2024年の政局は大きく揺れた。自民党派閥の政治資金パーティー収入の報告書不記載問題で世論の逆風が吹き、自民の支持率が低下。首相が岸田文雄氏から石破茂氏に交代した。秋の衆院選では自公が過半数割れし、30年ぶりの少数与党となった。安全保障環境の厳しさが増す中、石破政権は25年、どう難局を乗り切るのか。政治評論家の髙橋利行氏に聞いた。(聞き手=豊田 剛)
――今年は戦後80年の節目の年。これまでの日本の政治をどう総括するか。
今までの自民党政治、日本の政治の状況は、自由党と日本民主党の保守合同以来、あまりにも良過ぎたと言える。戦後、非自民政権は、細川護熙政権と民主党政権を含めわずか4年ほどの期間しかない。自民党の一党支配あるいは自公連立の安定した政権が続いてきた。
国際情勢を見ても、中国、ロシア、そして北朝鮮という危険な隣人がそばにあるにもかかわらず、戦火に見舞われることもなかった。日米安全保障条約が締結され、強固な日米同盟があるから、戦後80年を平和裏に過ごすことができた。これは日本にとっては幸運なことだ。
世界の政治史を見ると、だいたい20~30年に1回ぐらい危険な時代があるのだが、80年間ずっと平和で経済もかなり発展し、国民は安心して過ごすことができた。そのため、日本は十分とは言えないものの国際貢献ができるようになり、敗戦国の立場から一気に国際的な指導力を持つまでになった。これは日本の政治が安定していたゆえんだ。
ところが、それだけに国民は平和慣れ、平和ボケしており、危機に対する感度に鈍さがある。決して何も起こらないという考えは、元寇の時の神風と同じだ。何があってもどんな危険があっても日本の場合は何もしなくても必ず神風が吹いてくれるという発想にずっとしがみつき、国民の自主性・自立性・独立性がなくなってしまったと感じる。それがまさに21世紀になってから問われている。
今や、いつ戦争が起こるか分からない時代になった。国連安保理常任理事国のロシアが率先して戦争を始めたものだから、世界の秩序が壊れてしまった。これを日本が積極的に関与して組み立て直さないといけない。
戦争も武器も何もないのがいいという単純な話ではない。日本もきちんとした一定の軍事力・自衛力を持つことが必要になる。そのためにはまず憲法を改正しないといけない。日本の自衛力を強化して米国ばかりに負担をかけさせないようにする。アジア、さらには国際社会全体で一定の発言力を持つこと。これは日本がなさねばならぬことだ。
自衛隊の戦力、世界に貢献する役割を憲法に明文化しなければいけない。いつまでも安全保障を米国や他国に頼っていながら、実体が憲法と違うのであれば世界から信用してもらえなくなる。ダブルスタンダードではいけない。
日本は外に守ってもらった一方で、内輪もめのような状態にある。コップの中の小競り合いの状態で、経済的恩恵にあずかっている。こうした中、一昨年から昨年にかけて、自民党派閥のいわゆる裏金問題が起きた。日本が安全だから小さなことでも大きく騒いでいる。世界的な危機の真っただ中にいれば誰も問題にしなかったのではないか。内輪の政争・政治体制、党利党略はそろそろ清算して、日本のこれからの在り方を考えるべきだ。そういう一歩を踏み出すべき時だ。
石破首相は今の少数与党の状態で世界に貢献できるような国になれるかどうか、長い間見ておく必要がある。他国につけ込む隙を与えないようにするのが石破政権の喫緊の課題だ。
――自民党派閥の政治資金問題で自民党が支持を失っている。「政治とカネ」の議論をどう考えるか。
自民党の政治は薄汚れたカネとは縁を切っても切れない。金権政治によってゆがめられたという時期が時々あった。自民党はずっとある意味うやむやにしてきた。誰かが責任を取って辞任するとか誰かが検察庁に捕まることによって、その場をしのいできた。こうした問題があっても自民党に政治を任せようというのが世論、民意だった。政治は自民党にしか任せられないというふうに進んできた。
日本は安倍晋三首相とトランプ米大統領との非常に強固な個人的な関係によって発言力が増した。安倍氏は欧州など他の首脳に対して助言者になり、世界において一定の地位を確保できた。非常に良い地位を占めたところで安倍派の裏金問題が起きてしまったからといって、全部チャラにするというのは違う。
支援者らは、安倍派に力を持ってもらいたい、議員を育てたいという思いでパーティー券を買っている。そのお金をどう使うかは本来、安倍派に任せられる問題で、政治不信に直接つながるものではない。本来はこの事件は形式犯。政治資金収支報告書に記載しておけば何の問題もなかった。議員は特権階級であるから、それに見合った義務を果たしてもらいたい。
理念だけではなく現実を見ながら政治をしなければならない。お金を使わずに政治をしろというのは無理な話だ。政治改革は一足飛びにはできない。1989年に「政治改革大綱」を作った時には少し良くなったし、今度は政治改革3法ができた。全体として少しずつ綺麗(きれい)になっていけばいい。