【持論時論】祖国に帰りたいけど帰れない 在日同胞支援ボランティア ハラボジ・ハルモニを支援する会代表 水尻福子さんに聞く

在日1世の葬儀も 朝鮮語でお経を上げてもらう

日本にはさまざまな理由で日本に住むようになった在日外国人が存在している。代表的なのは、在日同胞と呼ばれる北朝鮮系の朝鮮総連と韓国系の民団に所属している人々である。国籍問題や言葉、その他の問題などで、戦後、底辺に生活する在日1世の人々と出会い、ボランティアの支援活動をするようになった「ハラボジ・ハルモニを支援する会」の代表・水尻福子さんに話をうかがった。(聞き手=羽田幸男)

みずしり・ふくこ 昭和28年、東京都墨田区生まれ。4人兄弟の末子。滝野川女子高等学校卒業。「ハラボジ・ハルモニを支援する会」を設立して、身寄りのない在日同胞支援活動をする。亡くなった在日の1世のために遺骨の慰霊祭を営んできた。

――在日同胞の支援に関わるようになった経緯は。

両親の影響を受けたことが大きい。母が天理教の信仰を持っていて、ホームレスとか近所の困っている人に、お金やコメとかいろんなものをあげていた。母は和裁の先生もやっていて、父よりも稼いで、それを使って人助けをした。私もそうした母の姿を見て育ったので、かわいそうな人を見ると、心が動かされた。どうして在日同胞支援の活動を始めたのかというと、そうした人と出会ったから。埼玉県の西川口に文ハラボジ(おじいさん)というおじいちゃんがいて、この人が身寄りがなく木造アパートに暮らしていた。

たまたまコンサートのチラシの配布で行って、そこでおじいちゃんと親しくなった。ある時、アパートが火事になって全焼してしまった。ハラボジが病院に入院して住む所がなくなったので、着るものの世話とか住む所とか一生懸命に探した。

ハラボジは火事のショックで、お見舞いに行くたびにだんだん体が衰弱していって、入院してから3カ月で亡くなった。身寄りもないので私たちで何とか葬儀をした。それがきっかけになって、在日の環境を知り、日本の中で彼らが生きていくことの難しさに衝撃を受けた。それから、在日の苦労している人を探して支援活動するようになった。

私はずっと親の介護もしていた。その親が亡くなって遺産をもらい、それで家を買って在日支援のために使おうと思った。居場所がないハラボジやハルモニ(おばあさん)を家に呼んでデイサービスの真似(まね)事のようなことをした。土日とか、ハラボジやハルモニたちを家に呼んで、食べたり飲んだりしてもらった。あんまり国籍も関係ないっていう感じで、民団に行っている人も朝鮮総連の人もいる。

2015年から16年ぐらいの間に、支援していた1世も2世も亡くなっていった。

BC級戦犯にされた後藤ハラボジ、樺太(サハリン)に徴用で連れて行かれた岩城ハラボジ、権ハラボジ。あまりにも悲しい人生を生き抜いた1世たちの、それでも温かく個性豊かな人柄に私は本当に癒やされ、日韓の悲しい歴史を知ることとなった。

私の出会ったハラボジ・ハルモニたちは韓国から密航してきたが、強制連行は一人もいなかった。多くの1世たちは日本が景気が良かったので、一旗揚げるつもりで日本に来たと言っていた。

全く身寄りがなかったのは、芦田のおじいちゃん。韓国の馬山(マサン)が実家で自分が長男だから、お墓参りに行きたいとよく言っていた。それじゃあ、と私たちで連れて行こうとしたら、急に嫌がっちゃって行かない。在日の人たちの故郷に対する望郷の思いは強いが、帰れば帰ったで居場所がない。帰れば親日派って苛(いじ)められるということもあったから、日本で暮らすしかないし、複雑な思いがあったと思う。

