会議員らへの批判や疑いとして広がっていった。
――東京高裁が3月4日、世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)の解散命令を決定し、最高裁で6月22日付で命令が確定した。教団の施設は現在、清算人の管理下に置かれ、信徒が自由に利用することはできない。こうした状況をどのように考えるか。
最初は解散命令で税制面の特権を失うだけだということを紀藤正樹弁護士や鈴木エイト氏らも話していたが、実際は違った。
宗教法人法第1条は「この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し」という文言で始まっている。第2条では「礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体」が宗教団体と定義されている。
つまり、礼拝の施設が信教の自由と一体のものであるということだ。国家の三要素は領土、国民、主権と言われる。教団が施設を使用できなくなることは、国家が領土を奪われることと同じではないか。国や政治家、そして司法も宗教について一度も真剣に考えてこなかった。信教の自由と口では言うが、信教の自由とは何かということも考えてこなかった。
内心の自由は誰も侵せないが、信仰心を持つだけでは信教の自由が保障されているとは言えない。信教の自由とは、礼拝施設などで行われる現実の活動と結び付いている。こうしたことを想定できなかったのが、国や政治家、司法、社会の問題だった。

――家庭連合への解散命令は、今後の日本社会にどのような影響を与えると思うか。
解散命令が出たことで安倍晋三元首相の暗殺事件が一件落着してしまったような社会の空気になっている。これが非常におかしい。
もう一点は、解散命令の根拠のすり替え。最初は宗教と政治の関係にすり替わって、その後に宗教と消費者トラブルというテーマが出てきた。さらに信教の自由の問題にすり替わった。何段階にも及ぶすり替えの結果、安倍氏が銃撃されて死亡した結果、家庭連合が解散させられて当然ということになってしまった。これは非常に重大なことではないか。
人為的にすり替えが行われ、社会や政治、司法の空気がつくられてしまった。こうした問題は基本的人権の蹂躙(じゅうりん)という形で家庭連合の信徒に向かっている。葬儀をしたくてもできない、差別的な視線を向けられ、社会から排除されるという状況を社会の空気が生み出した。憲法や法律を改正しなくても、マスコミを味方に付ければ、こうした人権蹂躙が可能であるという実例を残してしまった。
私のように家庭連合の信徒ではない立場でこの問題を見てきた人間にとっては「あすはわが身」。私は家庭連合について「教義が素晴らしいですよ。みんなで献金しましょう」という言論活動をしているわけではなくて「事実はこうですよ、社会はこうなっていますよ」と伝える活動をしているが、それだけで言論界やメディアから排除される。信徒以外の人の排除が既に始まっている。
例えば、外国人問題で「外国人を差別するのはよくない」というのは当たり前だが、よく分からない事情で日本に入って来て、日本の法律に従わず、社会を混乱させている外国人もいる。そういう人たちを報道で扱おうとすると排除されるのも事実だ。
マスコミや政治家が動いて、司法が間違った判断を正当化する流れがつくられてしまったら、特定の考え方を持って何かを伝えようとしている人たちが、社会から排除されてもおかしくないということは切実に感じる。それが繰り返されることは間違いないと思う。
(聞き手=宮田陽一郎)
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