両親と姉、妻をがんで失い、自身も末期の悪性リンパ腫で余命宣告を受けて、抗がん剤治療などで寛解した。そうした家族や自身の闘病体験などを綴(つづ)った『がんから学んだ 幸せの道』の著者・本居弘志(もといひろし)さんに、体験談やがんとの向き合い方などを聞いた。(聞き手=佐藤元国)
――がんでご家族を失われました。
私の家族は両親と姉2人と私の5人全員ががんを患い、父、母、一番上の姉の3人が70歳を過ぎて帰らぬ人になりました。私の妻も40歳で乳がんになり、その後、肺がん、リンパがん、肺がんと3度も再発を繰り返し65歳で人生の幕を閉じました。
私も2022年の7月18日、激しい腹痛に襲われ救急車で運ばれました。検査の結果、末期の悪性リンパ腫と言われ余命宣告を受けました。しかし、幸いなことに抗がん剤治療が終了した後、寛解と言われ現在は元気に仕事をしています。良くなった理由はいろいろと思い浮かびますが、何よりも身近な家族の体験や多くのがん患者と接した経験があるからだと思います。
――がんだと宣告された時、どんなことに気を付けるべきですか。
がんに体も心も奪われない、自分も人も神様も喜ぶ幸せな最期を迎えることです。
今や2人に1人ががんになる時代になって、長年の研究も進み末期のがんでも回復できるようになりました。しかし、余命数カ月と死の宣告をされたらどうでしょうか。戸惑いや動揺で終活への深慮ができずに時間だけが過ぎ去ってしまいます。病状が悪化した最期の状態では、患者は物事を理解することが難しくなります。ましてや痛みや苦しみで朦朧(もうろう)とした中でのお別れの言葉などは、虚(むな)しいものになりやすいのです。だからこそ、がんという診断が出たら、本音で話し合う時間を取ってほしいのです。
父が65歳で大腸がんになった時、医師に「手術すれば大丈夫、人工肛門になりますが、慣れれば生活に支障はありません」との説明を受けました。元気に戻るのならとがんを告知することは止(や)めて、医師も家族も全員口車を合わせて、がんではないと言い張りました。父は信じました。しかし、その結果、体が元気になると酒とタバコを再開しました。がんではないと言っていたせいで、健康指導などを真剣に受け止めてもらえず、2年後にがんが再発して再手術することになってしまいました。そのことをすごく後悔しました。
もう一つの後悔は、すい臓がんの母に余命告知ができずに、治る見込みがあると嘘(うそ)をついたことです。急変して苦しむ母を前にして初めて「お母さんの子で嬉(うれ)しかった。ありがとう」の言葉を伝えました。母は頷(うなず)いてくれましたが、どれほど心が通じたのか分かりません。
姉も70歳で甲状腺がんと肺がんを発症しました。進行が早くて、発見して半年で亡くなりました。だから、家族の体験からがんの怖さを知りましたし、死が迫ったがん患者に何をすべきかを教えてもらいました。今は、ありがたい経験をさせてもらったんだと思っています。
その経験からアドバイスするなら、がんは、心筋梗塞や脳梗塞などの突然死の病気と違い、生き続ける時間的ゆとりがあります。家族ががんになったら、「本音で語り合う時間や家族と出掛けるとか、楽しい集まりをしなさい。行きたい場所に連れて行ってあげなさい」と言うようにしています。
――奥さんの時は、どのようにされましたか。
妻は40歳の時に乳がんで左乳房を全摘しました。治療の予後も良く9年間は元気に過ごしましたが、肺がんを再発してからは、リンパがん、肺がんと再々発を繰り返しました。がんの再発治療で入院した妻の願いが、いつも傍(そば)にいてほしいことだと分かると、120日間も毎日病院に通い続けました。最期の時に集まった家族や友人を前に疲れも見せずに語り合い、「ありがとう」の感謝の気持ちを伝えました。妻は「疲れたから休むね」と言って静かに眠りに就いてくれました。
――自分ががんになった時は、どのようにしたのですか。
少し前から体の調子が少しおかしく、疲れやすくなっていました。それでも直(す)ぐに良くなるだろうと思っていたのですが、予想に反して悪くなる一方でした。食欲が減衰し、体力も落ちていきました。そして急に激しい腹痛を感じて、救急車で搬送されました。
検査の結果、末期の悪性リンパ腫と診断、何もしなければ余命数カ月と告げられました。入院を即座に求められましたが、抗がん剤の治療の進捗(しんちょく)次第では退院できないかもしれないと直感し、3日の猶予が欲しいと哀願して、許可を得ました。
2日間はお店への指示やお客さまや親族、友人約200人以上に電話やメールをしました。仲の良い人だけでなく苦手な人、疎遠な人にも連絡を取りました。初期がんであると偽り、遺言のつもりでお礼の気持ちやこれまでの失礼を詫(わ)びました。すると皆さんからの優しい言葉が返ってきて、逆に胸が熱くなって涙が零(こぼ)れました。最期の1日は子供や孫たちと一緒に植物園で楽しみました。孫の頭をベッドから撫(な)でるのと、抱っこするのとでは、幸せ度が大きく違います。整理の時間を頂けたことで、身も心も解放され感謝の心が湧いてきました。
多くの人のたくさんの愛を感じたことで、治るためなら何でもやると心に決めて、「ありがとう」と言って亡くなった妻のようにかっこ良く死にたいと思えました。抗がん剤に負けない生命力アップのために、高麗人参(にんじん)茶をたくさん飲み、食養生することにしました。すると奇跡のような出来事が数々起こり、23年2月、抗がん剤治療終了後に寛解と告げられました。
今回、そうした体験から、多くのがん患者に後悔をさせたくないと、これまでの体験から学んだ幸せの道を伝えたくて本にしたためさせてもらいました。
【メモ】 がんという身近な大病から回復した体験に勇気づけられると共に、人生の最後をどのように過ごすべきかという終活の心得までも示唆してもらったような気がした。人や全ての物事に感謝するというのは、自分の心の整理を付けるということなのだと教えてもらった。