【持論時論】輪島で災害ボランティア 神戸国際支縁機構代表 岩村義雄氏に聞く

宗教者による 傾聴が重要

恐怖や寂寥感に寄り添う 心が折れては復興かなわず

能登半島地震で被災した石川県輪島市で1月16日、神戸から駆け付けた10人で炊き出しを行ったボランティア団体「(一社)神戸国際支縁機構」の岩村義雄代表(75)に、活動の様子と宗教者の災害ボランティアについて聞いた。岩村代表はブレザレンの神戸国際キリスト教会牧師で、1995年に起きた阪神・淡路大震災の折、全国からのボランティアに助けられたことへの「恩返し」だという。ブレザレン派は、ドイツのアレグザーンダ・マック(1679~1735年)が7人と共に創立。1871年ごろから非戦のプロテスタントとして知られる。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

いわむら よしお 岩村義雄さんは1948年東京生まれ。家は3代続くローマ・カトリック教会で、40歳頃まで宗教遍歴を重ねた。阪神・淡路大震災の時、神戸市垂水区の朝霧駅前でゼロから街頭宣教。聖書を学んだ経験から「小さくされた人々」に寄り添う神戸国際キリスト教会を創設。2001年の9・11テロ以降に「神戸国際支縁機構」、11年に寺社や教会の友人らと、いのちや死を語り合える「阪神宗教者の会」を立ち上げた。以来、国の内外の災害被災地でボランティア活動をゲリラのように行っている。エラスムス平和研究所所長。

――昨年末、シリアに出掛けると言っていましたね。

12月28日からシリアで孤児たちのために活動していた時、能登半島地震のニュースが飛び込んできました。そこで1月5日早朝に帰国した足で、暖房衣類に水、食材などの支援物資を車に積み、山の崩落のため通行止めになった道路を迂回(うかい)し、その日のうちに輪島市河井町の被災地に入りました。

6日朝、日本基督教団輪島教会の新藤豪(つよし)牧師にお会いすると、教会は床が剥がれ、足の踏み場もないほどで、その時は「もう教会の再建は難しい」と肩を落としておられました。被災の激しかった朝市通りなどを案内してもらうと、見渡す限りの焼け野原で、まるで空襲に遭ったかのようでした。道路のあちこちに直径1㍍ほどのマンホールが1㍍も隆起していました。東日本大震災との違いは、地殻変動によるビルの倒壊、隆起による港の機能のマヒ、ボランティアやメディア関係者に出会わないこと。多くの道路が寸断され、孤立集落になっていました。

焼け野原のような朝市通りに立つ岩村 さん(右)=1月6日、輪島市(岩村 義雄氏提供)

6日の午前中には行政や消防団員、取材のメディアなどが現場を視察し、市の職員が「立入禁止」の表示を記していました。道路事情を理由に林芳正官房長官、馳浩石川県知事がボランティアを断る無思慮な発信をしたため、現地では圧倒的にマンパワーが足りませんでした。

14日、輪島市に依頼された計千食分の炊き出しに必要な大鍋にプロパンや食材などを搭載し、3人の医療班を含む10人が3台の車で輪島市の避難所や輪島中学校に向かいました。

15日午前10時から、輪島市の一番大きな避難所「ふれあい健康センター」や輪島中学校で豚汁や野菜カレーを提供し、近隣の避難所や保育園の人たちにも所望されました。列をつくって並んでいる人たちに「寒いでしょう」と声を掛けると、「いえいえ、皆さんこそ寒い中、頑張っておられるので、温かいものを頂けるだけでも幸せです」と喜ばれました。各メディアから取材を受けたので、私は「輪島の朝市通りの火災は阪神大震災のようです。当時、全国から集まったボランティアの人たちによって私たちは助けられたのですから、その恩返しのつもりで来ました」と答えました。

――断水が深刻でした。

私たちは携帯用簡易トイレを活用しました。被災者の中にはトイレを我慢し、水分を取らないで脱水症状になる人もいて、対策会議で被災地の首長が悲痛な叫びを発していました。

中央も現場の情報を把握できず、縦割り行政の弊害が顕著でした。責任をなすり付け合う悪習慣が裏目に出ました。ボランティア本来の「自主性」が機能しないまま約1カ月が過ぎました。室崎益輝(よしてる)神戸大名誉教授は「初動から公の活動だけではダメで、民の活動も必要。道路が渋滞するから控えてではなく、公の活動を補完するため万難を排して来てくださいと言うべきだ」と言っています。

公と民との関係は、本来、行政が担当するサービスまでがボランティアに丸投げされたり、ボランティアが行政の下請けになってしまう危険性があります。

――宗教者ならではのボランティアはありますか。

現地で一番感じたのは、傾聴ボランティアの必要性です。地震の恐ろしさや大切な家、家族、友人らを失った寂寥(せきりょう)感に感情移入できる寄り添うボランティアです。インフラなどハコモノの復興も重要ですが、肝心の心が折れてしまっては元も子もありませんから、心の復興をどうするかが大きな課題です。特にカウンセリングの訓練を受けていなくても、宗教者には怒り、苦しみ、優しさに感情移入できるセンサーが敏感だと思います。

北陸は中世からの仏教王国、真宗王国で、日本海を望む千枚田の風景を見ると、最澄(さいちょう)が唱えた「草木国土悉皆(しっかい)仏性」を実感します。日本の原風景である棚田の「白米(しろよね)千枚田」の耕作は、都会のボランティアの手を借りながら、主に昔ながらの手作業で行われています。それは神戸国際支縁機構が取り組んでいる「田・山・湾の復活」そのものです。珠洲(すず)市で炊き出しをした際、「里山里海」も地震、津波、隆起で泣いていました。農林水産業は、単に収益を求めるのではなく、小規模な「里山里海」の本質に戻る必要があります。

――ベトナム、北朝鮮やシリアでも孤児の家を運営していますが、仲間やカウンターパートはいるのですか。

その都度、一緒に活動する仲間はいますが、基本的には一人ひとりで、99匹の羊を置いて1匹の羊を探し求めます。神戸のスラム新川に身を投じた賀川豊彦は「一人は万人のために。万人は一人のために」と言いました。一人で祈ると、おのずから聖霊に押し出され、キリストが伴走してくださるのです。すると、ネパール、インドネシア、ガーナなどでも、生涯を懸けて、貧しい人たちのために立ち上がる若者が現れるものです。

「主はこう言われる。公正と正義を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救いなさい。寄留者、孤児、寡婦を抑圧したり虐待したりしてはならない。また無実の人の血をこの場所で流してはならない」(エレミヤ書22章3節『聖書協会共同訳』)。そんなふうに導かれているボランティア道です。


メモ 記者と岩村さんは同年生まれ。同じ時代の空気を吸って生きてきた。歩いてきた道は違うが、同じ「土、耕作、農」を共有できるのが嬉(うれ)しい。会う時はいつも朝鮮の奴隷の服で現れるのは、岩村さんの活動の一つに朝鮮人差別の問題があるから。私も雑誌の編集者時代、片野次雄の長編小説『李朝滅亡』を新潮社から出したことがあるので、またの折にその話を聞きたいと思う。それにしても想像を超える岩村さんの行動力には、圧倒されてしまう。

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