Homeオピニオンインタビュー【持論時論】「観相学」から「脳相学」へ―嘉祥流観相学会大導師 岡井 浄幸さんに聞く

【持論時論】「観相学」から「脳相学」へ―嘉祥流観相学会大導師 岡井 浄幸さんに聞く

おかい・じょうこう 1960年香川県小豆島生まれ。明治乳業中央研究所や文科省の外郭団体勤務を経て、2006年より嘉祥流観相学導主の藤木相元氏に師事。高野山真言宗で得度し、嘉祥流観相学会大導師として観相学、姓名学、脳相美容(ブレインフェイスメイクのアドバイス等)、観士、学士、導師を養成している。著書は、『運を呼び込む顔をつくる観相学』『眉を変えるだけでなりたい自分になれる!』『男は見かけで選びなさい』など多数。
おかい・じょうこう 1960年香川県小豆島生まれ。明治乳業中央研究所や文科省の外郭団体勤務を経て、2006年より嘉祥流観相学導主の藤木相元氏に師事。高野山真言宗で得度し、嘉祥流観相学会大導師として観相学、姓名学、脳相美容(ブレインフェイスメイクのアドバイス等)、観士、学士、導師を養成している。著書は、『運を呼び込む顔をつくる観相学』『眉を変えるだけでなりたい自分になれる!』『男は見かけで選びなさい』など多数。
達磨(だるま)大師に始まる観相学の伝統に脳科学の知見を加味し、現代的な嘉祥流観相学を創始した藤木相元導主が亡くなって10年。享年91なので生誕100年に当たる去年から、藤木導主の著書の再版が続いている。仏教の深い教えを脳科学で読み解き、日常の暮らしに生かせる平易な言葉で語られ、話題になっている。後継者の岡井浄幸大導師に藤木導主の教えのエッセンスを聞いた。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

――岡井さんが藤木先生に出会ったのは。

先生が84歳の時です。どこから見ても70代初めにしか見えないお顔のハリとツヤ、背筋をピンと伸ばした容姿に驚かされました。達磨大師を思わせる笑顔がすてきで、先生の数奇な人生がその顔に表されているように感じたのです。

――達磨大師は中国禅宗の開祖とされているインド人の仏教僧で、「ダルマ」はサンスクリット語で「法」のことですね。

達磨大師は西域の王国の王子として生まれ仏教に帰依し、南北朝の宋の時代の520年に、海を渡って南朝の梁(りょう)に来て仏教を伝えました。当時、梁の武帝は仏教を厚く信仰しており、インドから来た達磨大師を喜んで迎えたそうです。

――しかし、達磨大師に「私ほど仏教を保護すると、どれ位の功徳があるか」と問い、「煩悩でした善なので功徳はない」と言われ腹を立ててしまいます。

それから有名な「面壁(めんぺき)九年」が始まるのです。達磨大師は嵩山少林寺で壁に向かい9年座禅を続けたとされ、これが中国禅宗の始まりとなります。後に後悔した武帝が呼び戻そうとしたのですが、達磨大師は応じなかったそうです。やがて中国禅宗の二祖となる慧可(えか)が弟子になり、六祖の慧能(えのう)の時代から臨済宗や曹洞宗などの禅宗五家に分かれ、日本にも伝わったのです。

――その達磨大師が観相学の始祖なのですね。

達磨大師が悟られたのは「人間の肉体は全て脳の管理下にあり、その現象は脳が生み落とした心、その支配下にあるとする哲理こそが『顔と運の因果』の追求には欠かせない」ということです。それを藤木先生は「人生は運が支配する。その運は顔が支配する。その顔は脳がつくり上げる」と語っています。

――釈迦(しゃか)が瞑想(めいそう)によって悟りを得た仏教は現代では心の科学で、唯識(ゆいしき)は深層心理学に通じています。ところで嘉祥(かしょう)とは。

中国六朝時代末から唐初期にかけての僧・吉蔵(きちぞう)のことで、南都六宗の一つ三論宗を究(きわ)め、その弟子たちが日本に三論宗を伝えました。鞍馬寺で修行した藤木先生は昭和40年に三論宗高尾山引接寺にて嘉祥流観相学会を組織し、平成3年に三論宗の復興に貢献したことにより大僧正の位を贈られました。

