トップオピニオンインタビュー【対談】どうする、日本の少子化問題 (上)大泉博子氏 x 田村重信氏

【対談】どうする、日本の少子化問題 (上)大泉博子氏 x 田村重信氏

 日本の少子化に歯止めがかからない。厚生省(当時)児童家庭局企画課長や衆院議員を歴任した大泉博子氏と元自民党政務調査会調査役で政治評論家の田村重信氏が対談し、「人口資源」を守る国家戦略を提言した。(司会=本紙編集局次長・豊田 剛)

 ――昨年1年間の出生数が67万1236人と、統計開始以来の過去最少を更新し続けている。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)の推計よりも15年早いペースで少子化が進んでいます。現状をどうお考えですか。

 おおいずみ・ひろこ 1950年東京生まれ。東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業後、厚生省に入省。ミシガン大学大学院行政学修士取得。国連児童基金(ユニセフ)中北部インド事務所計画評価官や厚生省児童家庭局企画課長を経て、山口県副知事、衆院議員を務めた。著書に『ワシントンハイツ横丁物語』(NHK出版)、『わたしは、グッドルーザー』(文芸社)など多数。
 おおいずみ・ひろこ 1950年東京生まれ。東京大学教養学部(国際関係論分科)卒業後、厚生省に入省。ミシガン大学大学院行政学修士取得。国連児童基金(ユニセフ)中北部インド事務所計画評価官や厚生省児童家庭局企画課長を経て、山口県副知事、衆院議員を務めた。著書に『ワシントンハイツ横丁物語』(NHK出版)、『わたしは、グッドルーザー』(文芸社)など多数。

「人口資源守る国家戦略を」大泉氏

 大泉 私は全く驚きません。社人研の予想は、これまでもずっと外れてきました。過去に大外れしたことがあり、1990年代に団塊ジュニアの子供の波、来ると言われていた第3次ベビーブームは来ませんでした。社人研は国立の政府機関です。厚労省などの行政が楽観視したい意向を数字に反映させてしまう傾向があります。厚労省が採り上げ安倍政権が示した1・8という希望出生率も科学的にあり得ない数字でした。

 政策に合わせ、世の中を怖がらせないように「中位推計」を真ん中として出すのですが、実際には最初から「低位推計」の方が真実に近かったのです。

 そもそも団塊ジュニアの世代が50歳を過ぎています。母親になる世代の数が減り、子供が生まれなくなることは事実として分かっていたことです。子供の数は、母親の数で決まるんです。母親は下り坂になるんだから増えるわけがないのです。

 田村 少子化になったのは、時代が変わったことも大きいです。豊かになると子供を産まない傾向があり、女性の社会進出や高学歴化、独身でも不便のない社会が影響しています。また、経済と雇用の状況です。非正規雇用の増加や所得の問題といった経済的な要因も極めて大きいです。国も地方自治体もそして個人も、少子高齢化の問題を本気で考えてこなかった結果だと言えます。政策の重点に置かなければならなかったにもかかわらず、そうしてこなかった。

 ピーター・ドラッカーが1976年に出版した『見えざる革命』という本があり、アメリカ経済の年金基金の問題を論じています。日本語版の序文では、日本の経済成長の半分は純粋な生産性向上ではなく、単に就業者の数が多かったからうまくいった、すなわち構造変化によるものだとみていました。

 この頃の日本経済は絶好調でしたが、欧州経済はやや陰りが見えていました。欧州で高齢者が多かったのに比べて、日本は戦後のベビーブーム世代による生産に従事する就業者人口が多く活気にあふれ、経済も上向きに推移していたからです。しかし、日本は今、歴史上どの国も経験したことのない、すさまじい勢いでの高齢化という「革命」の真っ只中(ただなか)にあります。最大で喫緊の課題だったにもかかわらず、これに本気で取り組まなかったことが、今の状況を招いています。

