解散請求は国際法上不当 米の迫害の過ち繰り返すな 米ブリガム・ヤング大学名誉教授 コール・ダーラム氏

宗教法学の権威が見る旧統一教会問題

Cole Durham 1975年、米ハーバード大学法科大学院で法学博士号を取得。76年からブリガム・ヤング大学法科大学院の教員となり、2000年に同大学院「国際法律・宗教研究センター」の初代所長に就任、16年まで務める。宗教法学の権威として、欧州安保協力機構(OSCE)民主制度・人権事務所の宗教・信念の自由諮問委員など、国際的な信教の自由擁護に関する要職を歴任した。

日本政府が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の解散命令を請求したことを、海外の宗教専門家はどのように見ているのか。米国で激しい迫害を受けた歴史を持つ末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)が設立した米ブリガム・ヤング大学法科大学院の名誉教授で、宗教法学の権威であるコール・ダーラム氏がこのほど来日し、世界日報の単独インタビューに応じた。(聞き手=編集委員・早川俊行)

――旧統一教会を巡る日本政府の対応をどう思うか。

私は過去40~50年にわたり、各国の宗教法人法や宗教を保護する国際法について研究してきた。近代の日本は偉大な民主主義国であり、私は人権や平和維持に配慮する日本に多大な尊敬の念を抱いている。だが、日本の旧統一教会に起きていることを知ると、非常に困惑させられる。

一般論として、宗教団体自体がひどい行為に及ぶという極端な状況が起こり得ることは理解している。しかし、安倍晋三元首相暗殺事件は、信者ではない人物が起こしたものであり、旧統一教会とは関係がない。それが合法的団体を解散させる理由にはならない。

法律を順守するために最善を尽くしているのであれば、解散手続きの対象となるべきではない。国際法の下で法人格を保持する権利がある。

――解散命令請求裁判の行方をどう見る。

最終的にどうなるかは分からないが、私の希望は司法プロセスが公正な形で機能することだ。このケースは暗殺事件が引き金となって激しい感情が溢(あふ)れている。裁判所や行政手続きが国際的なガイドラインに従い、旧統一教会が法人格を保持する権利を尊重することを願っている。

私は民主主義が深く根付いた日本の制度に大きな信頼を置いている。私の経験から、日本は他の多くの国々よりも人権の保護を認めている国だ。ただ、日本は時に、少数派団体に違和感を示すことがある。それこそが人権を順守しているかどうかの真のテストだ。

――米国で激しい迫害を受けていた時の末日聖徒イエス・キリスト教会と、現在の旧統一教会の状況に類似点はあるか。

類似点は19世紀にさかのぼる。末日聖徒イエス・キリスト教会は米史上、最も迫害された団体の一つだ。1880年代後半から90年代前半にかけて、教会を解散させようとする動きがあった。最高裁判決で末日聖徒イエス・キリスト教会の旧法人は解散になり、財産の多くが没収された。

教会は当時、多妻結婚を実践していたため、連邦政府の怒りを買った。また、教会の階級組織的な形態が反民主主義的だと恐れられたという見方もある。

しかし、今はほとんどの人がこれを米国の黒歴史の一部と捉えている。解散請求訴訟は不当で、起こされるべきではなかったし、教会の集団的権利と信者の個別的権利の両方を侵害するものだった。

これは旧統一教会の状況と似ている。日本が民主主義の伝統に忠実であるためには、米政府が信者の権利を無視したような事態に陥るのを避ける必要がある。

――末日聖徒イエス・キリスト教会の経験から、旧統一教会が日本社会に受け入れられるためには何が必要か。

どの時代も新たな宗教運動に対して過剰反応が起きる傾向がある。このため、末日聖徒イエス・キリスト教会が迫害から受容への歴史をどのように歩んできたかについて関心を持つ人が増えている。

受容に至るステップの一つは、個々の信者が普通の人々であり、法律を順守していることを社会に知ってもらうことだ。われわれの教会は法律を守り、住んでいる国のルールに従うことを信条としている。

もう一つ重要なのは、人道支援活動だ。われわれの教会には、世界有数の人道支援組織があり、他の宗教団体とも密接に協力している。

つまり、「良き隣人」となることだ。ただ、社会に受け入れられるには時間がかかる。われわれも100年後だった。

――信教の自由を建国の理念とする米国と違い、日本ではその重要性があまり認識されていない。健全な社会や民主主義を維持する上で、信教の自由の重要性をどう考えるか。

私がよく強調するのは、信教の自由は国際的に認められた人権の中で最も古いということだ。実際、言論の自由や平等保護など、他の人権の多くはもともと、信教の自由の問題から生まれている。

米国が建国された当時、信教の自由という考え方は、過去に試みられたことのない偉大な実験だった。それまでは、平和な社会を実現するには、宗教的に均質な社会でなければならないと考える傾向があった。しかし、実際はそうではなかった。国家が人々に一定の様式を強制することこそが最悪だと分かった。

宗教的信念は人間の尊厳の核心に近いものであり、その信念が攻撃されれば、人々は憤り、さまざまな形で反撃し、社会を不安定化させる。逆に、宗教的信念が尊重されれば、人々は自分の信念に従って安心して生きることができると分かり、国家や社会に感謝するようになる。

2世紀にわたる米国の経験を経て、世界の3分の2の国々が信教の自由を憲法の基本原則の一つにしている。信教の自由が守られている国では、多くの社会財が最大化されているという経験的証拠がある。

信教の自由は、他の人権状況を識別するカナリアのようなものだ。信教の自由がなければ、他の人権も失われる。信教の自由は多元的社会の基盤であり、安定を維持する鍵だ。

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