
奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境にある標高959㍍の大和葛城山は大阪府の最高峰で日本三百名山の一つ。5月初旬から中旬にかけて山頂の葛城高原は一面のツツジに覆われ、多くの観光客がロープウエーで訪れる。当地は古代王権発祥の地の一つで、当山は山岳信仰の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の修行地としても知られている。葛城山にまつわる話を奈良市在住の万葉の花研究家・片岡寧豊(ねいほう)さんに聞いた。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境にある標高959㍍の大和葛城山は大阪府の最高峰で日本三百名山の一つ。5月初旬から中旬にかけて山頂の葛城高原は一面のツツジに覆われ、多くの観光客がロープウエーで訪れる。当地は古代王権発祥の地の一つで、当山は山岳信仰の祖・役行者(えんのぎょうじゃ)の修行地としても知られている。葛城山にまつわる話を奈良市在住の万葉の花研究家・片岡寧豊(ねいほう)さんに聞いた。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
――5月の大和葛城山山頂は金剛山を背景に赤いツツジに覆われます。
ツツジの花にはどこか親しみが持てる庶民的な可愛(かわい)らしさがあります。赤や白、ピンクなど色とりどりの花が競い合うように咲くと、辺りがパッと明るくなるばかりか、眺める人々の心にまで爽やかなムードを醸し出してくれるようで、うれしくなります。
ところで、単に「ツツジ」という名前の植物名はありません。普通、ツツジと言った場合、特定の品種を指すのではなく、ツツジ科ツツジ属(シャクナゲ類を除く)の総称として、あるいは通称として使われていることが多いようです。
品種改良された園芸種のツツジは、グリーンベルトをはじめ公園や庭園、街路樹の根締めなどにも植えられていることが多く、たいてい低い背丈に刈り込まれ、目に留まりやすいので、花が一輪でも咲き始めると、いち早く春の到来を感じさせてくれます。
――『万葉集』にはどう歌われていますか。
『万葉集』のツツジの歌を見ると「つつじ花」とあるほか、「丹(に)つつじ」「白(しら)つつじ」「石(いわ)つつじ」と表現されているにすぎません。万葉の頃は、主にヤマツツジ系統と考えられ、「丹つつじ」は、ヤマツツジなどの赤花を指し、「白つつじ」は、白花系の野山に自生するツツジ類を、「石つつじ」は、岩場の辺りに咲いているツツジの意味で、岸辺や渓谷などに生えるキシツツジや川岸や岩上に自生するサツキツツジ(単にサツキともいう)などが考えられます。
「風早の 美保の浦廻(うらみ)の 白つつじ
見れどもさぶし なき人思へば」河辺(かはへの)宮人(みやひと)(巻三―四三四)
「風が激しい美保の浦には、白つつじがこんなに美しく咲いているけれども、死んだ人のことを思うと、いくら見ても楽しい心にはなれない」と、ツツジの白い花に亡き人を思い、「見せてやりたかったのに……」と歌っています。
「たくひれの 鷺坂山の 白つつじ 我ににほはね 妹に示さむ」丹比真人(たぢひのまひと)笠麿(かさまろ)(巻七―一六九四)
「鷺坂山の白つつじよ、私の衣を白くしてくれたらそれを私のいとしい人に見せましょう」と妻への思いを歌っています。「栲領巾(たくひれ)」は女性の肩に掛けた長い布で、「たくひれの」は「かけ」にかかる枕詞(まくらことば)です。
――葛城山のツツジは自然に生えたのですか。
以前、山頂付近は笹(ささ)で覆われていたのですが、1970年頃に笹が花を咲かせ、後に一斉に枯れ、ツツジはその跡に自然に生えてきたものです。笹は自生力が大変強いので、以後はツツジを維持するため毎年笹刈りが行われています。
毎年、5月中旬、山肌が一面にヤマツツジの花で真っ赤に染め上げられ、その様子は、ヤマツツジの花ことば「燃える思い」の通りです。昔、麓の道から山を眺めた人が、山火事と間違えた、というエピソードも伝えられています。
――宮崎県えびの市のえびの高原には、火口から出る亜硫酸ガスで草木が枯れた後、ミヤマキリシマが自生しています。
幕末に坂本龍馬が新婚旅行で霧島を訪れた際、姉に宛てた手紙の中で「きり島つゝじが一面にはへて実つくり立し如くきれいなり」と書いていますね。1909年には同じく霧島へ新婚旅行に訪れた植物学者・牧野富太郎が発見し、「深い山に咲くツツジ」という意味で「ミヤマキリシマ」と命名したのです。
北海道から九州まで広く自生しているヤマツツジは、淡紅または朱色の花が野山一面に咲き誇り、見応えのある雄大な眺めを形成しています。
本州の静岡県以西から四国、とりわけ近畿地方に多く自生するモチツツジは、優しいピンク色の花に濃い紅紫色の斑点があるのが特徴で、ガクや花柄、若葉などの部分を触るとネバネバしています。名の由来はこの粘毛から付いたが、ずばり「ネバツツジ」と呼ぶ地域もあります。街中でよく見掛ける大輪の白い花で、上面に緑色の斑点がある「リュウキュウツツジ」は、このモチツツジから生み出された園芸品種です。東大寺と興福寺の間にある依水園や天理市の長岳寺もツツジの名所です。

――「葛城の道」は古代史のロマンに満ちています。
大和平野の西南に位置する当地は古代豪族の本拠地で、数々の神話や伝説が残されています。葛城山は修験道の祖・役行者が修行を積んだ山で、古来の神道と仏教がここで融合しました。
役行者は少年の頃から葛城山や金剛山の獣道を縦走し、滝行をしていました。16歳で山背国(後の山城国)に志明院(しみょういん)を創建し、17歳で元興寺で孔雀明王の呪法を学び、熊野や大峰の山々で修行を重ね、吉野の金峯山(きんぷせん)で金剛蔵王大権現を感得し、修験道の基礎を築きました。
――山の宗教と言われる日本の宗教を代表する人物です。
身近な花や草木に思いを託して歌った万葉人の心も、日本的な風土から生まれたものですね。人と自然との関わりは万葉の昔から今も変わらず、日本人の暮らしに息づいています
【メモ】葛城の道を歩きながら、最初の水田は灌漑(かんがい)施設を造りやすい山裾だったのだろうと思った。山から流れる水を田に導く水路を設ければいいからだ。それが奈良盆地東部の大和王権の地では、箸墓古墳のように広大な堀が築かれるようになる。前方後円墳の目的は水田用のため池だったとの農業技師の説があり、鉄器などの技術革新がそれを可能にしたという。今では栓をひねると水が出る田んぼで米づくりをしながら、農業の歴史を思う。