【持論時論】熱気球もスポーツ時代に(下)―一般社団法人・日本気球連盟会長 太田耕治氏に聞く

世界一に輝く日本人も 日本での初飛行は69年

学生・家族もチーム結成

先回は、熱気球でもIT化が進み、熱気球がスポーツ競技となっている状況を太田耕治さんに聞いた。続いて日本での熱気球の歴史や愛好者の状況、世界一を目指す若手の活躍も話題に上った。(聞き手・伊藤志郎、写真も)

【持論時論】熱気球もスポーツ時代に(上) 一般社団法人・日本気球連盟会長 太田耕治氏に聞く

――太田さんは日本気球連盟の会長をされ、2023年10月、岩手県の「一関(いちのせき)・平泉バルーンフェスティバル」では「熱気球ホンダグランプリ」第2戦の競技委員もされた。熱気球に引き込まれたのはいつか。

私は1950年(昭和25年)生まれで、小学4年生の頃にジュール・ヴェルヌの長編冒険小説『気球に乗って五週間』を読んだのが始まりだ。副題に「三人のイギリス人によるアフリカ探検の旅」とあり気球に乗ってアフリカを東西に横断する冒険旅行で、ナイル川源流やサハラ砂漠の上を飛んでいく。

熱 気 球 は 、 巨 大 な 風 船 の よ う な 球 皮 と 、 プ ロ パ ン ガ ス を 燃 焼 さ せ る バ ー ナ ー ( 中 央 ) 、 パ イ ロ ッ ト や ガ ス ボ ン ベ を 載 せ る ゴ ン ド ラ か ら 成 る

その頃は将来、天文学の研究者か少年探偵団になろうと思った。しかしこの本を読んで俄然(がぜん)、気球を作ってアフリカ探検したいと思った。水素ガスの気球は難しそうで諦めたが、60年ごろにアメリカのエドヨーストが今のようにナイロンの球皮とプロパンガスを燃焼させて浮くことに成功していた。高校2年生の時イギリスの科学雑誌で熱気球の記事を見て、これはできるかなと思った。天文気象部に入っていたが、そっちのけで気球を作り始めた。目的はアフリカで飛ぶこと、ケニアが目標だった。

約2年かけ布をミシンで縫い直径3メートルのモデルを作った。ガスバーナーは鉄工所で作ってもらい、人間やガスボンベを載せるバスケットも自分たちで作った。大学では富士山の裾野で飛び、琵琶湖を横断した。そして73年についに念願のケニアに行くことができた。

――外国に行くとなれば、手続きが大変だったのでは。

内閣官房副長官に話を聞いていただき、外務省から在ケニア日本大使館に公電を打っていただいた。航空界の大御所や航空管制官の支援もあった。

その結果、ケニア国内はほぼどこでも飛べることになった。普通は車が入れない国立公園でキャンプしたり、動物がいる地域でも飛行した。73年6月のことで、帰国して9月に熱気球連盟をつくった。半世紀前のことだ。

日本で初めて熱気球の飛行に成功したのは、京都大学のイカロス昇天グループと北海道大学探検部が共同で製作した「イカロス」5号で69年9月のことだ。その後、慶応大学探検部などと共に日本熱気球連盟を創設した。熱気球を始めたいという大学探検部などが増えてきて、事故などの問題が起きて強い法規制になることを危惧したからだ。当時から気球は日本で法的に、航空機として規定されていなかった。そういう意味では、自主規制団体として発足したことになる。基本的に日本気球連盟の安全規定は、欧米のものとほとんど変わらない。

2023年11月時点での連盟会員は約1500人、有効パイロットは1154人だ。機体は連盟の発足以来、1730機ほどが登録されたが、23年の有効登録機体は383機だ。

――空のスポーツ人口は全般的に減っているのでは。

熱気球は若い人も多いことが救いだ。クラブは大学で約20、高校は二つ。大学経験者で引き続きやる人も多いし、中核になる人が家族や知り合いとチームをつくることも多い。

――気球は、飛ぶパイロットと、地上で機体を回収する車両班が必ず必要だ。

うちも妻と娘3人がやっている。今回の「熱気球ホンダグランプリ」のオフィシャルバルーン「ニュー・アシモ」のパイロットは妻だ。奥さんがやっていたら旦那を引き込む、その逆もある。

――外国で飛ばすときは、気球やゴンドラを現地で借りるのか。

基本的には、日本からゴンドラなど機材一式を全部送る。日本では熱気球を航空機と見なさないがこれは特殊なことで、外国では飛行機と扱いは一緒だ。操縦するパイロットのライセンスと機体の国籍が一緒じゃないと問題が起こってくる。

――熱気球を見ると、みな機体番号が書いてある。

競技に参加する気球は日本気球連盟に登録しているし、保険への加入は必須だ。これから外国の熱気球が日本の大会に参加してくることを考えると、欧米と同様の規約が必要となる。将来は日本でも、熱気球が民間航空機と同じ扱いになるのではないかと思う。

――熱気球のパイロットになるには、実地と学科の試験を受けて合格するのか。

日本気球連盟が発効している熱気球操縦士技能証は、熱気球パイロットの技能を認定しているものであって、ライセンス(免許)ではない。あくまで個人が楽しみのために熱気球飛行を行う技能の認定なので、これを根拠に事業を行うことはできない。

諸外国の事業免許は国によって違うが、当然ながらアマチュアと事業用とでは難易度が全く異なる。オーストラリアなどは特に厳しい。

日本も事業者が増えてきたが、日本気球連盟としては事業者にどうこう言う立場にはない。私たちの熱気球操縦士技能証がライセンス(免許)となったとしても、今後も同じように進んでいくことを期待したい。

――競技大会と、楽しみながらの「フリーフライト」(自由飛行)の違いは。

私たちがランニングしていても、ほとんどはアマチュアだ。その中にアスリートがいて、さらに一握りがマラソン選手権などに参加する。熱気球も同じで、飛行を楽しむことと技術を極めるという違いであると思う。

世界選手権に参加する選手にはドーピング検査があることもあり、他のスポーツ競技と一緒だ。ジュニア選手権、ウィメンズ(女性)の世界選手権もある。藤田雄大(ゆうだい)選手は14年に優勝したし、国別ランキングで日本は2位だ。今は世界選手権で当たり前に10位以内に入る選手がいるが、昔は20位以内に入るのは夢のまた夢だった。


【メモ】熱気球世界選手権は1973年からほぼ2年に1回開催される、国際航空連盟(FAI)加盟各国の代表選手による熱気球競技の世界大会。日本では23回のうち4回開かれた。一方、FAI世界気球ランキングリストには、5位に藤田雄大氏、22位に上田聡氏が入っている。また女性に限ると20位以内に6人もの日本人が入る躍進ぶりだ。

おおた・こうじ 1950年、京都府生まれ。小学生の時に読んだ小説で探検・冒険好きに。高校から熱気球にはまり、大学生時代に琵琶湖横断やアフリカのケニア上空を飛ぶ。仲間と73年9月に現在の日本気球連盟を設立。75年~83年、85年~87年、2018年から現在まで会長を務める。

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