――自立した国家として理想的な9条のあり方は。
現状の世界や日米のことを考えると、自衛隊を軍と明記し、他国の指揮は受けず、日本の最高指導者の指揮で動くこととすることだ。万一、戦闘が生じた際は日本の判断で動けるようにしなければならない。
シビリアンコントロール(文民統制)について、少し心配していることもある。軍を文民が動かす方針について、私はもっと軍隊にも独立性が必要だと思っている。実際、米軍でもペンタゴン(米国国防総省)に対する不満は強い。もっと軍側の自己判断で動ければうまくいくのに、管理職の理不尽な命令のせいで、友人たちが死んでいるという憤りの声は、米軍の知り合いからもよく聞く。

――災害国家である日本に必要な緊急事態条項のあり方は。
私が心配しているのは、緊急事態条項ができた時、その条項を外国勢力に利用される懸念があることだ。ニューヨーク市長やカリフォルニアの知事などはコロナ禍の時、感染拡大防止を理由に宗教活動の制限をかけてきた。信教の自由を求めて建国された米国で、緊急事態を悪用して宗教を抑圧するなど悪夢だ。
日本も同じように、海外からの都合に振り回されることが起こり得る。例えば、将来再びパンデミックが起きた時など、データのない状態で海外の製薬会社が作ったワクチンの接種を、幼い子供に至るまで強く求める可能性はある。
そのため、緊急事態条項を作るとしたら、知事レベルの局地的なものがいいだろう。知事の方が災害や有事などの起きた地域と近い立場に立てる。
――特に軍事危機が高い沖縄の場合、知事には県民避難を含めたリスク管理が求められる。
一番中国に近い県の知事は、最も危機感を持つべきだ。もし米軍基地が完全になければ、自分たちの手で国民を守らなければいけない。しかし、侵略などあるわけがないと思い込んで米軍基地反対運動を行っているとするなら、平和ボケも甚だしい。
そう考えると、米軍基地の存在がむしろ、この国の政治状態を乱し、いびつな状態にさせている。沖縄県民は二度と凄惨(せいさん)な悲劇が起こらないよう、世界でも最強とも言うべき基地を自らの手で作り上げた方が安心かもしれない。
――教育現場などで戦前と比べ、男女平等など人権が保障されるようになったと強調されることが多い。
人権に囚(とら)われ過ぎると、人間の具体性が見えなくなってしまう。私が大切にすべきと思うのは抽象的な人権ではなく、目の前に存在している人間だ。
今の米国では、例えば12~13歳の子供がトランスジェンダーになりたいと言えば、それを止めることもせず、本当に胸を切除してしまう医者がたくさんいる。トランスジェンダーになりたいという権利が、子供にはあるという理屈だ。
しかも手術は親にも内緒でやってしまう。親が「私の娘は女だ。男じゃない」と反対すれば親権を失い、人権を守るためという理由で、州政府が娘を施設に入れてしまうのだ。それは悲惨としか言いようがない。
――権利を強調すると、逆に人権派の目指していたはずの理想的な社会から遠のき、生きづらさを感じる人も出てくる。
権利を主張し始めると協力ができない。絆が育まれないためだ。例えば、車いすに乗っている人が、店側に人権への配慮がないと裁判を起こすケースがあるが、こっちの権利とあっちの権利が衝突する「権利バトル」を繰り返していけば、権利が保障するのは孤独感しかない。
この状況を見ると、やはり本当に必要なのは、目の前の人を愛することしかないと考えさせられる。(聞き手・石井孝秀)