2019年の香港民主化運動をテーマにしたドキュメント映画「香港 裏切られた約束」が、日本で上映されている。この運動は、香港政府が中国本土への犯罪容疑者の引き渡しを可能にする法律を計画したことに対する抗議だった。前例のない200万人もの香港市民が、自由と法の支配を守るため行進したのだ。それを撮った映画監督の顔志昇(トウィンクル・ンアン)氏にインタビューした。(聞き手・池永達夫、写真・石井孝秀)
――この映画で強調したいメッセージは。
香港人の犠牲精神と輝いた人生を伝えられたらと思います。
激しい街頭行動の背後にいる抗議者の一人一人の物語と動機を、丁寧に描くように心掛けました。彼らがどのような思いで行動を起こし、どのような犠牲を払っているのかを知ることで、抗議活動の本質に触れることができるからです。
――撮影では、催涙弾で直撃されたり、打ち下ろされるこん棒の下をくぐったりと、それこそ戦いの現場だったわけですが、命懸けの撮影現場は。
最も危なかったのは香港理工大学でした。当時、香港警察は誰であろうと抵抗拠点になっていた香港理工大学にいる人は、デモ参加者と見なし10年以上の刑に処すると発表していました。しかし、私は看護師や救急隊が2交代制で活動していたその現場を、最後まで見届けるつもりでした。逮捕されて映像が見つかれば罪に問われるのは分かっていましたが、カメラを手放すことはありませんでした。結局、警察が包囲網を縮めキャンパスに閉じ込められるような形になった時、幸運にも香港人に手助けされて作業員の服に着替え、駐車場の裏口から脱出することができました。
放水銃で撃たれた時、カメラのメモリー容量を空けるため、側(そば)にいた外国メディアの記者のラップトップにデータを転送し撮影が継続できたこともありました。
――抗議活動では憤りの対象は何だったのですか。
まずは返還後も一国二制度の下、政治構造は50年変わらないという中国の約束が破られました。とりわけ司法の独立が損なわれました。
香港政府の姿勢も良くなく、市井の人々の思いなど眼中にないまま好き勝手にやっていったことが憤りの対象にもなりました。
三つ目は、香港警察の暴力がひどかったことです。正義を踏みにじり無抵抗の市民を無断で殴ったりとか許せなかったのです。
――映画では、庶民の香港市民6人にスポットライトを当てています。
14年の雨傘運動では、昔からの民主化運動家などがデモの指揮を執りました。彼らは政府との話し合いも行ったものの、その運動は実を結ぶことなく失敗に終わりました。19年の民主化運動はその教訓を生かし、リーダーを置かないで自主的に自分ができることを自分でやる、各々(おのおの)が創造性を発揮する活動に変えたのです。
看護師たちが救護班を結成したり、主婦が炊き出しで後方支援に回ったりして、連絡網も上意下達ではなく携帯による横の関係で行われていました。それが19年の民主化運動の特徴でした。
――香港は20年に施行された国家安全維持法で、中国の強権統治のシステムが入ってしまいました。ただ1997年7月1日の香港返還では多くの識者は「中国の香港化」へ期待を寄せていました。それが結果的には「香港の中国化」となってしまったわけです。まんまと中国の二枚舌に引っ掛かったわけですが、この教訓はどう生かすべきなのでしょうか。
まずしないといけないのは、なぜ民主化できなかったのか、なぜ香港の政治状況をここまで悪化させたのか考えないといけないと思います。
日本は、アジアの民主主義国家を代表する重要な国です。その日本でもさまざまな問題が発生し政治への不信はあるものの、それでも根付いた民主主義をベースに文明的な手段を通じて声を発してほしいのです。
でなければ香港のように、民主主義的な手法で主張を反映させていくことができないようになる可能性もあるのです。政治的にも社会的にもいろいろ不満はあるかもしれませんが、自由と民主主義を大事にしていただきたいと痛切に願っています。
2019年まで香港の人々は政治に関心を持たずに、金稼ぎとか日常生活に埋没していました。政治は政治家に任せたまま、それがたとえ民主派政治家であっても、民主香港が中国の圧政を押し返すだろうと思って中国の真の意図に無警戒のままだったのです。その結果、中国に対抗すべき政治力がそぎ落とされていったのです。日本ではそうならないでほしいと思っています。
――次の映画のプランは。
英国ではデモやストライキなどの撮影をしたりしています。また、今後は海外にいる香港人の活動の記録映画を作っていきたいとも思っています。というのも香港と海外にいる香港人との間にギャップが生まれつつあり、その溝を埋める作業に従事したいのです。その両者が交流を深める契機になればと思っています。
――夢は。
香港の自由を取り戻し、この映画を香港に持ち帰り上映することです。ただ自由は一夜にして失われたわけですが、それを取り戻すことは至難の業です。
少なくとも自由を失った香港を教訓にして、中国の二枚舌に騙(だま)されない、中国の威圧に屈しない東アジアの自由と安全を守り続けてほしいと思います。
メモ 英国植民地時代の香港には、民主主義はなかったものの自由と法治があった。今の香港は民主主義がないどころか、司法の独立も自由もなくなった。その「自由が死んだ香港」の悲哀を身をもって知っているンアン監督のメッセージには重いものがある。思ったことを自由に言え、何でもできる自由というのは日本では当たり前で、なくてはかなわぬがあっても別段うれしいわけではない水のような存在だ。「チャンスの女神には後ろ髪がない」と言われるが、自由というのは実にビッグチャンスで、「前髪」をつかみ続けておくべき存在なのだとつくづく考えさせられる。