その後、済州島に行きたいと言い出したので、私たちで資金を出して、済州島に観光に行ってもらった。その時は、子供のように、はしゃいで喜んでいた。

ハルモニたちのことも忘れられない。ハルモニの多くは、日本語の読み書きができない。自分の名前と住所ぐらいしか書けない。私はハルモニを喜ばせたくて、カラオケとかドライブとかお食事会とか誕生会をやった。

在日同胞と触れれば触れるほどハラボジたちの人生は何だろうな、どうしたらいいんだろうなと考えることがある。日韓の狭間(はざま)でした苦労は報われるのだろうか。私としては生きている短い間でも、日本人に尽くされて幸せになってほしいと思ってやってきただけなんだけれど。

――何人ぐらいのハラボジやハルモニを世話したのか。

24人ぐらいかな。私の場合はとにかく話を聞いた。自分のいろんなこと、恥ずかしいことは同じ同胞には言わない。逆に誰も言えないから日本人にだけこっそり話すわけ。それはもう話しながらわんわん泣いているから慰めようがない。子供を捨ててきたとか、そんな話が多い。中には夫が愛人を連れて来て、奴隷のような生活だったとか。

そういうことがいっぱいある。誰にも言えずに自分の心にしまってきたことを聞くと、もう強烈に細胞の中に染み込んでいく。気の毒って簡単に言えない。あまりにもすさまじくて。どうしていいか分からなかった。

――葬式もしてあげた。

支援活動で知り合った岩城のじいちゃんが亡くなった時には、もう病院に6年も入院していた。6年間風呂に入っていないので足を洗ってあげた。荷物もカラーボックスに入るぐらいしかなくて、それが全財産だった。冬の寒い日に病院から私に連絡が来て、亡くなったことを知った。浴衣だけを着せられて寝ていた。本当にもう言葉がない。誰も泣く人がいないので、私と支援仲間の酒井さんで、病院中に響く声で泣いた。

そのまま町屋の斎場で荼毘(だび)に付した。私は当時母の介護をしていたこともあって、その遺骨を抱えてどうしたらいいか分からなくて本当に困った。そしたら、在日の2世のハルモニがたまたま国平寺に勤めていて紹介された。そこで、朝鮮語でお経を上げていただいた。遺骨を家に持って帰ることもできないので、国平寺の住職にお願いして、しばらく預かっていただいていいかってお願いしたら「どうぞ」って受け入れてくれた。

ハラボジとのお別れの野辺送りをしたら、その後、韓国の38度線の非武装地帯に埋葬する場所ができた。そこに国平寺の住職さんに頼んでハラボジの遺骨を埋葬してもらった。ハラボジ・ハルモニを支援する会の名前が、韓国の新聞に載ってテレビにも放映されたと聞いた。

このような活動は、本来、個人レベルでやることではなくて、日本の国家とか韓国政府、民団とか朝鮮総連などの団体がやるべきこと。私の気持ちには複雑なものがある。だけど誰もやらないから、せめてうちの会でやろうと思って精いっぱいやってきた。

私が感動したのは支援会員の長瀬さんのこと。奥さんが韓国人で、あまり喋(しゃべ)らないんだけれど、長瀬さんがうちの会を支援する時は、必ず必ず応援してくれる。こういう人が恩讐(おんしゅう)を超えた人だと感じている。

今は、在日同胞支援と南北平和統一のために、慰霊祭や朝鮮学校に鉛筆などの学用品などを送る活動に力を入れている。


メモ 遺族にとってはまだ戦後は終わっていない。在日の遺骨の場合はまだ日本多くに残されている。その遺骨も集めて、祖国へ帰還させたいと水尻さんは思っている。また、在日同胞の供養には、それぞれの故郷の言葉でお経を読んでもらうことが重要と指摘する。日本人が供養することも大事だが、魂となった人たちの心を慰めるのは、朝鮮語のお経であると読経を聞きながら実感したという。それが国平寺の住職さんとの出会いによって解決した。夢によくお世話をした在日のハラボジが出てきたりすることもあるが、供養することによってあまり出なくなった。成仏されたのだと水尻さんは信じている。

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