トップオピニオンインタビュー釈迦のインドに恩返し 法華宗真清浄寺住職 吉田日光師に聞く【持論時論】

釈迦のインドに恩返し 法華宗真清浄寺住職 吉田日光師に聞く【持論時論】

物より子供たちの教育支援

日本の寄付金で運営 小学校、スリランカにも開設

東京都新宿区の神楽坂駅近くにある法華宗真門流真清浄寺の吉田日光(にちこう)住職は、宗祖日蓮聖人が国難に当たり「立正安国論」を鎌倉幕府に上奏したように、「衆生済度こそわが天命」と覚悟して得度したという。その社会実践の一つがインドの教育支援。釈迦(しゃか)が悟りを開いたとされるブッダガヤに別院を開き、さらに学校に通えない子供たちのための小学校を開いている。エネルギッシュな活動の一端を聞いた。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

――インドに小学校を開かれたのは。

釈迦が悟りを開いた地であるインド・ビハール州のブッダガヤに2001年、日光寺を建立しました。当時、私は今の福井市にある本性寺の住職をしていたので同寺の別院とし、現在では真清浄寺の別院になっています。インドは仏教遺跡は多いのですが、国民の80%はヒンズー教徒で、仏教徒は1%に満たないことから、インドでの仏教布教を決意したのです。

加えて、当地は貧しい人が多かったので、檀家(だんか)の人たちに呼び掛け、古着や毛布、医療品などの支援活動を始めました。段ボール箱500個をコンテナに詰めて船でコルカタへ送り、陸送で寺まで3回運びましたが、送料が1回50万円もかかり、さらに物を渡すと多くの人が働かなくなり、本当の救いにならないと分かったので、支援を子供たちの教育に変えたのです。

よしだ・にちこう 1953年、福井県生まれ。京都産業大学経済学部、立正大学仏教学部卒業。福井市本性寺住職などを経て、父の後を継ぎ真清浄寺住職に。その間、日蓮宗の100日荒行を7回達成し、タイのワットパクナム寺で修行。2001年にインドに日光寺を開き、05年ブッダガヤにサッダー小学校を開校。日本・ネパール文化交流友好協会会長、日本・スリランカ文化交流友好協会会長。東京都仏教連合会元理事。

――インドは経済発展が目覚ましいのですが、取り残されている地方もあります。

ビハール州は識字率が30%と、インドで最も教育が遅れていました。子供たちが学ぶ喜びに目覚め、知識が増えると、将来の国造りの柱になると思い05年、ブッダガヤにサッダー小学校を開校しました。政府公認ではなく、一種のフリースクールで、貧しいため学校に通えない子供たちが約50人、学んでいます。

用地は、地元でホテルや土産物店を経営するヒンズー教徒の友人ジャガット・プラサドさんの弟のラジェス・プラサドさんが提供してくれました。そして檀家に呼び掛けて集まった約600万円を元に、鉄筋コンクリート平屋建て、84平方㍍の校舎が完成したのです。プラサドさん兄弟はその後も理事として支援してくれ、現在は兄の息子のラフールさんに引き継がれています。

私がプラサドさんと知り合ったのは檀家を連れてのブッダガヤ参拝の折、民芸品店に来た一行にチャイ(ショウガ入りミルクティー)を出すなどしてくれたのがきっかけです。当時、彼は京都の三条河原町でインド料理店マーヤを開いていて、今は出町柳に移転しています。ちなみに「マーヤ」は釈迦の生母の名前です。

――小学校の授業内容は。

サッダー小学校では2人の教師が国語(ヒンドゥー語)と英語、算数を教えています。授業料は無料で、オレンジ色のシャツに男の子には半ズボン、女の子にはスカートの制服を支給します。登下校時に、生徒たちは手を合わせて「南無妙法蓮華経」を唱えています。公立校に準じて5年間で卒業すると、次の生徒を募集します。多くの子供たちが入学を待っているので定員を広げ、校舎やグラウンドも整備する計画です。

07年には学校の庭に完成した井戸の落慶法要を行いました。日本からの一行が学校に到着すると、子供たちは校庭に整列し、「ナマステ」と互いにあいさつを交わしました。私たちが声を掛けるたびに、声をそろえて「ダンネワ(ありがとう)」と返ってきます。井戸には手押しポンプがあり、ハンドルを上下するときれいな水が出てきます。ここで子供たちが水を汲(く)み、手足を洗うことができるので衛生的です。感染症を防ぐ衛生教育の一環でもあります。

――初めての卒業式に参列されたそうですね。

10年12月7日には、同校で5年間の教育過程を終えた約50人の生徒たちが、学校初の卒業式を迎えました。生徒たちは新調された黄色い制服姿で卒業式に臨み、首に花輪を掛け、目を輝かせながら5年間の学校生活に感謝していました。

私たち日本からの一行8人は、持参のプレゼントを卒業生たちに渡し、前途を激励しました。同校の建設に大きな寄与をした福井県鯖江市の会社社長、清水忠義・邦子夫妻は高齢のため写真での参加でした。卒業後の進路は進学、就職、家の手伝いなどさまざまです。

――小学校の運営は。

同校の運営には、生徒1人当たりに年間1万円の支援が必要で、檀家をはじめ日本全国からの寄付金で賄われています。貧しくても子供たちが希望を持ち、階層に制約されずにチャンスをつかむには教育が重要なので、さらに学校を充実していく計画です。

――スリランカでも小学校を開かれています。

スリランカの仏教は、仏教に帰依したアショーカ王の王子と王女が同国に渡って伝えたとされ、以後、釈迦仏教のテーラワーダ(上座部仏教)は、同国から南アジア一帯に広まりました。インドでは12世紀にイスラム教の影響で仏教はほぼ消滅しますが、イギリスの植民地になった同国では仏教が復興し、僧侶らが大菩提(ぼだい)会を設立してインドの仏跡の保護に乗り出しました。

日本人として忘れてはいけないのは、1951年のサンフランシスコ講和会議で、後に第2代大統領になるジャヤワルダナ・スリランカ代表が、日本に対する賠償請求権の放棄を述べた上で、「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、愛によってのみ消え去る」という釈迦の言葉を引用し、ソ連が主張する分割統治から日本を救ったことです。

そんなスリランカの恩に報いたいと考え、コロンボに近い、私の弟子のポルピティ・グナナランシー師の寺の境内に2015年、生徒数100人の小学校を開きました。


【メモ】法華宗真門流は室町時代後期、日真(にちしん)が京都に本隆寺を開いたのが始まり。後柏原天皇などの庇護(ひご)を受け隆盛した。日真の父は権大納言中山親通(ちかみち)で、母は山陰の守護大名山名時義の娘玉露。中山家の祖は平安時代の公卿中山忠親で、江戸後期の当主忠能(ただやす)は明治天皇の生母慶子(よしこ)の父。そんな歴史から真門流は皇室と関係が深く、東京に開かれた真清浄寺には女官らが通い、明治天皇下賜の宝物もある。

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