占領軍より悪い政府の9条解釈 元武蔵野女子大教授 杉原誠四郎氏に聞く(上)【連載】日本の憲法改正―論客に問う(3)

――現行憲法の問題点をどう考えるか。

日本国憲法というのは占領軍に押し付けられた憲法というのは間違いない。日本から見たら不満な点がある。けれども、制定された経緯はともあれ、日本国のための憲法だから占領が終わってから70年を超えている現在、本当に国家のために正しい解釈をしているのか、反省してみる必要がある。

すぎはら・せいしろう 1941年広島県生まれ。67年東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。城西大学、武蔵野女子大学(現武蔵野大学)教授を歴任。著書に『法学の基礎理論 その法治主義構造』、『理想の政教分離規定と憲法改正』、『安倍晋三の黙示録としての「要説・吉田茂という病」』(Kindle版)など。

典型例が9条の問題だ。第9条は、確かにマッカーサーが押し付けてきて政府が最初に帝国議会に出した時の条文は、自衛権を否定はしないけれども、自衛のためにも戦力は持てない、交戦権はないという条文だった。だが、例の芦田修正によって、解釈の仕方によっては自衛戦争のためには戦力を持ち得るという解釈ができる条文に変わった。

議会ではそのこと自体に関わる説明はないが、占領軍はそう解釈をして、それでいいと言った。その代わり文民条項を入れるよう銘じてきた。それは武官がいるという前提でないと成り立たない条文だ。だから結局、占領軍の押し付けた憲法は自衛のためであれば軍隊を持てるという前提の憲法だということになる。その解釈の方が主権を回復した独立国家としての日本にとっては正しく相応(ふさわ)しい解釈だ。

――現在の政府の解釈は間違っているということか。

占領軍の押し付けたものよりも悪い解釈を日本政府が行っているということだ。そのことに一番の責任を持っているのは当時の首相、吉田茂だ。彼は1952年4月28日に日本が主権を回復した後も首相を続けて、その解釈を変えなかった。主権を回復した瞬間に解釈の自由を得たわけだから、占領期にはそういうことを言っていたが、これはこういうふうにも読める、従って主権を回復した時点から解釈はこうだ、そういうふうに解釈を変えれば、今の自衛権を巡る混乱は70年間も続かず、この主権回復の時点で解消していたはずだ。

――共産主義の洗礼を受けた野党の影響も大きい。

どの国にも政治には一つのパターンがある。日本は、保守系は自民党が単独で支持を集め、後は野党になり、野党は反保守的に政府に抵抗することが仕事みたいになってきた。だから政府が憲法を変えようとすれば抵抗することが彼らの仕事となった。

けれども、9条のこれまでの萎縮した解釈は本当は間違いだ。その解釈は占領軍が押し付けたものではなくて、日本自らが作ったものなのだ。そのことをよく理解しておかなければならない。

――著書で天皇を巡る解釈でも問題があると指摘している。

2番目に、天皇は元首か元首でないかということ。占領期に東京大学法学部の法学者が作った解釈は、国民主権を表に出して、それ故に天皇は元首ではないと解釈している。それが今も東大法学部の解釈だ。さすがに日本政府は、解釈によっては天皇は元首と言えるという言い方をしているが、元首だときっぱりとした言い方はしていない。東大法学部の影響を受けている。

天皇を元首としない東大憲法学

「法治主義」とか「法の支配」には一つの重要な原則があって、国の法規を改正した時には、改正法の解釈は旧法にできるだけ近づけて解釈すべきだという原則だ。そうすると、日本国憲法の解釈は大日本帝国憲法に近づけて解釈するのが正しいということになる。

その観点から見たら、「天皇は元首でない」とか、「元首は総理大臣である」とかいう規定が日本国憲法にあるのならばいざ知らず、そういうものがない以上は、大日本帝国憲法の解釈に基づいて元首であると言わなくてはいけない。

――東大法学部はどうしてそういう解釈をしたのか。

当時、東大法学部は公職追放になり得る教授がいっぱいいた。戦前は国家権力を支える法学をやっていたわけだから、その人たちが公職追放を逃れようとして、占領軍の意向を過度に忖度(そんたく)してそういう解釈を作ったのだ。天皇は元首でないという言い方をした方が占領軍が喜ぶであろうと…。私はこういう人たちを「敗戦利得者」という。だから東大法学部の憲法学は「敗戦利得者憲法学」ということになる。

その中心人物である宮沢俊義は、日本国憲法の「国民主権」を強調して、日本がアメリカに降伏した昭和20年8月15日に革命が起きていたという珍奇極まる「8月革命説」を唱えたが、帝国議会で憲法改正を担当した国務大臣の金森徳次郎は最初から最後まで一貫して、日本の「国体」は変わっていないと答弁し続けた。

――8月革命説は後付けの理論だ。

国民主権、主権在民を宮沢俊義たちは強調するが、帝国憲法も日本国憲法も改正手続きは原理的には同じだ。つまり、帝国憲法の場合第73条では、天皇が提示した改正案であっても国民は拒否する自由を持ち、国民の承認がなければ、たとえ天皇の示した改正案でも改正できなかった。つまり、帝国憲法も日本国憲法も実質的には国民主権で成り立っていたわけだ。

戦前、大審院長(最高裁長官)、内閣総理大臣などを歴任した平沼騏一郎が「天皇の統治の本体は憲法によって定まったものではなく、憲法で述べたものにすぎない」と語ったが、日本の長い歴史でいえば天皇の統治権も、天皇は国民の意向に沿いながら統治していくということ、そういう状況は帝国憲法以前にあった。「国民主権」という言葉は、そういうことを前提にして解釈をしなければいけない。日本国憲法で国民主権を宮沢俊義のように過剰に解釈するのは間違いだ。(敬称略)

(聞き手=武田滋樹、亀井玲那)

芦田修正 昭和21(1946)年8月、芦田均憲法改正小委員会委員長が憲法改正草案の第9条第2項(戦力不保持、国の交戦権否認)の冒頭に「前項の目的を達するため、」という文言の挿入の修正を行った。

文民条項 日本を占領管理するための最高政策決定機関たる「極東委員会」が昭和21年7月に採択した「日本の新憲法についての基本原則」に「国務大臣は文民でなければならない」との原則がある。日本側は当初、軍人の存在を前提とした規定を置くのは無意味だと主張し、その主張が通ったが、芦田修正後に極東委員会が改めて要求。これを受けて、貴族院における修正で憲法第66条第2項として追加された。
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