Homeオピニオンインタビュー【世日クラブ講演要旨】現実に合わせ法整備急げ 「先の大戦の教訓から学ぶ日本の国防」 東洋大学名誉教授 西川 佳秀氏

【世日クラブ講演要旨】現実に合わせ法整備急げ 「先の大戦の教訓から学ぶ日本の国防」 東洋大学名誉教授 西川 佳秀氏

世界日報の読者でつくる「世日クラブ」の定期講演会が12日、オンラインで開かれ、東洋大学名誉教授の西川佳秀(よしみつ)氏が「先の大戦の教訓から学ぶ日本の国防」と題して講演した。中国の脅威が高まり、東アジア有事の事態が懸念される今、失敗の歴史に学ぶ意義は大きい。西川氏は政治と軍事、両面から太平洋戦争の戦い方の問題点を説明し、自衛隊を取り巻く法体系について「もっと簡単でシンプルな法体系でなければ軍事機構は機能しない」と指摘。将来のためにも今の憲法を現実に合わせて、急いで整備する必要があると語った。以下は講演要旨。
にしかわ・よしみつ 1955年、大阪生まれ。77年に国家公務員上級職試験(法律甲種)に合格。翌年大阪大学法学部卒業後、防衛庁に入庁。内閣安全保障会議参事官補、防衛庁長官官房企画官、防衛研究所研究室長などを歴任した。東洋大学名誉教授。 法学博士(大阪大学)、国際関係論MA(英国リーズ大学)。著書に『日本の外交戦略?歴史に学べ海洋国家日本の進路と指針』(晃洋書房)、『ヘゲモニーの国際関係史』(晃洋書房)など多数。
にしかわ・よしみつ 1955年、大阪生まれ。77年に国家公務員上級職試験(法律甲種)に合格。翌年大阪大学法学部卒業後、防衛庁に入庁。内閣安全保障会議参事官補、防衛庁長官官房企画官、防衛研究所研究室長などを歴任した。東洋大学名誉教授。 法学博士(大阪大学)、国際関係論MA(英国リーズ大学)。著書に『日本の外交戦略?歴史に学べ海洋国家日本の進路と指針』(晃洋書房)、『ヘゲモニーの国際関係史』(晃洋書房)など多数。

戦争の記憶風化が進み、世界情勢が問題になっている現代こそ、当時の戦争指導体制の分裂と対立の失敗の歴史から学ぶことは大きい。

軍事権と行政権は戦前にそれぞれが天皇陛下の統制下となったため、一般の行政部局が軍事に関与できない体制だった。制度上において、強権的な統制体制ではあったが、陛下はその大権を発動しなかったため、実際は新政府の幹部らが軍事と行政を統制していた。

日本が日清・日露戦争で勝利していた際の新政府の幹部らは、西南諸藩の下級武士出身が多かった。彼らは同じような体験を経て、同じ釜の飯を食べてきた仲間なので軍事と行政を上手く調整、統合できたが、世代が変わるにつれて、軍事と行政の間で橋渡しをできる人物がいなくなった。政府幹部の同質性が失われるや、日露戦後は、現職を離れた高官が元老となり、大所高所から政府に意見を具申する元老システムが政治と軍事を結び付けていた。しかし昭和になり西園寺公望(さいおんじきんもち)が死去し、元老システムも潰(つい)えてしまった。天皇陛下も大権を発動することがほとんどなく、軍事と政治が次第に分離するようになってしまった。

本来は軍人と行政官の両方で統治すべきだったが、軍側が行政を抑えるような形の国になってしまった。もし、当時の日本が憲法改正や解釈変更などで統帥権独立に修正を加えるなど行政と軍部の分裂状況を克服していれば、統一された国家の政戦略策定が可能だったが、それが果たせなかった。

戦前の戦争の失敗原因は、建前としての憲法モデルと実際の運用の間に大きな乖離(かいり)があったことだ。現実の戦争の様相や局面変化に応じて憲法改正をするなどして政軍一元主義を実現すべきであったが、それができなかったのだ。今の日本も同様の問題を抱えているように見える。

旧日本海軍は日清・日露戦争を経ることで力関係も次第に旧日本陸軍と地位が対等になっていき、軍に陸軍と海軍の二つの「幕府」が存在するようになった。陸軍は対ロシア、海軍は対米国を想定し、一つの国の中で限られた予算を奪い合う形となってしまった。互いに戦地での情報は渡さないなど対抗意識は終戦まで続き、日本の敗戦を早める結果になった。