協力し生み育てる意識を 田村氏

 ――国は少子化対策でさまざまな施策をしていますが、効果が出ていません。

 大泉 政治家や官僚の初動対応が間違っていたからです。1989年に出生率が1・57だった「1・57ショック」がありました。丙午(ひのえうま)の66年の出生率1・58を下回りました。何か政策的なことをしないといけないとなり、各省連絡会議などをつくりましたが、うまくいきませんでした。

 94年に最初の予算付き少子化対策「エンゼルプラン」ができましたが、私はその策定に関わり、元祖少子化課長と自負しています。当時、社会のトップは戦前の人でした。41年の人口政策確立要綱「産めよ増やせよ」の記憶が嫌な思い出として残っており、「人口政策」はやってはならないという風潮がありました。

 それから、94年に総理府(現在の内閣府)に男女共同参画室ができ、99年に男女共同参画社会基本法ができました。世界女性会議が95年に北京で行われました。これまでは政府関係者だけが参加していましたが、世界からNGO、女性団体が集まってきて、「産む・産まないは女性の権利」という議論が広まった時期でもあります。90年代は日本に雇用機会均等法ができた後、男女共同参画の上り坂、人口政策に対するアレルギー、世界の流れがあり、人口政策はできないという風潮でした。

 その結果、人口政策という言葉を避け、「少子化」という言葉に置き換えて、本当に人口政策ができなくなってしまいました。焦点が子供に関連することになり、子育て環境を整えるよう照準をずらしてしまいました。人口問題を「女子供の仕事」として矮小(わいしょう)化し、厚生省や文部省の一部門に押し込めてしまったことが間違いでした。

 現在、極論を唱えるフェミニストの主張は下火になりました。だから、人口政策を打ち出して本来は国の最大の資源である「人口資源」を守るための、全省庁を挙げた政策をすべきです。岸田政権の「異次元の少子化対策」も、結局はこれまでの延長線上で量を拡大しただけで、財源もはっきりせず、本質は変わっていません。国の最大の資源である人口政策をまだやっていないんです。

 たむら・しげのぶ 1953年新潟県生まれ。拓殖大学政経学部卒。宏池会(大平正芳事務所)を経て、自民党本部に勤務。政務調査会で調査役・審議役として外交・国防・憲法・安全保障等を担当。退職後、政治評論家。著書に『日本のブランドを作った男 渋沢栄一「論語と算盤」恕(じょ)』(三冬社)、『高市早苗首相が変える!強く豊かな日本&世界の2026』(監修、コスミック出版)など多数。
 たむら・しげのぶ 1953年新潟県生まれ。拓殖大学政経学部卒。宏池会(大平正芳事務所)を経て、自民党本部に勤務。政務調査会で調査役・審議役として外交・国防・憲法・安全保障等を担当。退職後、政治評論家。著書に『日本のブランドを作った男 渋沢栄一「論語と算盤」恕(じょ)』(三冬社)、『高市早苗首相が変える!強く豊かな日本&世界の2026』(監修、コスミック出版)など多数。

 田村 かつて米実業家のロックフェラーは「もっと子供のそばにいたかった」と言いました。人間の幸福や将来の日本をどうするかという視点が大事です。結婚して子供を生み育てるには、一人一人が協力し合う意識を持つことが大切です。かつて私は、占い師の先生に背中を押されて国際結婚をしましたが、当時は貧しくても何とかなったものです。

 国も地方自治体も子育てのための施策を実施するのが大事です。例えば子供を産んだら500万円、1000万円の現金給付をするといった思い切った経済支援も必要かもしれません。韓国の状況は深刻で、20代で結婚しない人がうんと増えました。経済的理由が挙げられていますが、本当は結婚した方が経済的なんです。二人で生活しますから。

 少子化対策と子育て支援は別なんです。生まれた子供に何をするかだけではなく、産むためにはどうするかに政策の重点を移さないと解決にはならない。

【対談】どうする、日本の少子化問題 (下)大泉博子氏 x 田村重信氏

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