
世界日報の読者でつくる「世日クラブ」の定期講演会が2月21日、オンラインで開かれ、軍事評論家・福山隆氏が「『反戦自衛官』闘争から見るスパイ工作の実態」と題して講演した。福山氏は、1970年代前半から80年代初頭にかけて起きた反戦自衛官事件はスパイ防止法などの法整備がないため起きたと説明。日本の構造的な脆(もろ)さを克服するためにも「スパイ防止法の一日も早い制定を」と強調した。以下は講演要旨。
日本にスパイ防止法がないために、半世紀前には自衛隊にスパイが堂々と潜入した「シロアリ」のような反戦自衛官がいた。あまり知られていないが、自衛隊を蝕(むしば)む彼らと戦ったのは、国ではなく小さな部隊の隊員たちだ。
人類史で一番古い職業は売春、二番目がスパイだと言われている。人類の戦(いくさ)でスパイは必要不可欠な存在だ。米中が覇権争いをしている現代においてもスパイ活動は盛んで、スパイ衛星も存在する。衛星の高い解像度は、頭の禿(は)げの形まで分かる。北朝鮮の金正恩氏の乗っている乗用車なども米国は把握しているだろう。スパイは平時・有事関係なく行われている。
中国のスパイ工作はイチゴの苗のようで、親株である中国中央統戦部から移民や孔子学院、外交公館、留学生などがランナーとなり他国に根付いていく。過去の大航海時代には宣教師が国外で布教し、増えたキリスト教徒が政権を倒すことで西欧諸国の植民地が広がったのと形が似ている。
中国の留学生は非常に統制が取れている。例えば、原子力潜水艦についての技術を盗めと指示されれば、学生がそれに関連する教室に入りレポートを送る。それぞれのレポートがパズルのように組み上がり、送られた側では情報の全体像が浮かび上がるようになっている。中国は、このような方法で本来なら莫大(ばくだい)な開発費用のかかる技術を世界中から盗んでいる。
反戦自衛官になった市ケ谷の第32普通科連隊・第4中隊隊員たちはもともと、純粋無垢(むく)で前途洋々な好青年たちだった。60年代の日本中は安保闘争が激しく、最悪の場合は国が転覆する事態も考えられた。その際には自衛隊が出動することになる。隊員の国民に銃を向けたくはないという気持ちに付け込まれた。
元3等陸曹で中核派の小西誠氏の思想に染まり、内部からシロアリのように食い散らかして自衛隊が治安出動できないようにし、国民の信頼失墜を狙う隊員となってしまった。警察組織の中にテロリストが潜入するようなものだ。
小西氏の影響で誕生した反戦自衛官を、左翼の弁護士団やマスコミは「素晴らしい」と持ち上げていた。本来、スパイ化した自衛官たちと戦うべきは政府・防衛庁下の上級師団だ。しかし、他国に当たり前にあるスパイ防止法など法的根拠が日本にはなく、現場任せの状態となった。
小西氏による影響は70年ごろから徐々に広がり、85年あたりから顕在化するようになった。現場では88年以降、3代の第4中隊長と清水剛3尉(当時)、剣士会が反戦自衛官たちと戦った。
反戦自衛官と相対する清水氏には家族にまで脅迫があった。夜中に無言電話があったり、車のタイヤをパンクさせられた。尾行の気配もあったため、幼い娘と妻の外出を制限せざるを得なかった。妻からは「自衛隊を退職してほしい」と懇願され、清水氏はストレスから胃潰瘍を患ったが、折れなかった。彼は人間的に非常に優れた人物で、彼がいなければ反戦自衛官との闘争で敗北していただろう。
第32連隊というのは山手線の内側にあった唯一の実力部隊で、天皇陛下と皇居を警護することから全国から選抜された精鋭で構成された。隊員たちは「首都防衛連隊」「近衛歩兵連隊」と自称し、誇りを持っていた。小西氏が第32連隊を標的にしたのは、政経中枢の防衛任務に当たる重要連隊で、首都で反戦活動すれば世間からの注目を集めるという狙いがあったからだろう。
第4中隊には夜間学校への通学隊員も多く、純粋な彼らは大学の左翼教授や極左グループの影響を受けやすい環境にいた。東京では70年安保に向け闘争が激化しており、隊員を感化しやすい雰囲気もあった。小西氏は隊員に接触し、工作を行った。結果的に同じ中隊に所属する戦友であるはずの隊員同士で戦うことになった。
昭和天皇が崩御され、さまざまな式典が執り行われた。本来なら第32連隊は警護の任務に就くべきだが、中隊に潜入工作員がいるため屈辱的な営内待機の命令が下された。スパイ化した反戦自衛官らは黙祷(もくとう)の際に、中隊内で勝鬨(かちどき)を上げるなどして喚(わめ)いた。当直の際には、反戦自衛官監視のために増員配置するなど現場に負担が重くのしかかった。わざと隊員を挑発し、法廷闘争に持ち込もうとする彼らと相対するなど、法的根拠がないために現場だけで行わざるを得なかった。
反戦自衛官との戦いは18年にもわたった。彼らによって、先輩たちが築いた誇りや規律は瓦解した。反戦自衛官を自衛隊から追い出すために、上層部は彼らを遠隔地に転属させることを選んだ。反戦自衛官は、小西氏らの親玉が東京にいるため、地方勤務を嫌がり、辞めていった。ただ、自衛隊側は作為的だと言われないようにするため、着任の古い順に地方に転属させたため、無関係の隊員とその家族も巻き込まれた。通学していた隊員らは真っ当な隊員であっても潜入工作員の疑惑を持たれ、誹謗(ひぼう)中傷や退職に追い込まれることがあった。
スパイ防止法や軍法がない日本は、反戦自衛官に対し打つ手がない。そのため、清水氏らは個人の立場で戦わざるを得なかった。その状態は現代でも変化していない。この事件は安全保障の最低限の法的装備を欠いたまま、自衛隊という実力組織を運用しているという構造的な脆さを露呈させた。
多くの国では、軍人の機密漏洩(ろうえい)や政治活動、軍規違反には厳格な処罰が下されるが、事件から半世紀経(た)っても日本は変化してない。過去の政治家の発言や憲法に縛られるのではなく、現実に照らして柔軟に、合理的に物事を進めるべきだ。
日本の防衛に反対する人や団体は、中国や北朝鮮の軍事力増強を強く非難していない。なぜ国内だけに批判の矛先を向けるのか。北朝鮮の拉致問題などあったが、もし今後、何かあった時に彼らは歴史に責任を負えるのか。
私は反戦自衛官事件の後に第32連隊を指揮して、地下鉄サリン事件の対応に当たった。その際に、日本人の精神性が乾いたことでオウム真理教の麻原彰晃教祖(元死刑囚)の下に人々が集ったと感じた。精神が乾いたままだと、人類が核ミサイルや災害などで消滅する日も近いのではないか。AI(人工知能)などが発展し、人が要らなくなる社会や国ではなく、人類という枠組みで物事を捉えるべき時代に来ているのだろう。人間の知性では測れない時代が目前に迫っている。人の存在の最終的な拠(よ)り所は宗教や神になるというのが私の持論だ。






