【持論時論】歩くことは瞑想に通じる 雲水 聖照寺住職 東和空師に聞く(上)

大病後、広島から京都へ 途中、事故死のシカ供養

雲水とは、行雲や流水のように所定めず遊歴する行脚僧をいう。タイには座した釈迦(しゃか)像と共に歩く釈迦像も散見できる。歩くというのはどういう意味を持つのか、阿闍梨(あじゃり)で聖照寺住職の東和空(ひがしわこう)師に聞いた。(聞き手=池永達夫)

ひがし・わこう 昭和39年山口県下関市生まれ。宇部高等専門学校、サラリーマン、代議士秘書を経て、天台宗比叡山延暦寺で得度。行者山太光寺副住職を経て、現在、天台宗系寺院の聖照寺住職、聴行庵住職。カンボジアでの教育NGO活動を基に、宗教・宗派を超えた平和活動を展開し、難病からの回復を契機に傾聴広島を主宰。RCC(中国放送)ラジオの番組「東和空の行けばわかるさ」で12年間、パーソナリティーを務めた。

――大病をされた。どういう症状だったのか。

若い頃はラグビーをやっていて、健康そのものだった。

それでも当時から何かあった。ただ元気だったし、精神的にも充実しているから少々のことは苦にもならなかった。

それが十二指腸潰瘍になったり胃が痛くなったり、症状がだんだん深刻になってきた。結局、救急病院に運ばれ、1カ月半ぐらいかけた検査で多発性内分泌腫瘍症(MEN)と判明した。これは、複数の内分泌腺に腫瘍を多発する遺伝性疾患で、10万人に1人ぐらいの確率でしか罹(かか)らない難病指定がないほどの病気だった。難病指定があるのは、1万人に1人ぐらい罹る病気だ。

だが専門家は海外の症例などから、対応する薬とか手術とかも知っている。結局、担当の先生が見立ててくれ、膵臓(すいぞう)を切った方がよいとなった。

十二指腸がやられているのは十二指腸が悪いわけではなく、胃酸や膵臓から出る膵液の酸が出過ぎて、十二指腸を溶かしていた。

それを担当医は見つけてくれ、膵臓の摘出手術を受けた。それで2カ月半ぐらい入院した。

退院した時、医者じゃないのだけれど、祈りや山歩きなどしていた縁で知り合った人が見てくれた。この方は、体の構造が全部頭の中に入っていて、手前に臓器があってその裏に絡まっているとか、触ると臓器の状態が分かるような人だった。この人が臓器の癒着を取ってくれた。

身体を開くと空気が入って、臓器というのは癒着する。動いたり食べたりしていると、これが独立して働きだすようになる。手術しても翌日あたりからすぐ歩けというのは、癒着を取るための処方だ。

担当医は、完治まで半年から1年かかると言っていたが、10分ぐらいの施術にもかかわらず驚きの結果だった。腹に力が入るようになるし、お経の声も、前と変わらないぐらい出るようになった。

――どういうことをやるのか。

腹に指を突っ込んだりする。

――内臓マッサージということか。

だが患部以外の違う所も触る。その人は、筋膜とか腱(けん)とか筋とかがどのように通っているかも知っている。これが、即結果が出た。

――生命的なパワーが蘇(よみがえ)ってくるという実感があったということか。

そうだ。ふわーっと豆腐みたいな体がガチッと締まっていく感じだ。

歩くというのは、体の調子を取るには一番いい。アスレチッククラブで運動をやっても、部分的な強化はできるけど体全体のバランスを取るというのは難しい。この点、歩くというのは全身運動でバランスを取りやすい。何より瞑想(めいそう)と一緒で呼吸が長い間、安定する。

――広島から京都の比叡山まで歩いた動機は。

二つあった。自分の体を整えるということと、お師匠さまに健康になったことを報告するという二つだ。

何より心配をかけたお師匠さまにこれだけ元気になりましたと、お礼を言いに伺いたかった。

新幹線で行けば「良くなって良かったね」ぐらいで終わるけど、歩いて行くとなると「本当に良くなったのだ」と心底思っていただける。お前、馬鹿かと言われるかとも思ったが、お師匠さまは「そうか、そうか」と歓迎してくれた。

広島から京都まで大体、11日かかった。広島から国道2号線沿いにずっと歩き、神戸からは大阪の方に向かわず、丹波方面に道を取った。

兵庫に入ると朝早く、シカが車にひかれて道路の真ん中で痙攣(けいれん)していた。多分、ひいた人は逃げたんだろうけど、車がだんだん渋滞して、そこに出くわしてシカを道路の脇にずらした。大きなシカで1・5㍍くらいあった。そこでお経をずっと唱えたのを覚えている。

――それを聞くと心が痛い。さっきお寺に着く5分前、県道に狸(たぬき)がひかれていた。それをよけてきた。

車に乗ってれば、わざわざ降りてということはしないだろう。

こちらは歩いていたし、それも京都に行くという目的だけでなく、菩薩道の修行でもあるわけだから、その途上で出くわしたということは、役割が与えられたことになる。

それをうっちゃるわけにはいかない。

この時、弟子は泣いていた。それは動物が死んだことを悲しんだわけではなく、自分の役割が自分の意思で果たせたことの感謝の涙だった。それで泣いていた。

――ローマの軍隊は1日、40㌔動いたとされる。広島から比叡山まで約400㌔だから、ローマの軍隊とほぼ同じスピードで歩いたことになる。

これは事情があって、宿場町が30から40㌔の間にあった。江戸時代など街道が使われた時代、それで歩いていた。広島からだと次は西条、次は三原、ちゃんとそれで町ができている。だから1日歩く距離は35㌔ぐらいだ。

昔は女性が9里(36㌔)、男性が10里(40㌔)と言われてきた。

今はアスファルトで足がやられたり、信号があったり歩きにくいので大体、夜が明けて明るくなれば暗くなるまで歩いて、1日35㌔くらいだ。

何かあるといけないと思って、1人弟子を付けて歩いた。写真を撮ったり話をしたりしながらで、彼のペースもあるし、大体その程度のスピードになる。

――休憩は。

大体、コンビニで休憩を取った。

コンビニのある所で、水を買って飲んだり、休憩したりしないと、今度いつあるか分からない。


【メモ】東広島市の山間部にある寺に着くと、和尚から「一座」どうですかと誘われた。寺では4人が和尚を中心にして座禅を組み、瞑想していた。生まれて初めての座禅で、基本から教わった。折った座布団の上に尻を乗せ、膝を立てるような形で足を組むと3点が決まり体は安定し、背筋はピンと伸びていい形になる。この形だと肺が開いて呼吸にもいい。瞑想には呼吸が大事だ。そして休憩時はゆっくり歩いて調子を整える。徒歩もいい呼吸につながってくる。

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