
東京地方裁判所はこのほど、世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)への解散命令を決定した。西洋の宗教思想史やオウム真理教などの「カルト問題」を研究してきた宗教学者の大田俊寛氏に、解散手続きの正当性、信教の自由とは何か、家庭連合の問題点などについて聞いた。
(聞き手・豊田 剛)
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宗教問題解決の手続きに疑問
――東京地裁による家庭連合への解散命令の決定について感想は。
まず全体として言えば、「なぜこれほどまでに手続きを急がなければならないのだろうか」という印象がある。信教の自由とは、しばしば「人権の中の人権」と呼ばれるほど重要なものであり、近代国家の存在意義自体とも密接に関連している。
情報を可能な限りオープンにしながら慎重に状況を吟味し、議論と熟慮を重ねた上で決定を下すべきだったのではないか。家庭連合の信者をはじめ、多くの人々にとって腑(ふ)に落ちる決定を提示できていないようであれば、最終的な問題の解決には繋(つな)がらず、後顧の憂いを残す可能性もある。この決定が将来、逆に問題を拡大・拡散させてしまうという結果を招くかもしれない。
――審理が一切公開されないまま、「推定有罪」の決定を下した。審理のやり方に問題はないか。
審理だけではなく、岸田文雄首相(当時)による突然の法解釈変更、文化庁における宗教法人審議会の議論、複数回にわたる質問権行使の経緯に至るまで、ほぼ全ての関連情報が非公開となっていることに、率直に驚いている。現在のところ、国家による対応が正当で合理的なものであったのかどうかを検証することさえできない状態にある。統一教会を巡る問題はきわめて多面的な要素を含むが、それらが十分に考慮されない状態で一気に結論まで行ってしまったことに強い違和感を覚えている。
宗教問題が生じた場合の国家対応の理想的な形態とは、被害者側と教団側の双方から十分に聞き取りをした上で、まずは教団に対して適切な「是正勧告」を行い、それでも改善が見られない場合は一定の「観察処分」を下し、どうしても問題が解決しない場合は最終的に「解散命令」に踏み切るといった、慎重で柔軟な手続きを踏むことにある。ところが今回の日本政府の対応は、遺憾ながらこうした理想的な形態から大きく外れてしまっているのではないだろうか。
――地裁決定は、信教の自由を禁止・制限するものではないとしているが。
拙著『一神教全史』の中でも触れているように、近代的な信教の自由のあり方について最初に明確化したのは、17世紀のイギリスの哲学者ジョン・ロックが著した『寛容についての手紙』という論文だ。この中でロックは、通常状態においては政教分離を維持し、国家は宗教の領域に介入するべきではないが、特別な場合、すなわち、社会秩序が根本的に乱される場合や、国民の生命・財産が毀損(きそん)される場合には、国家は宗教問題に介入しなければならない、と述べている。
そうした際には当然ながら、信教の自由に対する一定の干渉や侵害が生じることは避けられず、国家はそのことを十分に理解・覚悟した上で、合理的で最低限の介入を行うように心掛けなければならない。今回の家庭連合のケースで言えば、国が同団体に対する介入を開始した時点で、信教の自由に対する干渉や侵害はすでに起こっている。
ところが地裁決定文では、法人の解散命令にまで踏み切っているにもかかわらず、結論部において、「宗教法人及び信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではない」と記されている。
宗教思想史を研究してきた立場から言えば、この文言には首を傾げざるを得ない。医療に喩(たと)えて言えば、医者がメスを振るって大手術を行ったにもかかわらず、体は傷つけていない、痛みを感じるはずがない、と書かれているような印象を受ける。
宗教法人解散が容易に
――地裁決定が今後、他の宗教団体などに影響を与える懸念は。
近代国家の原則に照らして言えば、特定の宗教団体のみを狙い撃ちにするということは許されない。家庭連合に対して示した原則を、他の宗教団体に対しても一律に適用する必要が出てくる。とはいえ、今回の解散命令は明らかに、安倍晋三元首相殺害事件以降に巻き起こった世論の波を受けて決定されたものなので、直ちにその他の宗教団体に影響が及ぶ可能性は低いのではないか。
さはさりながら、今回の政府対応によって宗教法人解散のためのハードルが著しく下がり、しかもその条件が不明瞭になってしまったことは否定できない。これまで非公開で進められてきた一連の手続きの内情をいずれ全て公開し、果たしてそれらは本当に適切であったのか、これからはどうするべきかを、改めて検討する必要があると思う。