トップオピニオンインタビュー音楽こそは世界共通語 いいか、男は生意気ぐらいが丁度いい 作曲家 山本 寛之氏に聞く 【持論時論】

音楽こそは世界共通語 いいか、男は生意気ぐらいが丁度いい 作曲家 山本 寛之氏に聞く 【持論時論】

Kポップが流れている東京・JR新大久保駅界隈(かいわい)。その駅前の大通りから外れた閑静な住宅街の一角に、その音楽事務所はあった。独学で作曲家になり、90歳までは歌を作り続けたいという作曲家・山本寛之氏に音楽へのこだわりを聞いた。(聞き手=池永達夫、日本伝統文化コーディネーター・藍川裕)
Kポップが流れている東京・JR新大久保駅界隈(かいわい)。その駅前の大通りから外れた閑静な住宅街の一角に、その音楽事務所はあった。独学で作曲家になり、90歳までは歌を作り続けたいという作曲家・山本寛之氏に音楽へのこだわりを聞いた。(聞き手=池永達夫、日本伝統文化コーディネーター・藍川裕)
Kポップが流れている東京・JR新大久保駅界隈(かいわい)。その駅前の大通りから外れた閑静な住宅街の一角に、その音楽事務所はあった。独学で作曲家になり、90歳までは歌を作り続けたいという作曲家・山本寛之氏に音楽へのこだわりを聞いた。(聞き手=池永達夫、日本伝統文化コーディネーター・藍川裕)

――「男は生意気ぐらいが丁度いい」の歌詞で有名な「野風増(のうふぞ)」は、河島英五さんの歌が知られていますが、彼自身の作ではなく山本さんのカバー曲だったのですね。

「野風増」は息子のために作ったものです。何もしてやれない父親だったが、息子が20歳にでもなったら、一緒に酒を酌み交わしたいものだとかねがね思っていました。そうした思いを話して詩を伊奈二朗氏に書いてもらったのです。それを、1980年に私が唄(うた)って発表し、6年後にレコード会社がそれぞれ発売しました。

歌というのは1人だけで作るものではありません。私の場合は大半は、8割方は書いている詩を、作詞家に手を入れてもらっています。自分一人で作ると五、六十曲で言葉も行き詰まるのです。

しかも私の場合は、曲が先行するケースが多いから、8割以上、その曲に合わせて言葉を入れていく必要があったのです。そういうふうにすると、いろんな作品ができるのです。

結局、「野風増」は河島さんだけでなく、橋幸夫さんや財津一郎さん、デューク・エイセスさんなども歌ってくれて十人十色の歌になりました。息子のために作った歌が、こんなに多くの人に歌われ聴かれようとは思いもしなかったことです。

「ノフーゾ」はイタリア語でも「真っすぐに行け」という意味になるそうで、イタリア語でも意味が通じるのです。

なお遠藤実先生までは曲も詩も書ける人が多くいましたが、以後は勢力争いのような場になり、酒の場やゴルフでうまく付き合って営業力のある人が伸びて、譜面とか勉強しないという弊害が出てきています。

作曲家協会は昔、750人程度いましたが、今は400人を切っています。

――岡山地方の方言で生意気だとか突っ張るという意味がある「野風増」は結局、この歌で津軽弁の「じょっぱり」や熊本弁の「もっこす」同様の全国版になりました。ところで山本さんは、音楽は独学だったということですが、どういう勉強をされたのですか。

写譜です。楽器ごとに書いていきます。

そもそも楽譜には、浄書(じょうしょ)と写譜の2種類があります。

浄書というのは、音楽の教科書に掲載されていたりする、すでに完成された楽譜のことです。普通の人が楽譜と聞いてイメージするものです。

一方、写譜というのは音楽番組やコンサートなどの現場で、主にプロのミュージシャンが使う楽譜を作る仕事です。作られた楽譜は、丁寧に書き上げられてはいても、その場限りのものがほとんどで、その後、使われることはほとんどありません。

――写譜時には、頭の中で音を出しているのですか。

いや、ただ写すだけです。

一音でも間違えると、音楽が壊れますから信頼されない人は書かしてもくれません。

30代には格安チケットで欧州などに行って、いろんな情報を取ってきて勉強してきたりもしました。

スペインが大好きで、37回くらい行っています。

――スペインの音楽は、他国のものとは違うのですか。

違います。いかにもラテン系で明るいのですが、森進一さんみたいな歌も歌うのです。そういう音楽に惹(ひ)かれたのです。

観光客は夜の12時までにはホテルに帰ってしまいますが、その後に現地のトップクラスの歌い手が歌うのです。その歌が、森さんのような心情がこもったものが多いのです。

それが言葉は分からなくても、通じるものがあるのです。音楽こそは世界共通語なのです。国境を超え、世代も超えるのです。

ポルトガルもそうです。19世紀中ごろ、ポルトガルの首都リスボンの下町から生まれた民謡や舞踊のファドがいいのです。ギターや大型マンドリンを伴奏とする女声の独唱が多く、アラブ音楽の影響も強いのですが心に沁(し)みるような音楽です。

私は日本人だから、日本のものを作ろうとしてきましたが、スペインやポルトガルの音楽に学ぶ機会が多くありました。

現地の人たちは、あなたは日本人だから日本の歌を聞かせてくれと言って向こうで歌ったりもしました。言葉での会話も意義深いものですが、歌で交流することで魂と魂が触れ合う方法もあるのです。

そうした研鑽(けんさん)を重ねながら、アレンジャーの仕事に入っていきました。

――アレンジャーというのは、どういったものなのでしょうか。

作曲家の作った楽曲の前奏、伴奏、間奏を行う仕事です。作曲家が作ったメロディーにハーモニーやコード、リズムに変化を加えたりして楽曲を仕上げるのです。どのような楽器を使用し、どのように組み合わせて演奏するかを考え、一つの曲を演奏・レコーディングできる状態に仕上げていくのです。

だから譜面が書けない人、イントロ、間奏を作れない人、オーケストレーションができない人はアレンジャーにはなれません。およそ1曲仕上げるのに、130万円から160万円かける編曲は、その信用を全部背負っているのです。

忙しいときの写譜は、2人ぐらいで書き上げないと間に合いません。

私は写譜をやったおかげで、映画やドラマの音楽制作など幅広い仕事をさせてもらうようになりました。

80年秋から翌年にかけ半年間、テレビ放映された西田敏行さんの「サンキュー先生」の主題歌なども全部やりました。だから別に学校に行かなくても、好きなことだったらできるのです。

それで芸大の先生とも何度も喧嘩(けんか)しましたね。私たちの作るものを「くだらない」と言うからです。

「それじゃ先生方は何を作るのですか」と聞くと「ショパンの……」などと答えるだけです。

しかし、それは既にあるものでしかありません。私が作り出したいものは、創造的なもので独創性と日本的なものを含んだものなのです。

【メモ】写譜の寿命は、ほとんど一夜限りだとされる。新聞もそうだ。深夜に印刷された朝刊は、昼すぎにはゴミ箱行きだ。通勤客を乗せた電車の網棚にも、捨てられた新聞がある。写譜も新聞も商品としての腐敗は早い。その写譜から身を起こした山本さんに、ぐっと親近感が湧いてきた。

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