現在では陸・海・空幕僚長の上に統合幕僚長もおり、自衛隊相互が激しく争うというようなことはない。ただ、防衛省は組織拡大や米国との行動を共にすることが増えた。文官で構成される内部部局の力が弱まったこともあり、防衛大臣は米軍主導の防衛作戦に対して、政治的な統制を発揮することはできるのだろうか。米軍の動向に引きずられてしまうのではないかと危惧している。

先の大戦で日本の将兵は大変劣悪な国法体系と軍事体制の中、最後まで非常によく戦った。日本が存続する限り、末代まで検証し続けるのは日本人としての義務であろう。

しかし、旧日本軍の組織的な問題も悲惨な戦争結果を招いた理由だ。戦争は相手との「押す」と「引く」の駆け引きだが、軍部は柔軟性がなく、「神州不滅で敗北なし」という教えの下で常に攻撃して前に出ることを強調し過ぎた。

無敗の教えしかないということは、負けたときや捕虜になったときの危機管理ができていないということだ。例えば、パイロットには打って出ることが重要で、ダメなら潔く自爆しろと教育するような無茶な戦い方をしていた。今の自衛隊は同じような間違いをするとは思えないが、同じ日本人のすることなので、安心し切ることもできない。

旧日本軍が組織的に悪かったこととして挙げられるのは「幕僚統制」もだ。これは軍トップの指揮官が作戦を立案するのではなく、幕僚が指揮官に代わって取り仕切るというもの。匿名性が高い幕僚は功績は自分のものとするが、失敗した際の責任は師団長や方面軍の司令官などが取るため、別の作戦でも同じような指導を続けることになる。特攻隊も実際には指揮官ではなく匿名性の高い幕僚が命じており、自らの罪を隠すための責任逃れのために、戦後、特攻隊員の死を美化している面があったように考えている。

旧日本軍だけでなく、今の日本社会の自衛隊や民間大企業、中央官庁なども企画や立案は下から上への形だ。今年に入って、実際に訓練していないのに手当をもらったりなどの自衛隊の不祥事が相次いで問題になったが、処分されているのは一般隊員だ。この問題は、誰がその闇手当を出すことを許可したのか名前が一切出ていない。今も責任の所在が曖昧で、ブラックボックスのようなものがある。

第1次世界大戦で本格参戦せず、近代戦体験が乏しかったことも問題だった。本格参戦しなかったことで、総力戦と長期戦への対応に遅れ、補給線を軽視してしまった。今の自衛隊はその特殊な立ち位置ゆえに、実戦経験がない。正面装備ばかりが優先され、現代のドローンやサイバーも含めたハイブリッド戦に対応できるのかは疑問が残る。実戦経験がないのであれば、中東やウクライナなどの戦場に観戦武官を派遣するか、戦場の部隊指揮官の話を聞くなど生の情報を取るべきでないのか。

組織の官僚主義化も問題だった。旧日本軍の幹部は学校では成績優秀だが、戦争が下手な人物が多くいた。本来、学者や官僚が適正と思われる人物が、家庭の事情などから軍の学校に入り、高成績で軍の主要幹部となってしまった。海軍で見ると、彼らエリートの軍官僚らは基本的に戦艦や巡洋艦等大きな船に乗り、駆逐艦等小艦艇には乗らなかった。また第一線部隊の指揮官職よりも大部隊の幕僚や軍中央の勤務が長かった。歴史を見ると危険を顧みずに、勇敢に戦ったのは学校の成績とは無縁だった駆逐艦の艦長たちに多かった。軍に多くの「官僚」を抱えたことが先の大戦に悪影響を及ぼしたのではないか。

また、太平洋戦争の頃には旧日本軍は70年近い歳月が経(た)っていた。旧日本軍が戦線を拡大し続けた理由の一つに、戦果を挙げられなかった部隊にも手柄を挙げさせるためというのがあった。どの組織も時間が経つと、その組織で働いている人々の互助会と化す部分がある。自衛隊も警察予備隊から70年。先ほど紹介した自衛隊の手当に関する不祥事も、組織の自己目的化による部分があったのではないか。

私が役人の頃は、非常に複雑な法解釈によって自衛隊の活動範囲を広げてきた。けれども、現在もなお法の制約が強いためドローン運用やサイバー攻撃などで、自衛隊の対処能力は非常に限られている。制約の多い法の問題を放置したままで、防衛予算を増やしても、日本有事や極東有事の際に問題が起きるのではないか。

国際情勢が緊迫の度を増しつつある今日、日本国憲法という不戦のモデルと精強な防衛力が求められている現実との乖離が大きいならば、憲法改正などを行い現実に即した規範に改めるべきだ。義務教育を終えた人が簡単に理解できるようなシンプルな法体系にしないと、軍事機構は機能しない。戦前の失敗を活(い)かして、現在の日本の国防力を真に活かすためには、日本国憲法を見直す必要があるだろう。

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