日本には古来から子供を大切にする文化があり、西洋から子供の権利や人権について学ぶ必要はない。こう主張する東京都江東区の児童家庭支援士の近藤倫子さんは、日ごろから「内なる国防は家庭に在り」と説き、岸田政権が法制化した「LGBT理解増進法」や「こども誰でも通園制度」は日本の価値観にそぐわないと訴える。近藤さんに日本が目指すべき子育て政策について語ってもらった。(聞き手・豊田 剛、写真・亀井玲那)
欧米諸国が最近、子供の権利を強調するようになった理由を知るには、その歴史的背景を知る必要がある。西洋は古代中世の時代、子供の概念がなかった。サイズの小さな大人という感覚で、子供を大事にしようという考えはなかった。子供に労働を強制し、貧困家庭の乳幼児は無能貧民として扱われ、浮浪者や病人などと同じ不衛生な施設に収容され、多くの子供が命を落とした。
フランスの歴史学者フィリップ・アリエスは1960年、著書『子供の誕生』の中で、古代中世ヨーロッパに子供期はなかったと記している。その後、ルソー、ペスタロッチ、フレーベル、オーエンらの教育理論や実践が土台となり、子供も大人と同じように権利主体の存在であるとの考えが広まった。1900年にはスウェーデンの女性思想家エレン・ケイが『児童の世紀』を著した。西欧では20世紀初頭になってようやく、子供の教育の必要性、社会階層とは無関係の公立学校の普及、子供の体罰の禁止を説き、子供への正しい理解と尊重をうたうようになった。
日本は事情が違う。日本では平成元年あたりから子供の権利を叫ぶようになったが、当時の日本人はピンとこなかった。それもそのはずだ。日本では、子供は古来から大切に扱われてきたからだ。欧米から学ぶ必要などなく、元からあった子供観や家庭観に立ち返ればいいのであって、特別に権利や制度は要らない。
1300年前の奈良時代に編纂(へんさん)された世界最古の歌集「万葉集」の中で、山上憶良は「銀も 金も 玉も なにせむに まされる宝 子にしかめやも」と歌った。意訳すると「金銀よりもパールよりも何物よりも優っている宝って子供だよね」となる。ずっと守るべきものという価値観で、あえて権利を主張する必要はない。
また、渡辺京二著の「逝きし世の面影」には、江戸時代に日本に視察や仕事でやって来た欧米人が、日本ほど子供を大切に扱ってきた国は見たことがないと驚いた文献が載っている。
日本人は西欧の価値観に侵され過ぎだ。自民党の松川るい参院議員がフランス研修をしたが、そもそもフランスから学ぶ必要などなかった。議員らは「子供を早く預けたい」と考えているが、これは大人の都合にすぎない。
乳幼時期に保育所に預けることは、子供の発育過程にマイナスだ。この時期に母親の愛着を受けられなかった結果、青少年期の犯罪につながることが分かっている。「お母さん行かないで」と泣いて抱き付く。こうした子供の声に寄り添わないことを、子供政策と呼べない。4月1日に発足したこども家庭庁は「こどもまんなか社会」というスローガンを掲げているが、母親が働くために乳幼児のうちに保育所に預けられることは、子供の願いや意見を尊重していない。