【持論時論】手染めへのこだわり 才能は人のために発揮 大漁旗職人/駒井 敦さんに聞く

絵描きは中学からの夢 生まれ変わってもこの仕事

浜に待つ人々に向けて、大漁を知らせるために漁船が掲げる大漁旗。ポリエステルの生地に機械でプリントした大漁旗が増える中、現在も昔ながらの手染め作業を続ける大漁旗職人の駒井敦さんに話を聞いた。(聞き手=石井孝秀)

 こまい・あつし 1952年、静岡県焼津市生まれ。営業職や運送業などを経て、大漁旗の染物職人の仕事に出合う。現在に至るまで、焼津の町で手染めの大漁旗制作を続けている。

――手染め作業では、どのような手順で大漁旗を制作しているのか。

手染めの工程は、最初に布地に描かれた下絵に沿い、防染のりを塗っていく。防染のりとは、文字通り染色を防ぐ効果があるもので、多彩な色を使い分けていく大漁旗には欠かせない。塗り絵でいえば、黒線部分に当たる。

続いて刷毛や絵筆を使い、裏と表に染料をしっかりと染み込ませていく。そして、防染のりを落とすため旗を熱湯で洗い、最後にミシンで縫製して完成する。それぞれの工程の合間に旗を乾燥させる必要もあり、完成までに約1カ月かかる。

大漁旗の色は派手でないといけない。遠くから見ても分かるよう、大海原と青い空に映える色合いが好まれる。毎回、オレンジやピンクといった明るい色を選ぶ人もいるほどだ。海を泳ぐ立派なマグロやタイといった魚を描き込むことも多く、新しい船の進水式や成績優秀だった漁船を祝うためにも使う。

――駒井さんが活動している静岡県焼津市は、マグロ漁港として全国的に有名だ。

江戸時代のころには既に、焼津は漁港としてその名が知られていて、徳川家康により新鮮な魚をすぐ届けることができるよう、「八丁櫓(ろ)」という船脚の速い木造船が特別に許されていた。

焼津での大漁旗の発祥がいつからか明確ではないものの、100年ほど前は大漁旗作りの店が十数軒あった。ただし、今では実質1軒しか残っていない。

焼津だけの特徴かは分からないが、この辺りでは「大漁」の字は赤く染めないことになっていて、理由は「赤字」に通じるからと聞いている。毎年正月になると、焼津神社に縦長の大きな幟旗(のぼりばた)が奉納され、大漁の祈願をする風習もある。

――手染めによる大漁旗が減っているのはなぜか。

後継者がいないためだろう。ほとんどの染物屋は家族経営のため、継承する人がいなくなれば閉店するしかないのが現状だ。

手染めによる大漁旗とプリント製とでは質感がまったく異なり、大量生産のプリント製は安っぽく見えてしまう。しかし、プリント製は手染めだと難しい柄やぼかしなどが可能であり、それを好む人が増えてきたのかもしれない。

ただ、私がもしプリント製を作れたとしても、手染め作業の方に喜びを感じると思う。今も染めている時、好きなことをやらせてもらっているという感謝の念が湧いてくる。

――この仕事を始めるようになったきっかけは。

中学生の頃から絵を描く仕事に憧れていた。だが、それで生計を立てていくのは難しいとも分かっていたので、営業職や運送業などの仕事に就いた。やがて結婚し、3人の子供にも恵まれたが、40代を過ぎて限界を感じるようになってきた。

その頃、食肉を運ぶ保冷トラックの運転手をしていたが、30キロ以上の肉塊など重い荷物はすべて手積みの上、夜間の仕事も多くて、子供の顔を見ることができない。そのため、思い切って転職を決意した。

たまたま求人の出ていた染物店で働くことになったのだが、大漁旗を染めている場面を見て、その瞬間「やりたい!」という思いが溢(あふ)れた。先輩の職人から技術を教わり、今では一人で手掛けるようになった。

ずっとやってみたかった筆の仕事を得ることが出来、夢のようだった。今では、生まれ変わってもまたこの仕事をやりたいと思える。

手染めは毎回同じ作業の繰り返し。だから、周りからは時たま「よく飽きないね」と言われるが、これが飽きないし大変とも思わない。好きなことだから。実際、時間が経(た)つのも忘れてしまう。

――制作の上で大変だったことは。

昔の染料は化学反応によって発色させていたのだが、有毒なものも扱っており大変だった。今はセイミック染料という、のりに色を付けるようなものになったので、ずいぶんと楽になった。

ずっと困難で今も研究中なのが、防染のりの作り方だ。気温と湿度が影響して使用している間にも、のりの状態が変化してしまう。

だから今でも、もっと良いものを作ろうとか、もっと工夫してみようという意欲が溢れてくる。失敗を恐れて簡単に済ませようとするのは逆にストレス。未(いま)だに挑戦している真っ最中だ。

特に決められた型はなく、自由に染めていいという仕事が一番好きなのだが、顧客から「予想していたよりもよかった」という声はやはり励みになる。

――最近だと大漁旗を船に掲げるのでなく、縁起物として室内インテリアのように飾られるケースも多いと聞く。

誕生日用に依頼されるケースも多い。私も孫のために誕生祝いの旗を何度か作った。孫たちの幸せを願う祈りを込めて、鶴亀や一富士(いちふじ)二鷹(にたか)三茄子(さんなすび)、宝船、そしてフクロウなどを染めた。孫が大きくなってから、自分は愛されて生まれてきたんだなと思ってくれればうれしい。

また、義父の米寿の祝いに贈った旗も印象的だった。今は特別養護老人ホームに入居しているが、旗は部屋に飾られていて、スタッフや入居仲間にも自慢している。あまりに褒めるので、老人ホームにも七福神の旗を寄贈させてもらった。

――自身の座右の銘としていることは。

昔、深夜ラジオの放送でたまたま聞いたのだが、「マタイによる福音書」25章でイエス・キリストの語る「タラントのたとえ」が心に刻まれている。

ある主人が3人のしもべに、5タラント、2タラント、1タラントの財産を分け与えた。2人のしもべはそれを元手にして儲けを生んだ。だが、1タラントを預かったしもべは何もしなかった。そのため、後に主人から叱責を受けたという話だ。

ここで登場する通貨単位のタラントは、「タレント(才能)」の語源とも言われている。この話を聞き、人間は天から授けられた「才能」を、社会や人々のために発揮するべきだと感じた。人には皆何かしらの才能が与えられている。相手を喜ばせるために、自身の才能をどう使うかを意識しながら、きょうも仕事をしている。


【メモ】実際に作業現場で仕事をする姿を見学させてもらったが、たった一人で大きな旗を染め上げていく姿に、これまでの積み上げてきた研鑽(けんさん)を感じた。同時に「この仕事が大好きだ」という、シンプルだが職人として一番大事な精神が、その後ろ姿から垣間見えた。

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