【持論時論】 芸術は精神の糧 画家 海老澤 研氏に聞く

「私の絵は内的な観察の足跡」。そう語るのは画家の海老澤研氏だ。色鮮やかに描かれた油彩画の抽象画や花の絵は、見る者を惹(ひ)きつける。日本と海外を行き来しながら創作活動を行っているという海老澤氏に、芸術への思いとその人生について聞いた。(聞き手・石井孝秀)
えびさわ・けん 1952年、東京・渋谷生まれ。77年に慶応大学を卒業後、海外を巡り80年にブラジル人女性と結婚、3女をもうける。87年、リオデジャネイロでドローイング個展、2006年に東京で油彩画個展を開く。昨年と今年にも都内で個展を開催し、来年1月にも東京・南青山にて個展を予定している。
えびさわ・けん 1952年、東京・渋谷生まれ。77年に慶応大学を卒業後、海外を巡り80年にブラジル人女性と結婚、3女をもうける。87年、リオデジャネイロでドローイング個展、2006年に東京で油彩画個展を開く。昨年と今年にも都内で個展を開催し、来年1月にも東京・南青山にて個展を予定している。

――絵を描く際、どのような思いで創作を行っていますか。

人間は感覚だけで生きているのではなく、何かを認識して行動しています。

頭の中で自分の意識と絶えずおしゃべりしているようなもので、コントロールするのは困難です。その思考の流れと自分自身は普段、同一化しているため、私は創作を通じて知覚と意識の観察を行っています。例えば「瞑想(めいそう)」をする時のようにです。

だから、私の絵はそうした内的な観察の足跡とも言えるでしょう。そうやって描いていくと、ある時、色や大きさ、かたちなどのバランスが突然ピタッと当てはまる瞬間があります。それが快感であり、作品が一つのものとして存在し始めた時です。

もともと絵画とは外界をそのまま映したものではなく、意識によって作られ、それがしっかりとした構造を持って自立しているということではないでしょうか。

――自分の「内面」を観測し、試行錯誤しながら「かたち」を与えているということですか。

そのようなプロセスです。「快感」を感じる時は、まさに完成のサイン。初めから計画的に、こういうものを作るというふうには考えず、インスピレーションは初めのほんの一部。その後のプロセスに重きを置いています。

私にとって具象画と抽象画に、もはや区別はないと感じています。例えば、私たちはどんなものでも一度、抽象化して世界を作り上げています。数字はその最たるもので、私たちはリンゴを「1個、2個」と数えますが、人間がリンゴというものをカテゴライズして、リンゴを抽象化した上で理解し、数えているのです。そういった点で、描かれた絵は具象・抽象の区別のないものと言えるでしょう。

――海外へ行くようになったきっかけは。

私は東京の渋谷生まれですが、小さい時から海外に憧れていました。私の世代はちょうど、ビートルズやローリングストーンズなどのアーティストが大人気で、いわゆるヒッピー運動が流行し、世界的に文化が大きく変化した時です。

私もその影響を強く受け、ヒッピーの間で好まれていた東洋思想に興味を持ち、20歳の大学生の頃にインドに行きました。

――最初の海外体験の感想は。

初めての旅は4カ月ほどでしたが、これまで自分が生きてきた世界と全く違い、カルチャーショックもありました。現地の人々と接してみると、相手に遠慮する日本人と異なり我が強く、タクシーでも値切り交渉をしなければいけないなど、四六時中誰かと言葉でやり合わなければいけませんでした。

正面から突っ込んでくるエゴのぶつかり合いは衝撃的で、敗北感が強かったこともあり、大学卒業後に「リベンジしたい」と、再び海外に出ることにしました。

米国から南米へと向かい、ブラジルのリオデジャネイロにしばらく滞在しました。そこで現地の女性と知り合い結婚。永住権を取ろうとしましたがうまくいかず、一度ブラジルを離れ、米国と日本に2年間住んでからブラジルに戻りました。

到着後すぐに双子が生まれ、既に誕生していた1歳の長女を含め3人の子持ちになりました。

でも、しばらくして夫婦関係でも喧嘩(けんか)が続き、リオデジャネイロに引っ越して別居することになりました。

それでも子供たちを放り出すわけにいかず、育児は分担し、一人暮らしをしながらアートスクールで絵を学びつつ、職業画家になろうとしました。その時は水彩画などが中心で、1987年にはリオデジャネイロで個展を開きました。その後、ブラジル経済が下向きになってきたので絵を収入源とするのは諦め、日本語教師の仕事に集中しました。バブル期の日本は憧れの的で、生徒がたくさんいたからです。

――現在の画家としての活動を始めるきっかけは。

子供たちが成人してから、また日本に戻りました。仕事と仕送りをしながら絵を描いていたのですが、2019年に絵に専念することにしました。新型コロナウイルスによるパンデミックの始まりと重なりましたが、むしろ作品作りに専念できたと思います。

油彩画を描き始めたのは2000年からで、初めは写実的な絵でしたが、次第に写実を離れ、色彩を重視する花をモチーフにした絵と抽象的な絵に移行していきました。

――人間にとっての芸術とは、どんな立ち位置ですか。

芸術とは「統合する技術」であり、外界とその印象や知覚、思考、感情などの内的な世界を統合する技術だと考えます。結果として、芸術は食べ物や印象など同様に、人間として生きていく上での糧であり、精神の糧と言えると思います。

――芸術の道へ進みたいという人に送る言葉は。

自身の感覚と自分自身を大事にすることです。自分の目で観察したものでもいいし、内面的なものでもいいのですが、自分という主体を一番に尊重すべきです。

社会の規範はいろいろありますが、それを学んでいるのは結局「自分」。若い時はどうしても周囲から簡単に影響を受けるし、自分の中に何もないこともあります。でも、自分の道さえしっかり進んでいけば、それが幸せへの道のりになると思います。

――自分に自信が持てない時は。

大事なのは、続けることと辞めないこと。迷いながらも何かしらのかたちでやり続けていけば、いろんな経験を吸収し、自分の中に蓄積されます。人からの評価にこだわらず、外に答えを求め過ぎない方がいいのではないでしょうか。

自分以外の何かに隷属して、縛られたり依存してしまうのでなく、自分自身の主人になることが、人間に与えられた、やらなければいけないことだと思います。それで出世できるかは分かりませんが、私の体験から言えば幸せになることはできます。

個人主義とはまた異なるかたちで、自分を大事にする習慣を確立する道を考えなければいけないと思います。特に今の日本社会では必要でしょう。

【メモ】都内で開催されていた個展にお邪魔し、展示されていた作品を見て回った。自身の抽象画を紹介しながら「この部分は偶然、人の顔に見えるね」と話す海老澤氏は、心から芸術を楽しんでいるように見えた。加えて、子供たちの成長を見届けた上で、自身の夢に挑戦する姿には、尊敬と憧れのような思いも感じさせられた。

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