【持論時論】巫女がササユリで神楽舞い 万葉の花研究家 片岡寧豊さんに聞く

大山倍達(ますたつ)(1923~94年)が創始した極真空手は心技体を鍛える武道で、一般の空手が行う「寸止め」をしない「直接打撃」が大きな特徴だ。「ケンカ空手」とも呼ばれ、大山倍達がモデルの漫画「空手バカ一代」が評判を呼び、かつて大きなブームになった。極真会館手塚グループ世界会長の森義道(ぎどう)氏(70)にその神髄と生き方を伺った。(聞き手=フリージャーナリスト・菅野政弘)
かたおか・ねいほう 2000年、淡路花博の花の館に出展し、国際コンテスト部門で銀賞など受賞。02年のオランダ花博で、日本政府館に出展し、生け花を実演。10年、平城遷都 1300年祭花と緑のフェアー万葉の華しるべ7カ所に花のオブジェと案内板を担当。毎日文化センター、近鉄文化サロン、大阪市立長居植物園・万葉講座などで講師を務めている。著書は『やまと花万葉』『万葉の花をいける』『大和路の花万葉』『万葉の花』など多数。
かたおか・ねいほう 2000年、淡路花博の花の館に出展し、国際コンテスト部門で銀賞など受賞。02年のオランダ花博で、日本政府館に出展し、生け花を実演。10年、平城遷都 1300年祭花と緑のフェアー万葉の華しるべ7カ所に花のオブジェと案内板を担当。毎日文化センター、近鉄文化サロン、大阪市立長居植物園・万葉講座などで講師を務めている。著書は『やまと花万葉』『万葉の花をいける』『大和路の花万葉』『万葉の花』など多数。

飛鳥時代、国家の祭祀に 疫病除け祈願が始まり

奈良市の中心にある率川(いさがわ)神社で毎年6月17日に催される三枝祭(さいくさのまつり)は、巫女(みこ)たちがササユリを手に舞うので「ゆりまつり」とも呼ばれ、古都の初夏を彩る風物詩の一つ。奈良市在住の万葉の花研究家・片岡寧豊(ねいほう)さんに日本人とユリについて伺った。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

――6月17日、4人の巫女がササユリを手に舞う三枝祭は古風で優雅です。

率川神社は、桜井市三輪(みわ)の大神(おおみわ)神社の摂社で、古くから「子守りの社」や「率川の社」とも呼ばれ、『古事記』などに登場する由緒ある神社です。

三枝祭は別名「ゆりまつり」と呼ばれるように、神様ゆかりのユリが主役です。文武(もんむ)天皇の大宝元(701)年制定の「大宝令」に国家の祭祀(さいし)として規定されており、大神神社で行われる鎮花祭と共に疫病を鎮めることを祈る由緒あるお祭りです。

昔、神武天皇の皇后がお住まいになっていた三輪山の麓、狭井(さい)川のほとりにはササユリが美しく咲き誇っていたと伝えられていたことから、ご祭神にお慶(よろこ)びいただくために、酒罇(さかだる)にササユリを飾ってお祭りするようになったと伝わります。

平安時代には宮中からの使いがお供えの幣物(へいもつ)や神馬(しんめ)を献上するなど、非常に丁重な祭祀でした。その後、中断されていたのを、明治14年に復興しました。

お祭りでは、黒酒(くろき)、白酒(しろき)の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と呼ばれる酒罇に入れ、その酒罇の周りを三輪山に咲き匂うササユリで飾り、優雅な楽の音に合わせ神前にお供えします。そして、宮司の祝詞などの後に、4人の巫女がユリの花を手に、「うま酒みわの舞」という神楽を古式ゆかしく舞います。

三輪山の麓にはササユリが自生しているので、ユリの花を使った祭りで神様に喜んでもらおうとの思いが込められているのでしょう。梅雨の時期なので、疫病を鎮めるために始まったと言われ、ユリの香りが漂う中、古式ゆかしい神楽や行列が楽しめる古都らしい行事です。優雅な神事が終わると、お供えの花が災難除(よ)けとして参拝客に授けられます。ササユリの強い芳香が幸をもたらし、厄除けの効果があると信じられています。

