野良仕事 雲雀は高く 我低く
霊肉鍛え善を高める 目標は農民に尽くした賢治

終わり良ければすべて良しで、高齢期を好きなように生きるのは誰しもの願い。農業を志しながら、紆余(うよ)曲折を経て、人生の最晩年期に農業にカムバックし、香川県さぬき市で30㌶の農地を耕作している農事組合法人代表理事の多田則明氏に、その経緯と考え方を聞いた。(聞き手=池永達夫)
――著書『空海さんとふたり田舎暮らし』によると、若い頃は親鸞に引かれ、中年から空海になったと。
この本を書けたのも70歳になってから農業の比重が増し、農作業の仲間や地域の人たちとの交流が深まったのが大きい。現役時代は考えや気持ちの合う人たちとの仕事が中心で、違う人たちとの関係は薄かったですね。それが62歳で胃がんになったのを機に会社を依願退職し、組織の一員としてではなく、個人として働き始めました。思想や信条、感情の合わない人たちとも付き合うのがいい勉強になり、加えて「宗教新聞」の仕事を通して日本の伝統文化である神道と仏教を学び、改めて日本人とは自分とは何か考えさせられました。
――親鸞と空海の違いは。
私の宗教事始めは祖母に連れられてのお寺通いで、仏壇の前で「正信偈(しょうしんげ)」を一緒に唱えていました。大学1年で感銘したのは倉田百三の『出家とその弟子』で、同年齢の女子大生と付き合い始めたこともあって、人間の罪について考えるようになりました。
――浄土真宗はキリスト教に似ているとされます。
特に罪の捉え方がそうですね。とりわけ性愛との関係は人に罪意識を喚起させ、女性との交流が深まるほど、自分はこの人の人生に責任を持てるのかと自問自答するようになりました。後に読んだのですが、この点についてエーリッヒ・フロムが『愛するということ』で、愛するとは責任を持つことだと明快に書いています。
――それが真言宗になると違うのですか。
密教は仏教の最終段階の教えで、ヒンズー教の神々も取り込んだように、バラモン教以来のインド思想を含んでいます。性愛については「理趣経」で肯定的に扱い、「煩悩即菩提(ぼだい)」というように、人間の本能や欲望を認める教えです。ヒンズー教やチベット仏教には男女交合の神像さえあります。
――釈迦の教えから言うと。
釈迦は人生を「罪」ではなく「苦」と捉えています。罪とりわけ原罪だと自分の力ではどうしようもないのですが、苦は努力次第で解決でき、そこに自分の責任という考えが生じてきます。
ハリウッド映画の「エイリアン」などでは、悪は滅ぼせばいいという描き方です。それがキリスト教の善悪史観ですが、仏教は善の中にも悪があり、悪の中にも善があるという思想で、それが人間社会の実相だと思います。高野山では戦国時代の敵と味方が一緒に供養されていますよね。
――仏教の「救い」とは。
それが私の一番の関心事で、一番共感するのは、仏性があるのになぜ修行しないといけないのかと考え宋に渡った道元が、仏性があるから修行できると悟ったことです。つまり、日々悪に打ち克(か)ち、善を高められている状態が「救い」なのです。私は単調な農作業をしながら、その考えに共感しました。ですから、高齢期には頭と体を鍛えて善に向かって突っ走り、全速力であの世に逝くのが理想です。
――古代インド思想との関係は。
ウパニシャッド哲学が求めたのは「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という私が自然と一体になる境地で、それが釈迦の言う悟り、仏になることです。親鸞も空海も仏になるよう教えているのは同じで、その道が異なるだけ。密教では大宇宙の人格的表現である大日如来との一体化を教えています。阿弥陀如来は大日如来の救いに特化した仏でしょう。四国遍路の信仰では「同行二人(どうぎょうににん)」で、一人で歩いていても空海さんと一緒。これは、遠藤周作の「同伴者イエス」と似ています。
私は農業や自治体の地域活動にいそしみながら、そういう考えに至りました。すると、修行と思っていたことが楽しみになり、気の合わない人とも、それなりに付き合えるようになりました。自分という存在は、周りの環境や人々、さらに歴史や文化を総合したもので、それを言葉で表現し、物語にしていくのが人生だと。ですから今は、自分ならではの言葉を探すのが一番の関心事です。
――高齢期に人生の満足度が上がりましたか。
先輩たちが次第に重労働できなくなったので、半ば仕方なく70代から人生最大の肉体労働をするようになり、おかげでそれまで以上に健康になりました。胃がんの手術で胃を3分の2切除して体重が15㌔減り、適正値になって筋肉が付いてきました。
――どんな生活を。
日中農作業があると早めに寝て、早朝に起きて読書や物書きをします。頭と体を並行的に使うのが健康にいいようです。
――最近、俳句を始めたとか。
自治会に中村草田男の孫弟子がいて句会を主宰しているので、今年1月から参加しています。俳句はスマホに保存し、フェイスブックに写真と共にアップします。
正岡子規は写生で俳句を革新しましたが、見える対象と自分の心象をどんな言葉で表現するかは、人間にとって基本的な課題です。句作しながら農作業するとしんどさが紛れ、気分転換にもなります。こうして言葉を鍛え、80代にはいい本を書きたいですね。
――お気に入りの句は。
「賢治なら どう思うかと 麦を踏む」で、農民のために生きた宮沢賢治は目標の一人です。「野良仕事 雲雀(ひばり)は高く 我低く」は麦畑の風景。4月7日、小豆島の放哉忌(ほうさいき)では「放哉の 墓に酒かけ 島の春」。自由律俳句の尾崎放哉は酒癖の悪さで何度も失敗しています。
【メモ】多田さんの自宅の居間には、タイのトッケに似た中型の爬虫(はちゅう)類がいる。多田さんは農作業から帰ると、ポケットからバッタを1匹、このペットの前に差し出す。すると日頃ののそのそした動きとは打って変わって、目にも留まらぬ速さでパクリと食べ、ゴクリとのみ込む。多田さんが担当した持論インタビューは、宗教家を軸に据えながらも実に多彩で、その都度、メッセージや学びを得た。多田さんにしてみれば、ちょろっと片手間の仕事だったかもしれないが、生エサを与えられた爬虫類同様、生きるエネルギーや示唆をたくさん頂いた。