【持論時論】インドを牽引するモディ首相とは―21世紀日亜協会会長・大阪国際大学名誉教授 岡本 幸治氏に聞く

貧村生まれ 叩き上げ政治家 民族奉仕団で実績積む 州首相時代、経済発展を主導

今年、インドは人口で中国を抜き、世界一になった。経済ではかつての宗主国イギリスを抜いて米中日独に次ぐ第5位、軍事費では米中に次ぐ3位で、安倍晋三元首相が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」戦略の時代に存在感を増している。躍進インドをけん引するナレンドラ・モディ首相について、インド研究の第一人者、岡本幸治氏に聞いた。

おかもと・こうじ 専門は日本近現代政治史・政治思想。1970年代に1年間、インド国立ネルー大学(JNU)で日本について講義。大阪府立大学、愛媛大学などを経て、現在は大阪国際大学名誉教授。経済人や大学間の日印交流にも貢献し、日印友好協会理事長、21世紀日亜協会会長を務める。著書は『インド世界を読む』『インド亜大陸の変貌』『南アジア』『北一輝』『脱戦後の条件』『凸型西洋文化の死角』など多数。

(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

――モディ首相はどんな人か。

日本ではガンジーやネールに比べると知名度が非常に低いが、従来のリーダーがイギリス留学のエリートであるのに対し、モディ首相はインド北西部のグジャラート州の貧しい村に生まれた叩(たた)き上げの政治家だ。

インド独立後、憲法が発布されて間もない1950年9月17日に、彼は食料品店を営む一家の三男として誕生。当時、村には電気も引かれておらず、日干し煉瓦(れんが)を泥で固めた小さな平屋の三つの小部屋に、両親と子供を合わせて8人が暮らしていた。少年時代、家の前や国鉄の駅構内で旅客にチャイ(インド式ミルクティー)を売ることを生業(なりわい)としていた。小学校に通うようになっても朝のチャイ売りは続けていた。運動神経が抜群で、ワニがいる湖を泳ぎ、寺院の手入れをして無事に戻り周囲を驚かせたという。

小学校では討論の授業で並外れた才能を見せ、授業では教科内容ではなく教育方法について「なぜそんな教え方をするか」と教師に食ってかかり、困らせたらしい。

大学で学士号を取ったのは30歳近くになってからで、グジャラート大学で政治学の修士号も取得した。社会活動家でヒンズー教の優れた活動家でもあったヴィヴェーカーナンダの思想に強い影響を受けた。

――政治に目覚めたのは。

彼がヒンズー教徒の政治家として人生を歩むことになった最初のきっかけは、8歳の時に初めてインド人民党の下部組織であるRSS(民族奉仕団)が主宰している朝の団体訓練に参加したことだ。RSSは母なるインドを神聖な大国と位置付け、長い歴史を誇るヒンズー教の伝統に基づく立国を目指す団体で、朝夕の体操や厳しい訓練などで知られている。

僕もインド滞在時に朝早くから公園や広い道路に集まって厳しい規律で知られているこの団体の訓練ぶりなど、おおらかなインドには、このような規律を持った団体もあるのだなと、しばし立ち止まって見物したことがある。モディ氏は15歳の時に加入し、先輩から指導を受けながら毎日の生活を厳しく律し、徹底的な禁欲主義者として成長していったらしい。インド各地の旅に出てヒンズー教の瞑想(めいそう)の場であるアシュラムで修行をしたと伝えられている。

1969年にグジャラートに戻り、叔父と共に食堂で働いていたが、その2年後に起きた第3次印パ戦争を機に民族奉仕団での活動を本格化させ、それが認められて1987年にインド人民党に入党した。彼は選挙の宣伝などでその働きが評価され、グジャラート地区の党代表に選ばれている。その後、党内の派閥争いを収めるなどして昇進し、98年には党幹事長になった。

政治組織としてのインド人民党は、独立以来30年間、インドを率いてきた国民会議派に対抗する過程で、民族・宗教政党から、インフラ整備や社会的公正の実現などの政策を打ち出す団体に変化した。1977年には野党連合が総選挙で勝利し、それまで国民会議派に独占されてきたインド政治に大きな変化が生まれた。

1989年の総選挙で大躍進して初めて政権を奪取し、90年代後半には国民会議派を上回る勢力を持つようになり、96年の総選挙で第1党となるが、連立工作に失敗して長続きしなかった。98年の総選挙で再び第1党になると「強いインド」を掲げて核実験を強行し、国民会議派が始めた政策も取り込んで安定政権を維持するようになる。

インド人民党は全国政党に成長していく過程で宗教や階層など特定のコミュニティーに依存しない、幅広い層からの支持を獲得することに成功した。ヒンズー教徒という中核支持層を固めた上で、経済成長による豊かさの実現を訴える政党に変化していったのである。

――政治家として飛躍は。

民族奉仕団における長い活動期間を経て党内での地位を高め、2001年にはグジャラート州の首相に選出された。彼の指導の下で外資を積極的に導入した結果、道路その他のインフラも整備され、インドの中でも目覚ましい経済発展を遂げる州となった。太陽光発電施設なども整備され、停電が最も少ない州として、日本企業の進出がどんどん進むようになった。

その成功体験をインド全土に広げたいと、選挙戦では分かりやすく訴えて世論を味方に付けた。物価の安定や雇用の創出、そしてインフラ投資の強化こそ、インド再生の切り札だと訴える彼に国民的な人気が生まれた。それは従来の野党の指導者にはなかったことだ。

2014年のインド総選挙の投票結果は、インド人民党が下院の10年ぶりに単独で過半数を占めた。この大勝利は「インド人民党首相候補」の指名を受けていたモディ氏なしには考えられない。インドの大統領は政治的実権は持たないので、実際には首相が国家の最高権力者だ。

――日印関係については。

インドの重要性を認識し、大きな成果を上げたのは安倍晋三元首相である。安倍氏が2006年に首相に就任してからインドへの借款供与額は右肩上がりで、政府開発援助(ODA)は質的にも変化し、新幹線や地下鉄、貨物鉄道といった大型案件が増えた。

ムンバイ~アフマダーバード間の高速鉄道計画は、約500キロ離れた2都市間の移動が、約8時間から2時間7分に短縮される。総事業費1兆円を超す円借款が低金利で供与されるが、用地取得その他で計画は遅れ、開業は2030年ごろだろう。

【メモ】岡本氏の自宅は京都市北区紫野、今宮神社の近くにある。お宅に伺う時には同社にお参りし、参道の店であぶり餅を食べることにしている。向かい合わせに「一和」と「かざりや」があり、かざりやの方が少し甘め。香ばしい香りに平安時代からという長い歴史を思う。京都ではそんな出合いが楽しい。和服が似合う氏は、若い頃からの情熱家で、かつての禅修行の故か、齢(よわい)を重ね道人の風格を漂わせるようになった。


おかもと・こうじ 専門は日本近現代政治史・政治思想。1970年代に1年間、インド国立ネルー大学(JNU)で日本について講義。大阪府立大学、愛媛大学などを経て、現在は大阪国際大学名誉教授。経済人や大学間の日印交流にも貢献し、日印友好協会理事長、21世紀日亜協会会長を務める。著書は『インド世界を読む』『インド亜大陸の変貌』『南アジア』『北一輝』『脱戦後の条件』『凸型西洋文化の死角』など多数。

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