【持論時論】和の原点にアニミズム的宗教 サヌカイトの里から縄文村へ 禅宗僧侶・五色台縄文村代表 野田大燈氏に聞く

のだ・だいとう 昭和21年香川県生まれ。セールスマンなどを経て29歳で出家、大本山永平寺で修行。高松市の五色台に喝破道場を建て、不登校児たちと共同生活を始める。その後、曹洞宗の宗教法人「報四恩精舎」を設立し、住職に。情緒障害児短期治療施設 若竹学園を開設した。サッカー日本代表元監督の岡田武史氏の心の師としても知られる。著書は『子どもを変える禅道場』(大法輪閣)、『平常心是道』(毎日コミュニケーションズ)など。
のだ・だいとう 昭和21年香川県生まれ。セールスマンなどを経て29歳で出家、大本山永平寺で修行。高松市の五色台に喝破道場を建て、不登校児たちと共同生活を始める。その後、曹洞宗の宗教法人「報四恩精舎」を設立し、住職に。情緒障害児短期治療施設 若竹学園を開設した。サッカー日本代表元監督の岡田武史氏の心の師としても知られる。著書は『子どもを変える禅道場』(大法輪閣)、『平常心是道』(毎日コミュニケーションズ)など。
瀬戸内海が眼下に広がる高松市五色台(ごしきだい)に喝破道場を開き、不登校児や非行少年、引きこもりの学校や社会への復帰に取り組んできた曹洞宗「報四恩精舎(ほうしおんしょうじゃ)」住職の野田大燈(だいとう)氏が近年、注目しているのは縄文人の生き方。約1万年続いた狩猟採集の暮らしから学ぼうと縄文塾を開いている。その発想と実践を伺った。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

――五色台はサヌカイトの産地として知られています。

サヌカイトは古銅輝石安山岩(こどうきせきあんざんがん)の一種で、約1300万年前の瀬戸内海地域の火山活動によってできたとされています。叩(たた)くと美しく澄み切った不思議な音色がするので、「カンカン石」と呼ばれてきました。

広義のサヌカイトは坂出市の金山や城山、大阪府と奈良県にまたがる二上山などでも産出されますが、叩くといい音の出るサヌカイトは五色台付近だけです。来日したドイツの岩石学者ワイシェンクが、世界でも珍しい石として1891年に、讃岐にちなんで「サヌキット」と命名し、それが英語読みの「サヌカイト」になったのです。

――縄文時代には交易によって各地に広まりました。

割ると鋭利な刃物になるので、縄文時代から矢尻や石刀などの生活用具として、江戸時代には石琴などの楽器や合図用に使われました。一般社団法人サヌカイトの里では、サヌカイトを微粉末にして焼き固め、楽器や風鈴、食器などに成形して提供しています。

――サヌカイトの里代表の大燈さんが縄文村を始めたのは?

直接のきっかけはロシアのウクライナ侵攻です。20世紀の世界大戦を通し、戦争の悲惨さを嫌というほど知った人類が、21世紀になってどうしてまだ戦争を続けるのか、宗教者として悩みました。そんな時、ある人に「日本には1万年以上戦争がなかった縄文時代があるじゃないか」と言われたのです。

なぜ戦争がなかったのか調べてみたら、縄文時代は狩猟採集が主で、イノシシやシカ、ウサギに魚介類を捕獲するには幾人かが協力しなくてなりません。住居を建てるのにもそうでしょう。当然、小さな争いはあったでしょうが、生きていくために自我を抑えた「協力」が必要だったのです。貧富の差はないので、共同作業以外は伸び伸びとした暮らしで、それが芸術的な縄文土器やイヤリング、ネックレスなどの創作につながったと思います。

――青森県の三内丸山遺跡ではおしゃれなポシェットも発掘されています。

底が黒くなった縄文土器があるように、火を使って煮炊きすることで食生活が豊かになり、人々の暮らしは劇的に変わりました。そう考えると、まきで火を起こし、煮炊きをすることは大事なのですが、ガスや電気が普及すると、そんな経験をしなくなりました。私は長く子供たちの教育に携わってきたので、まきでご飯を炊き、周りにある山菜を採っておかずを作ったらどうかと思い付いたのです。

最近、日本で就労する中国の女性たちに、日本語や日本の文化、習慣などを教えるため喝破道場の施設を貸したことがあり、たまたまが自炊する台所に行くと、肉やニラのほかに草を盛っていたのです。「これどうするの?」と聞くと、餃子を作るという。見ると、タンポポやナズナで、中国では普通にそうしているのだそうです。

ゆで上がった餃子を食味すると、これがおいしい。そこで、施設の子供たちに、中身は言わないで食べさせると喜んだのです。後で中に草が入っているのを教えると、びっくりしていました。そんなこともあって始めたのが、野菜に野草を加えた縄文雑炊です。

――野菜はスーパーで買うものになった私たちは、自然から遠くなりました。

雑草を食べようという本を書いた人を招いて講習会を開くと、主婦を中心に多くの人が集まりました。それだけ関心があるのですね。最初に講師と一緒に山に入り、食べられる山菜を採り、調理の仕方を教わり、てんぷらとあえ物、お汁の実にして頂きました。感心したのは、今、自然災害に備えて保存食の備蓄が広まっていますが、野草も選択肢にあることに気付いたことです。タケノコなどの山菜は春に一斉に出ますので、食べ切れないのを保存食にすることも大事です。

――四国では近く南海トラフ地震が予想されています。

四国4県のうちで香川県は一番被害が少ないと思われているので、県民の関心は低いのですが、隣の3県が被災すると、大量の被災民を引き受ける事態になります。私は喝破道場を避難場所に提供するつもりで寝袋を集めています。収容し切れないと空き地にテントを張ればいいので、中古のテントも用意しています。生活の質で言うと、避難生活をしながら、山菜採りを楽しんだり、周りで畑仕事をしたりもできます。

――三内丸山遺跡の住居の中央には祭祀(さし)に使われたと思われる高い木の塔があり、共同体の維持に宗教が一定の役割を果たしていたとされています。

自然に即した暮らしから生まれたアニミズム的な宗教が、人々の和を保っていたのでしょうね。縄文ビーナスのように、土偶の多くが妊婦をモデルにしているのは、命が生まれ、育ち、死んでいくのが一番不思議だったからと思われます。古代からの長い歴史の蓄積を経て仏教などの宗教も生まれたのです。

――仏教以前のインドのウパニシャッド哲学は「梵我一如(ぼんがいちにょ)」、大自然と私が一つになるのを目指していました。

多くの仏教宗派の中で、禅宗が一番釈迦(しゃか)仏教に近いとされるのは、座禅により外界と自分の境をなくそうとするからです。釈迦が苦行の果てに悟りを開いたのも瞑想(めいそう)です。

――縄文人の感性ですね。

縄文人の感性を取り戻すことが、私と周りの平和にする一助になると思い、縄文村の活動を進めています。

【メモ】大燈さんは農水省が進めている、障害者などが農業分野で活躍することを通じ、自信と生きがいを持ちながら社会参画を目指す「農福連携」事業に参加している。私が仲間と取り組んでいる集落営農も、働き手の平均年齢が78歳なので、それに近い。個人的には健康長寿型農業だと考え、高齢になっても仕事で筋トレができるのに感謝している。わが家から喝破道場までは車で1時間。新米を届け、ハーブ茶を御馳走(ごちそう)になっている。

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