【持論時論】六郷満山の行、1100年の歴史 雲水 聖照寺住職 東和空師に聞く(中)

辺境の地だった国東半島 負けた側の霊魂を弔う

先回は大病後、広島から京都の延暦寺まで400㌔余を歩いた詳細を伺った。今回は天台宗の伝統として1100年以上続いている国東(くにさき)半島での六郷満山峰入り行について、聖照寺住職の東(ひがし)和空(わこう)師に聞いた。(聞き手=池永達夫)

 ひがし・わこう 昭和39年山口県下関市生まれ。宇部高等専門学校、サラリーマン、代議士秘書を経て、天台宗比叡山延暦寺で得度。行者山太光寺副住職を経て、現在、天台宗系寺院の聖照寺住職、聴行庵住職。カンボジアでの教育NGO活動を基に、宗教・宗派を超えた平和活動を展開し、難病からの回復を契機に傾聴広島を主宰。RCC(中国放送)ラジオの番組「東和空の行けばわかるさ」で12年間、パーソナリティーを務めた。

――山に登っての修行は。

今に集中するという行だから、それがメインの修行となる。

――どこの山。

ほとんど広島だ。広島の山という山は全部歩いた。

全部、低い山ばかりだが、高くても700㍍程度。あとは四国の霊山・石鎚山(いしづちさん)や剣山(つるぎさん)であったり、鳥取の大山(だいせん)だったり。

――昔の修験道の山だ。そうした修験者が修行した山というのは、違うものなのか。

知識や集中力を得た段階で、違いが分かるようになった。

九州・大分の国東半島は不思議なことに昔から天台宗のお寺ばかりで、切り立った山がいっぱいある。半島全体に山や谷が遍満していることから、六郷満山と呼ばれている。

その真ん中に両子山(ふたごやま)があって、頂上にあるのが両子寺だ。ここは六郷満山峰入り行をやる総本山だ。

そのスタート地点が、半島の根元にある宇佐神宮だ。そこから半島を北から南へと回り込み、中央の両子山に登っていく。全部歩いて8日間くらいのコースだ。

途中は寺に泊まるのだが、行者は25人くらいと決まっている。地元の人が多いのだが、そこに入れてもらった。これは1100年くらい前から続いている行だ。

――それが途切れることなく、まだ続いている。

もちろんだ。ただ10年に1回だけだ。天台宗の伝統として続いている。それを萬行(まんぎょう)しないと地元の寺の住職になれない。行でしくじったら、次は10年後ということになる。

だから70歳で初めて住職になった人もいるほどだ。その人は不運な人でサラリーマンを辞めてまで住職になろうとしたが、母親が病気になって行を諦めざるを得なかった。

――どういった行になるのか。

初日に飛び石といって、2㍍弱ぐらいの高さから飛び降りないといけない。足をくじいたら駄目で、これでふるいにかけられる。

もちろん下は畳を敷いて、けがはしないようになっている。子供でも飛ぼうと思ったら飛べる高さだが、ただ後ろ向きで飛ばないといけない。普通、そういうことはしないから不安が伴う。それで2、3人はリタイアすることになる。そこから過酷な行が始まる。

――行にはどういう意味があるのか。

これは理由がある。大和の時代の日本の南端は国東半島だった。その南は隼人の人たちで、文化圏としては外人扱いだった。

だから当時の辺境だったこの地域には、いろいろ確執があった。特に神道と仏教の争いがあった。聖徳太子が仏教と言いだすと、物部が神道を主張した時代だから。その権力争いの余波もあって、国東半島が一つの戦場となった経緯がある。

仏教が駄目だと言われたときは、仏像を全部集めてそこで捨てていた。神道が駄目なときは、神棚とかそこで捨てていた。さらに大和の国は兵士が強かったから、隼人の人たちを殺戮したこともある。

ただ昔の日本人が素晴らしいのは、勝てば官軍というわけではなかった。勝っても負けた側の霊を弔わないと、必ず何か不幸がくるという大自然の中から知恵を獲得していて、勝っても意味がない世界があることを知っていた。

だから人を殺した分だけ、僧侶に供養してもらった。僧侶もその辺の僧侶じゃ駄目だ。修行をして感性が研ぎ澄まされた坊さんに供養してもらわないと駄目だということで、そうした修行コースを作らせた。記録によると、当時は50日ぐらい行をやっていた。

そうした知識を得て峰入りすると、そういうのが理屈ではなくて、ここで多くの人が行で死んでいるなというのが分かる。そういう所は危険だから、現代では迂回(うかい)路ができていたりする。

萬行することばかりではなく、そうしたところで供養していくことが大事だ。

そういうことが分かってくると、山に対する思いが変わってくる。

――山で修行する修験道というのがある。

修験道というのは山岳信仰と密教だから、神仏習合の一部分となる。

自分をなくして、日本でいえば八百万(やおよろず)の神、山の神、風の神、そういったものと一体となって浄化され、山を下りて働き、それでまた浄化されに山に戻って来る祈りの世界だ。

――浄化というのは山登りをする人には、実感があるように思う。600㍍の高尾山クラスでさえ、登れば何か抜けたという実感がある。不思議なことだと思うが、これはどういうことなのか。

多分、最初の頃はその感覚はなかったと思う。

単にきついとか、もう絶対来るもんかとか愚痴を言いながらだったりする。

でも何回と登るうちに、感性が研ぎ澄まされて目に見えぬものに守られているとか、純粋で謙虚な気持ちになって生かされている命を実感したりする。

そうしてさらに回数を重ねるごとに研ぎ澄まされていくものがある。自分では気付かないかもしれないが、このこと自体が浄化ということだろう。

そのうちにちょっと嫌なことがあったから、浄化されてこようとか、外的には登山だったりトレッキングだったりしても、内的には自分を整えに行ったりする。そういった意味では登山のような征服感はなく、むしろ下山できたことの安堵(あんど)感の方が大きい。


【メモ】明治初期まで日本人は人と会うとき、自分の足で歩いて出掛けて行った。あるいは船を利用して遠距離を行くこともあったろうけど、基本は徒歩だ。船にしろ徒歩にしろ、時間はたっぷり要したに違いない。その間、会う人のことをあれこれと考え、思いを寄せる。厳しい相手であれば、さまざまに言葉を選び考え抜いたことは想像に難くない。歩く世界には祈りが伴う。それこそが一つのパワーだと思う。だからこそ語る言葉に力があったのではないか。今は新幹線や飛行機でさっと行け、また携帯で瞬時につながるけれども、背景にあるパワーが欠落しがちな気がする。

spot_img