――「潜入 旧統一教会」の上梓は、ジャーナリズムについての窪田さんの信念にも関わっている。
長くこの仕事に携わっているが、自分の主義主張を持たないように気を付けている。これは私の持論だが、メディアであれジャーナリストであれ、必ず偏る。
<前回>「潜入 旧統一教会」著者 窪田順生氏インタビュー(2)陰口覚悟で信者の声伝える
その中の一つとして、自分の見たもの、聞いた内容を、あくまで「私の考えですよ」と提示するのが私のやり方だ。「俺様が絶対正しい」「俺が見た教団の真実はこれだ」というようなスタンスは取らない。できるかぎり読者に判断を委ねたい、という姿勢で仕事を続けている。
――読者に考えてもらうための材料を提示しているということか。
投げているだけ。「これだ!」というと、独善的になる。「反権力」を標榜(ひょうぼう)し、「弱者の味方」を強調するジャーナリストがすごく権威的だったりする。「多様性が大事だ」と言っている人に限って、自分の価値観・正義を押し付ける。そうしたことには疑問を感じる。
これを個人がやるならまだいいが、巨大なメディアだったら恐ろしい。朝日新聞やNHKなどが「われこそは正しい」と言い始めたら危ない。個人で弱い立場のフリーライターであっても、そうならないように気を付けている。
――弱者の人権を守ることは、ジャーナリストの重要な役割と言われる。しかし、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者たちが被害を訴えている、脱会屋やキリスト教牧師、親族らによる強制改宗・棄教(拉致監禁)について、マスコミはほとんど報じない。
今、霊感商法や高額献金の被害を訴えている元信者たちの話は分かる。しかし、過去にはそれだけでなく、拉致監禁の問題もあった。それらをどちらの側に付くのかということではなく、もっと大きな視点で語るべきなのが、私のイメージするジャーナリストだ。
ところが今は、旧統一教会を追及している鈴木エイト氏は教団に対して攻撃的で、拉致監禁は「引きこもりだ!」と、すごい極端なことを言っている。
弱者の味方として、被害を訴える人に寄り添うことは素晴らしいことだ。それなら拉致監禁の被害を訴えている信者に対して、なぜ同じ姿勢を取れないのか。初めからスタンスが決まっている、と考えてしまうくらい不自然だ。
――攻撃的になるのは、自分に都合のいい事しか話さないポジショントークになっているから?
そう、ポジショントークのような気がする。教団の被害を訴えている人は嘘(うそ)つきだとは思わない。どんな組織でも、やめた人はその組織に否定的な強い恨みを抱く傾向がある。信仰となると、それを否定しないと、新しい生き方ができないということもあるだろうから、その人たちの言い分も分かる。
一方で、教団の教えを信じて人生の柱としている信者が大勢いる。この両方の意見を聞いて、バランスを取る必要がある。ところが、拉致監禁の被害を訴える信者の言い分にはほとんど耳を傾けないで、「マインドコントロール」の一言で黙殺するのはフェアじゃない。
バランスを取ると言っても、私個人がバランスの取れたフリーライターという意味ではなく、全体でバランスが取れればいい。教団の被害については、小川さゆりさん(仮称)たちが訴え続け、それに耳を傾けるジャーナリストがいる。一方で、私のように、現役信者の話を聞くフリーライターがいる。その両方が存在し、それらを社会のみんなが判断すればいい。今はバランスが取れていない気がする。(聞き手・森田清策)
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