家が写真屋だったからカメラは小さい頃から馴染(なじ)んでいた。だが、家業を継ぐ気はさらさらなかった。そのカメラを片手に東京を拠点として世界60カ国以上を旅しながらシャッターを押し続けた写真家の井上和博氏に、何に焦点を合わせ、どう撮ったのか聞いた。(聞き手=池永達夫)
――どういう気持ちでカメラを持つのか。
カメラマンとしてのモチーフは、面白いトップを撮りたいというものだ。
アメリカに面白い奴(やつ)がいるなと思って、訪米して米不動産王ドナルド・トランプ氏を撮りに行ったことがある。その時は不動産屋だったから簡単に会えた。レーガン政権末期の1988年6月10日、トランプ氏の42歳の誕生パーティーを取材した。
当時のトランプ氏の資産は50億㌦。ニューヨーク・マンハッタン5番街のトランプ・タワーの他、4軒のカジノとプラザホテルなどを所有していた。アラブの武器商人のカショーギ氏が所有していた「世界一豪華」な3000万㌦のヨットを購入し「トランプ・プリンセス」と改名した。その「トランプ・プリンセス」にも乗船し、トランプ氏から、船に付属したヘリに乗って「上から写真を撮って来い」と言われたりもした。

この頃から彼は、いずれ大統領選に出馬すると表明していた。派手好きで「世界一」が好きなトランプ氏は、マネーゲームによる拝金主義が横行した80年代のアメリカの象徴的存在だった。今のメラニア夫人は3番目の妻だが、その時は最初の元モデル・イバーナ夫人だった。
テレビとか新聞に載るようなよそ行きの写真よりも、俺は私生活を撮る方が好きだった。
――トランプ氏に対してもそういう写真を撮ったのか。
生活感のある写真をバチバチ撮ったが、家の中は撮れなかった。シャワー浴びてるところとかの絵も欲しかったが、アメリカ人はなかなかそういう写真は撮らせない。
――風呂場写真では日本人を結構、撮っている。
元首相の中曽根康弘氏だとか日本船舶振興会会長だった笹川良一氏だとか、いっぱい撮った。中曽根氏とは一緒に草津の温泉に入って、秘書にカメラを持たせて撮った2ショット写真まである。
笹川氏なんか、「おー撮れ」と言って、一物をブラブラさせたままなので「タオルを巻いて」と頼み隠してもらった。笹川氏、86歳の時だ。大物はおおらかなものだ。
「世界は一家、人類みな兄弟」のテレビCMで知られた笹川氏は、実に風変わりな「日本のドン」だった。その笹川氏を撮り始めたのは78年。船舶振興会に1年間頼み続け、やっと許可が下りた。
笹川氏は実に忙しく動き回る。どうしてそんなに仕事をするのか聞くと「休むのは死んでからでいい」と答えた。笹川氏はサービス精神が旺盛で「何か面白い写真、撮らせて」と頼むと、鎮江夫人の膝枕で耳かきをしてもらう構図を作ってくれた。笹川氏に「台所仕事しないの」と聞くと、「よし、やろうかい」と皿洗いなどしてもくれた。
ロッキード事件の黒幕だった児玉誉士夫氏の私生活を撮りたかったが、それは無理だった。ただ積雪の中行われた児玉氏の葬儀で、笹川氏が児玉氏のデスマスクに手を触れている写真は撮った。その時、笹川氏は「今日の真っ白な雪は、お前の潔白を証明している」と歌舞伎役者の見得を切るような演技がさっとできるところがすごい。
――個人写真を撮る流儀は。
写真撮影に臨む時、こちら側から決まって条件を付ける。台所でかみさんと夫婦で撮らせてくれというものだ。秘書とか従業員だけだといいことしか言わない。真の姿を知るには夫人が一番いい。だから本人がいないところを見計り「こんにちは」と言って夫人を訪ねる。それで「家では暴力を振るうことはないのですか」などと聞いたりする。すると気を許せば、いろいろ喋(しゃべ)ってくれる。本当のところは夫人が一番、よく知っている。笹川氏なんか、「外では格好付けていますが、パンツにうんこ付けて帰って来る」とか。こういう話は、夫人に直接会わないと聞けない。
山口百恵ちゃんとも東京・高輪で一緒にテニスやりながら、写真を撮った。俺のテニスは全くへただったが、彼女が引退するまで撮れた。
当時は面白く玄人受けする写真週刊誌があった。「フライデー」は芸能人中心だったが、「フォーカス」は財界人とか政治家もやっていた。
「フォーカス」では、中川一郎氏が国会で立ちしょんしているワンショット写真を掲載した。
あれは1982年7月、中川氏を取材していた時だ。当時、科学技術庁長官を務めていた中川氏は57歳。若手タカ派グループ青嵐会の中心人物であり、秋に予定されていた総裁選への出馬が囁(ささや)かれていた。
俺は1週間、中川氏に密着取材した。中川氏は多忙を極めていたが、派閥議員や講演会のパーティーには顔を出し、会合も多かった。中川氏は酒が入ると「星影のワルツ」の替え歌で「仕方がないんだ国のため」と歌い、声帯模写で田中角栄氏のだみ声を真似(まね)てみたりもした。

ある日の午後、大臣専用車の後をついて行くと、国会の中庭で停車した。そして「ちょっとトイレ行ってくるわ」と、すたすたと植え込みの方に歩いて行った。だが周囲にはトイレはないぞと思って、ピンとくるものがあった。俺はすぐカメラを構えて後を追った。彼は「神奈川県 いちょう科 いちょう」の立て札のある木の下で、ズボンのジッパーを下げ立ち小便を始めた。そのまま中川氏は手も洗わず米大使館に直行し、マンスフィールド駐日大使と握手している。
これが当時、「こらー! イッちゃん」のタイトルで写真週刊誌「フォーカス」の紙価を高めた立ち小便写真だった。
現場は神奈川県の木のそばだったから、何でうちの木にするのかといって神奈川県の人たちから怒られている。
――シャッターチャンスを逃さないためには勘が良くなくてはいけない。
死ぬまで撮ってやろうという意識があるから、すべてを追いたくなる。だから怒る顔と笑う顔は絶対、撮るようにしている。
【メモ】井上氏は待ち合わせの新宿駅南口に、杖(つえ)を突いてやって来た。脳梗塞に脳腫瘍と立て続けに大病を患ったばかりだった。「本当は昨秋、トランプの所に行きたかった。でもこの体じゃなー」とリハビリ中の左手を見詰めた。「あんな面白い大統領はいない。変なのばかり集まるアメリカというのは、だからこそダイナミズムがある」とも語った。いやいや井上さん、あなた自身が十分面白い。