――ササユリは日本特産です。

ササユリは名前の通り葉がササに似ていて、しかもササが交じって生えているような山地に自生しています。蕾(つぼみ)や花を付ける前の若葉の頃は、ササと見分けがつきにくいほどですよ。

ユリの仲間の中でも最も日本的な美しさを持っているように感じられるのも、日本にだけ自生する貴重なユリだからです。自生地は主に中部、近畿、四国、九州で、特に近畿地方に多く分布しています。

花は透きとおるような淡いピンク色で、とても清楚(せいそ)です。花びらの先をくるりと軽く反り返らせて横向きに咲く姿が、実に愛らしく、にっこりと微笑(ほほえ)んでいるかのように見えます。蕾からやや咲き始めの花姿には優しさと素朴な品の良さが感じられ、その上、柔らかな良い香りがするので古くから愛されてきたのでしょう。

――万葉歌には?

ササユリは『万葉集』には「ゆり」として、また「三枝祭」の重要な花で「さきくさ」という名で登場しています。

「春されば まづ三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあらば 後(のち)にも逢(あ)わむ な恋ひそ我妹(わぎも)」柿本人麻呂(巻十―一八九五)

歌の意味は「春が来ると、まず咲きだす三枝のように、無事命長(いのちなが)らえていたならば後にも逢えるのだから、そんなに恋しがらないでおくれ、我が妻よ」といったところです。

――西郷隆盛が流された沖永良部島(おきのえらぶじま)ではテッポウユリが特産品です。

上皇、皇太后両陛下が天皇、皇后としての最後の訪問地が2017年11月18日の沖永良部島で、テッポウユリの畑と黒糖作りを見学されていますね。沖永良部島のテッポウユリは「えらぶゆり」の名で出荷されています。和泊町(わどまりちょう)歴史民俗資料館には、両陛下のご訪問に合わせて咲かせた「えらぶゆり」がそのまま保存・展示されています。沖永良部空港の愛称は「えらぶゆりの島空港」です。

テッポウユリは元来、島に自生していましたが、その商品価値を島民に教えたのは、1899年に島の沖で台風のため船が難破して助けられたイギリス人貿易商人アイザック・バンティングです。キリスト教で白いユリは純潔を表し、聖母マリアの象徴として描かれていることから、彼は西洋諸国への輸出を勧め、最初は野生のユリを取り、やがて栽培を始めたのです。

また彼は島民にユリの球根栽培を奨励し、1902年には「エラブリリー」として欧米への輸出を始め、当時の貴重な外貨獲得手段となりました。

ササユリを手に巫女が舞う率川神社の三枝祭
ササユリを手に巫女が舞う率川神社の三枝祭

戦後は栽培技術の発展や流通ルートの整備などで切り花が主流になります。和泊町には花き専用の集荷場があり、大型フェリーとトラックで大阪、東京などに運ばれています。 ――ユリと日本人の歴史は古いのですね。

『古事記』にも「神武天皇が百合の花を摘んでいる娘に惚(ほ)れて嫁にした」という記述があり、舞台は奈良の三輪山の麓なので、ササユリと思われます。

美女の形容に「立てば芍薬(しゃくやく)、坐(すわ)れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合の花」という言い方がありますね。日本固有種は15種ほどで、多くの園芸種が作られ、人々の生活空間を彩っています。

花を愛(め)でるだけでなく、球根のゆり根は食用や薬品としても用いられ、昔から滋養強壮効果が知られており、漢方薬としても使われていますよ。

メモ 京都で過ごした学生時代から、なぜか京都より時間がゆっくり流れる奈良が好きだった。週末ごとに社寺巡りをしたが、率川神社のことは片岡さんに教えられるまで知らなかった。ササユリを手に巫女が舞う三枝祭は印象的で、夏の奈良の消えない思い出。もう一つ、奈良女子大の寮祭で親しくなった友達と訪れた浄瑠璃寺のアジサイの青も。そうだ! 奈良の記憶は折々の花とともにあり、晩年になった記者の人生を美しく彩ってくれている。

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