――藤木先生の波瀾(はらん)万丈の生涯には驚かされます。

藤木先生は大正12年、兵庫県の寺に生まれ、学徒出陣で人間魚雷に乗り2度出撃するも生き残り、沖縄戦で負傷しました。その時、ひめゆりの少女に救われた恩に報いるため、鞍馬寺で禅修行し、僧になって沖縄で遺骨収集に当たります。そこで出会った宝塚歌劇団創始者の小林一三の紹介で会った松下幸之助に見込まれ、東京工業大学の聴講生になって主に脳科学を研究し、ヨーロッパに留学して産業技術を学び、帰国後、松下中央研究所で電気炊飯器、その後独自の研究所を設立し、8ミリ映写機等多くの開発に携わりました。その一方で、達磨大師の観相学を脳科学を主に自然科学から見直し、脳と顔と運の因果関係の解説で大人気を博するようになりました。

――観相学では江戸時代後期の水野南北が有名です。東西の観相学を見ると、人の顔に関する統計科学のようです。その観相学から脳相学へと呼称を変えつつあるのですね。

藤木先生が脳科学を主として古来の観相学を再編し、さらに今の人たちに分かりやすく「顔と脳と運の因果関係」を説き、藤木流の哲学として残されたからです。例えば、藤木先生は、「私は10歳若い」と脳に思い込ませると、顔つきや振る舞いが変わってくると言われています。そのための習慣が、朝の太陽を食べる、深呼吸する、毎朝、鏡に最高の笑顔を映すなど、どれも難しいことではありません。高齢者には、夢を持ち、楽しみを求め続けよと言っています。

――生前、何度かお会いした藤木先生の印象は「空海に似ている」でした。

今年復刊された『10歳若返る「脳内習慣」』(KKロングセラーズ)の第5章は「空海から『法螺の極意』を学ぶ」です。確かに空海は大法螺(おおぼら)で遣唐使の危機を救い、持ち帰った密教を皇室の行事までにしました。正月に玉体安穏・鎮護国家・五穀豊穣(ほうじょう)・万民豊楽を祈る真言密教の法会・後七日(ごしちにち)御修法(みしほ)は江戸時代まで宮中で行われていて、神仏分離の明治からは京都にある真言宗の根本道場・東寺で古来のまま続けられています。

――私は聖徳太子以来の仏教立国は聖武天皇の大仏造立(ぞうりゅう)で概成(がいせい)し、弘法大師空海で完成したと思います。その一方で空海の願いは人々の救いで、いわゆる大師信仰は全国に広まりました。

私は「同行二人(どうぎょうににん)」で知られる四国八十八か所霊場巡りの大師信仰が最も色濃く残されている香川県の小豆島で生まれ育ち、大学で食物学を修め、企業の研究所から文部科学省所管の研究機関を経て、不思議な運命の巡り合わせで藤木先生と出会いました。最初に言われたのが「眉を描き変えなさい」で、最初の拙著が『眉を変えるだけで運命が変えられる』(KKロングセラーズ)です。

私は、最後の最期まで現役で人生を全うされた藤木相元先生のことを慕い、心から深く尊敬するとともに、これからは少しでも多くの方に「運を呼び込むのはご縁=顔ですよ」として、自分を知りご自分の顔を魅力的に変える方法をお伝えし、よりよい人生を送っていただけますよう寄り添いたいと考えています。

【メモ】記者が暮らす香川県さぬき市の北端から岡井さんが生まれた小豆島は間近に望め、40年前には文科省外郭団体の同僚だったという奇縁。疎遠になっていたのが2014年4月、フジテレビの人気番組「SMAP×SMAP濃い顔シリーズ」に、藤木導主の代理で出演したので驚いた。以後の活躍は周知の通りで、持って生まれた才能が、優れた師と出会い花開いたのであろう。高野山真言宗の在家得度(とくど)尼僧でもあり、記者の仕事と重なっている。

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