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無理やり押さえ付けられ麻酔 臓器狩りから唯一生き残った! 米国亡命法輪功学習者 程 佩明氏に聞く【持論時論】

チェン・ペイミン 1965年、黒竜江省鶏西市生まれ。98年から法輪功の修練を始め、公安に5回連行され迫害を受け、2001年12月に8年の刑を言い渡される。04年11月に大慶第四病院での臓器摘出手術で肝臓と肺の一部を切断される。06年に逃亡に成功し15年に中国を脱出、タイを経由して20年に米国亡命を果たす。
チェン・ペイミン 1965年、黒竜江省鶏西市生まれ。98年から法輪功の修練を始め、公安に5回連行され迫害を受け、2001年12月に8年の刑を言い渡される。04年11月に大慶第四病院での臓器摘出手術で肝臓と肺の一部を切断される。06年に逃亡に成功し15年に中国を脱出、タイを経由して20年に米国亡命を果たす。
「良心の囚人」だった法輪功学習者の程佩明氏は2004年11月16日、中国黒竜江省の大慶第四病院で麻酔薬を投与された後、肝臓の一部と肺の左下葉を強制的に摘出された。臓器狩りから生還した程氏が、自らの体験を語った。インタビューは亡命先の米国と東京をリモートで結び行われた。 (聞き手=池永達夫、写真は程氏提供)

肺と肝臓の一部摘出される 足枷でベッドに固定

――逮捕された時、令状はあったのか。

突然、踏み込んできて逮捕令状なしで強制連行された。中国政府のやり方は、人権など考慮することなく強権を行使してくる。特に自分の信念を曲げない法輪功学習者に対しては、問答無用の荒手で拘置所に放り込む。

直ちに裁判にかけられ2001年12月、8年の実刑を言い渡された。私は法輪功迫害の実態を人々に伝えただけだったが、裁判所はこれを咎(とが)めた不当判決だった。服役したのは大慶刑務所だった。

――臓器摘出を受けた経緯は。

04年11月16日、刑務所は私への拷問を強化した。夜8時、彼らは私を大慶第四病院へ強制連行した。警官は私の家族に、私がカミソリの刃を飲み込み危篤状態にあって手術を必要とするが、手術による死亡確率は80%だ、と告げた。だが私には意識があったし、カミソリの刃を飲み込んだこともなく体調に変化はなかった。

彼らは私に手術に合意するサインを求めたが、私は拒否した。すると、警官が6人がかりで私を無理やり押さえ付け麻酔をかけた。目が覚めたのは3日後の19日だった。すると私の右足は病院のベッドに足枷(あしかせ)で固定され、片腕には点滴、両足には点滴カニューレが刺され、鼻には酸素チューブが差し込まれていた。

結局23日には、大慶刑務所に戻された。刑務所の診療所で12月2日、切開した腹部の抜糸が行われ、担架で監房に運ばれた。私は手術後、毎日せき込むようになり、左肋骨(ろっこつ)が痛くてしびれ、起き上がることもできなかった。

――中国では基本的人権の尊重というものが欠落している。

唯物論者で構成される共産党独裁政権には、そもそも生命(いのち)の尊厳などを認めた人権尊重は存在しない。権力を握った共産党政権にとって国民は、自分たちの生命体を維持する肉体のパーツとしか見ていない側面がある。

――逃亡できたのは。

脱獄はほぼ不可能だ。逃亡できたのは病院に再び送り込まれたからだ。彼らはもう一度、臓器狩りを試みようとしたと思う。

06年3月2日、刑務所から大慶龍南病院に強制連行された。医師から「手術が必要だ」と言われたが、その時の体調は先回同様、異常はなかった。

その夜の3月3日午前2時、2人の警備員が見張っていたが1人は眠りこけていた。もう一人の警備員に「トイレに行きたい」と告げるとベッドの鉄柱に掛けていた足枷を外してくれた。

そして、トイレから帰ってドアを開けるともう一人の警備員も寝ていた。そっとドアを閉め、ゆっくりと非常階段を下り逃亡を図った。このチャンスを外したら二度と逃げられないと覚悟した。

その後、地元の公安は市の全域を捜索。公安部は5万元(約110万円)の懸賞金を懸けて指名手配したが、私は他の法輪功学習者の助けを得て黒龍江省からの脱出に成功した。

――亡命ルートはどういった国を経由したのか。

黒龍江省から南下しタイ経由で米国に亡命した。中国から脱出できたのは15年だった。

肝臓と肺の一部を強制摘出された程さんの左胸には35センチの傷跡が残っている
肝臓と肺の一部を強制摘出された程さんの左胸には35センチの傷跡が残っている

――中国とタイは国境を接していない。タイ北部のチェンライまで雲南省のメコン川を下ったのか、それともラオスかミャンマー経由でタイに到着したのか。

詳細は言えない。具体的なルートを明らかにすると、助けてくれた仲間に迷惑がかかる。中国の公安はあらゆる情報をかき集め亡命ルート潰しに躍起になっている。

――最初に臓器狩りに気付いたのはいつ。

手術の間、銃を持って警備していた警官の趙(チョウ)は、刑務所に戻り仲のいい受刑者に「看護師長から『30年間医療に携わってきたが、移植手術に出くわしたのは初めてだった』と聞いた」と話していた。受刑者たちは、このことを1年間話し続け、私が移植手術を受けたことをみんな知っていた。

そして逃亡中の06年3月9日、法輪功の明慧(ミンファ)ネットで、学習者が臓器を収奪された記事を読み、底知れない闇を見たような言い知れぬ恐怖を感じた。そして病院での体験を思い出すと、身体が震えだした。それ以後の2カ月間、服を脱いで寝る勇気がなかった。メスが入った手術跡を露呈させることで、臓器狩りの事実と直面することが怖かったのだ。

ただ当時はあくまで確信的臆測だったが、20年に、亡命した米国でCTスキャン3回、超音波検査3回、X線検査2回、MRI検査1回と、総計9回の医療画像検査を受けた結果、肝臓の一部と左肺の下部が欠損し強制的に摘出されたことが確認された。この時、初めて04年に大慶第四病院で受けた移植手術の意味を理解した。

――現在の体調は。

まだ左腕と肋骨に鈍い痛みが残っており、特に雨の日や疲れている時など、鋭い痛みが走ることがある。

――中国では基本的人権が尊重されていない。

【メモ】臓器の強制摘出手術という臓器狩りは、社会の表に出すことができない中国の裏ビジネスだ。それ故に証拠隠蔽(いんぺい)を図るため一度、体にメスを入れられた人物の中に生存者は基本的に存在しない。その意味でも部分移植や不適合臓器などの特殊な事情で、程氏の臓器は全摘されることなく、生き残ることができたというのは、監視国家中国で10年間の逃亡生活を耐えたのと同様、奇跡的な出来事だ。

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