
進むIT化、パソコン搭載 日本は愛好者世界第3位
国内最高峰の熱気球競技大会である「熱気球ホンダグランプリ」が2023年、全国4カ所で開かれた。第2戦は、岩手県で10月に開かれた「一関(いちのせき)・平泉バルーンフェスティバル」の期間中、3日間で3回の競技が実施された。同グランプリにも携わった一般社団法人・日本気球連盟会長の太田耕治さんに、競技会場で、熱気球がスポーツの時代に入っている状況を聞いた。(聞き手・伊藤志郎)

――ここ一関のフェスティバルは、東日本大震災の翌12年に被災地の復興を祈念して始まり、15年からは「ホンダグランプリ」に参戦し今年で12年目を迎えた。競技内容が、当日早朝の気象状況で決まると知って驚いた。
日によって競技自体はガラッと変わる。
――1日目(10月3日)はメイン会場の水辺プラザ周辺に川霧が出て、高さ20㍍くらいまで浮かぶ係留体験は行われたが、競技は午前、午後とも中止。2日目の早朝も同プラザは霧で真っ白で、まるで雲海に沈んでいるようだった。
こっち(一関市の厳美(げんび)地区から東南の花泉(はないずみ)方面)は霧が出ていなかったので、競技会場に設定した。基本は有視界飛行が原則なので。
――大会のパンフレットには、競技種目(タスクと呼ぶ)は20種類あって、当日の気象状況などで競技委員長がタスクの内容を決めるとあった。花泉駅近くのこの場所は、HWZ(ヘジテイション・ワルツ)といって、定められた幾つかのターゲットの中から一つを選んでマーカーを投下するとある。毎朝5時半に実行委員会が協議し、選手に競技会場やタスクを発表し、それに基づいて選手が戦うというのはまさにスポーツの世界だ。
ここの会場では、稲刈りが終わった田んぼに白い布を交差させ、その交点にどのくらい近くまでマーカーを落とすかで点数を競う。
それぞれのチームはGPS(全地球測位システム)装置を持っているが、意外とターゲットの真上に来ていても投げ方で失敗する。上で「ギャー」とか叫んでいたパイロットがいた。高さが数㍍でもずれる。近くまで行って落とすのが一番だが、稲刈り後の田んぼだと新しく芽が生えているから、草にゴンドラがピッと触れただけで「地上接触」になり、ペナルティーとして減点される。
ターゲットのど真ん中に入ると1000点だ。マーカーまでの距離は地上計測員が測る。きょうは五つのタスクがあり、全部満点なら5000点だ。
――風上から幾つも気球が近づいて来ると見ていたら、少し経(た)って右斜め方向から来る。
競技会場によっては丘や谷があり、また太陽が照ってくると気温が変わり風も変わる。上空はある程度決まった風が吹いているが、地上付近は時間によってコロコロ変わる。
――それで、競技は早朝と夕方前に行われるわけだ。競技についてだが、きょうの場合は朝6時すぎから開始して、タスクが1番から5番まであると出発前に聞いた。そして3番目のHWZは大半の気球がこの場所を通るということで取材陣が待機していた。
5番目は「ラウンド・ラン(LRN)」だ。三つのマーカーを投下し、マーカーでできる三角形の面積が大きくなるように飛行する。最近はマーカーではなくGPSを使う競技がだいぶ増えたので、ターゲットの設定が地上ではなく、高度100㍍とか1000㍍とかにあったりする。あるいは、ドーナツ状の空間に長くいた方がいいとか、いわば「3D」タスクですね。最近はこういうのが増えてきた。そういう時代になってきた。
――まさしく熱気球が、自動車レースのF1とか、世界一過酷なダカールラリー(通称パリダカ)みたいなスポーツになってきた。
それぞれのチームは高度計とGPS、コンピューターを熱気球に積むようになった。僕らの時代はコンパスと地図、高度計くらいだったが、今は随分とIT化が進んでいる。
――太田さんにとって、熱気球の魅力とは何か。
今の若い人たちとわれわれの世代ではやり方が随分と違う。でも結局、面白い部分は一緒だ。
熱気球は他の乗り物のように、右や左に行ったりできなくて不便だ。上下にしか移動できない。でも不便だということは、人間の関わる部分が多いということで、そこが面白い。高度感覚であったり風をどう感じるか、皮膚感覚みたいな部分がある。初心者がトレーニングを始めると意外と分かるが、うまい下手がものすごくある。
――多くの人から「熱気球は上空では無風だ」と聞くが。
気球は風と一緒に流れているので無風だ。気球が上下して風の境目に来ると風を肌で感じる。そこが面白いと言ったら面白い。乗る機会があったら林の上を低空で飛んでみてほしい。一番浮遊感があって面白い。木の上をふわーっと飛べるのは気球しかない。
例えばヘリコプターだったら下降気流が生じるので、林や村の上をあまり低空で飛ぶわけにはいかない。しかし気球にはそれができる。気球は村の上を見ながらずっと飛べる。
以前にロシアを飛んだ時、スピードもゆっくりしているし、ずっと村があって森が続いている。飛んでいるというか浮いている感じだ。キザなことを言うと、水先案内人をパイロットと言いますが、気球だったら「風先案内人」となる。
――ロシアの話が出ましたが、外国の熱気球の状況は。
アメリカは気球の数も多いし愛好者も多い。ヨーロッパも多いが、日本は第3位くらいじゃないかと思う。日本は始まったのも早い。今のような熱気球は1960年代から始まったが、日本でも60年代の終わりに飛び始めていた。
【メモ】日本気球連盟は航空スポーツ機関として日本国内の気球愛好家によって結成された会員制の団体で、気球飛行の安全と技術の向上、講習会などのほか、年間約20の競技会・イベントの開催・告知に関わる。一方、「熱気球ホンダグランプリ」は1993年から開催され、熱気球グランプリ運営機構(AirB)が主催する日本の熱気球競技大会で、昨年は同連盟も関わった長野県佐久市、一関・平泉、佐賀、栃木市・渡良瀬の4会場で熱戦が繰り広げられた。