解散は民主主義的な調和の否定
――旧統一教会と北朝鮮の関わりをどう見るか。
文鮮明氏(統一教会の創始者)は、初期に北朝鮮での伝道活動で捕まった過去がある。一方で、冷戦後に訪朝して金日成国家主席(金正恩総書記の祖父)と会ったことも事実だ。そのため、文氏の教団と結び付いていた安倍氏が、実は「エセ保守」だという批判を見掛けることがある。
だが、安倍氏の外交方針が、北朝鮮に対して非常に厳しい姿勢であったことは明らかだ。それに韓国の文在寅政権(革新系)に対しても厳しい対応を取った。実際の外交を見れば、安倍氏への「エセ保守」という批判は明らかに間違いだ。
それに文氏への批判自体も、当時の情勢を無視したあまりにも一面的な見方だ。彼の動きは、東西ドイツ統一から後の東欧諸国(旧共産圏)のNATO(北大西洋条約機構)、EU(欧州連合)加盟に至る国際情勢の変化に沿っている。文氏が自由主義陣営の代理人として北朝鮮の取り込みを図ったことは否定できない事実だろう。あるいは故郷を取り戻そうとしたのかもしれない。
ただ、いずれにせよその試みが失敗に終わったことは、確かに今の北朝鮮を見れば誰の目にも明らかだろう。だが結果のみを取り上げて、当事者たちの努力をことさらに否定することは問題だ。文氏を批判するのであれば、そもそも北朝鮮を支援する中国の共産党体制を許容して対中投資を重視した日米や韓国の冷戦後の国家戦略こそ批判されるべきだ。
また、事実として安倍氏を断固として支持し続けたのは旧統一教会の人々だ。安倍氏は、中国の覇権主義が明らかになると、北朝鮮や韓国左派に対して非常に厳しい政策を採った。日米韓に見られる冷戦後の経済戦略が、中国の軍事的膨脹を助長する中で、保守本流の安倍氏と教団が一貫して共産圏への対処を重視した点は注目されるべきだ。
また、戦前の日本に留学経験を持つ文氏が、韓国から日本に弟子を送り、そして米国には自身が渡ったという教団拡大の経緯から見ると、教団が日本、米国、朝鮮半島をつなぐ自由主義・民主主義国家のパイプ役として機能した側面は否定できない。
すでに安倍氏という世界的な調停役が失われている。この状況下で、日米韓の保守を代表する教団に不当な形で解散命令請求が出された。その政治的意味はもっと真剣に議論されるべきだ。
歴史的に見た場合、民主主義的な調和が否定され、暴力による破局を迎えるか否かの瀬戸際にあることは疑いようのない事実だ。(聞き手・森田清策)