【持論時論】調停委員が見た家庭問題―学習院女子大学元教授、NPO法人 修学院院長 久保田 信之氏に聞く

接点探しなく金の駆け引き 助け合いと依存が必要

個人主義克服へ「つながり」を

家庭問題というと親子問題に集約されがちだが、その前に夫婦の問題が存在する。最近、顕著となってきているのが別々の人生を歩もうとしている夫婦の存在だ。その先には、親子分離の子育て問題が浮上しがちだ。根は夫婦一体化が成されていないことにある。束縛されたり、自分の世界に土足で入り込まれるのが嫌だから、結婚しないという若者が増えてもいる。家庭裁判所の調停委員を長く務めた元学習院女子大学教授で(NPO法人)修学院院長の久保田信之氏に聞いた。(聞き手=池永達夫)

くぼた・のぶゆき 1936年8月生まれ。学習院大学卒、法政大学大学院博士課程終了。学習院女子大学教授を定年まで務める。アジア太平洋交流学会創設。特定非営利活動法人(NPO法人)修学院院長。家庭裁判所調停委員の功績が評価され藍綬褒章受章。著書に『教育原理』『道徳教育の研究』『神なし個人主義』『家族崩壊 ひとは独りでは生きられない』など多数。

――家庭裁判所の調停委員として、家庭崩壊のリアルな現実に直面してこられた。

日本の家庭裁判所に調停制度を確立させたのは、旧信州高遠藩主内藤子爵家の第14代当主・内藤頼博(よりひろ)で、元東京家庭裁判所長で退官後、弁護士となり、その傍ら多摩美術大学学長、学習院院長を務めた。内藤氏が求めたのは、相手の要求も認めながら接点を探す合意だった。

ところが今はそこまでやれない。昔のように、当事者が調停委員の意見に歩み寄ることがなくなったし、深入りするなと言われてしまいがちだからだ。

――調停に持ち込まれる案件で、多いケースは。

持ち込まれる案件の関心事は、お金だ。どれだけ多く取れるか、どれだけ少なくて済まされるかの駆け引きをする。

結局、調停が示談金相談のようになってしまって、弁護士が示談金計算の方程式をつくっている。さらに悩ましいことに、調停が出てもその通りには支払われないケースがしばしば起きてしまう。そのため調停委員の業務が空(むな)しくなっている。うるさいから調停には合意し、最初は支払っても、そのうち逃げてしまう。

――調停結果に対する行政の命令権限はないのか。また合意済みの調停結果に反した場合、刑事罰は科されないのか。

民事裁判なので刑事罰はない。借金の返済と同じだ。返さないで逃げ回られると、手の施しようがない。当事者が会社に勤めていれば追跡して督促することが可能だが、自由業の場合は追跡そのものが難しくなる。

――誤った個人主義の弊害を感じるが、どう克服すべきなのか。

個人主義の克服には、「独立した権利の主体」から「人間の哲学」に回帰することが肝要となる。個人という発想ではなく、人と人とのつながりの哲学をつくり上げていく必要がある。

人は一人では生きていけない。みんなと助け合いながら、依存しながら生きていくものだという理解が必要だ。人間は神のように強いものではないから、こうした「人間の哲学」を打ち立てる努力が願われる。

相手から必要とされることで「生きがいと喜び」を感じ取れる。そうした役割を担っているからこそ人間なのであって、その役割を全く放棄するのは自己崩壊につながる。

 今の子供は、してもらいたいことだけを考えているケースが多々見受けられる。その方が得した気持ちになるのだろうが、そうではない。

 主婦が家政婦のように一人で忙しそうに家事をして、夫や子供が知らんぷりしているのではいけない。主婦は家庭をマネージする立場なので、家族それぞれに役割分担を担わせればいい。子供には子供でもできることを任せる。主婦はそれを監督するだけでいい。一段落したら、家族だんらんの場を持つ。子育ては楽しいということを実感するには、支え合う仕組みをつくることだ。

一番悪いのは、関わりを減らすことだ。役割を放棄して、自分のやりたいことをやるのでは家庭が崩壊してしまう。

人間は、人と人とのつながりの中にいることを心底理解するには、関わりを増やしていく必要がある。

――家庭とは暖炉のようなもので、相互に薪(まき)をくべ続ける必要がある。

夫は仕事に振り回されているうちに、妻との会話がなくなり気持ちが離れてしまう。母親は娘との距離が近いが、父親は子供との距離が遠いので、居場所がなくなりがちだ。そのため変に威張ってしまうと、家族から総すかんを喰(く)らってしまいがちだ。

教師にしても、子供の心に中にいければ、教師冥利(みょうり)に尽きるところがある。心に中に入れないまま、ただ言葉だけが頭の上を通過しているだけだと、やりがいを感じなくなる。私は調停も教育そのものだと思ってきた。

家庭裁判所の調停委員を17年ほどした経験から、何を考えて結婚したのかと思うようなケースにしばしば遭遇した。

自分が勝手に描いた憧れや思い込みで結婚し、それとは乖離(かいり)した現実に直面すると、どう対応したらいいのか分からなくなる。結局、お互いにふて腐れたようになってしまい、家庭は崩壊する。

――家庭の現実にそぐわない法律の問題もある。

「夫婦は同等の権利を持つ」となると、夫は「稼いでいるのは自分ではないか」という不満を持つ。同等の権利ならば、自分で使う金は自分で稼げ、俺が稼いだ金は俺が自由に使うから、となる。まさに子供の論理だ。

結局、夫婦に関し独立した権利の主体を個人とするから、財産の形成や管理が問題になる。稼ぎ手が夫である場合、夫が主たる権限を持つ。

主婦が責任を持って運用する家計という言葉がなくなり、夫の金、妻の金となった。米国では「彼の金を私が管理している」という言い方をする。だから稼ぎ手である夫の許可なく使えない。日本では一般的に妻が家計を管理し、自分の判断で使っている。

民法には夫婦の特有財産というのがある。夫婦がそれぞれ個人名義で登録した財産はその人の財産となり、妻の特有財産を夫は勝手に使えない。中には結婚した当初から自分名義の財産をつくる人がいる。

離婚した場合、持って出ることができるからで、特有財産などというものがあるから家庭が壊れやすくなる。


【メモ】保守を自認する氏は、1300年の歴史を持つ伊勢神宮の式年遷宮に敬意を払う。大変古いが、すべてを造り変えるので、最も新しい。建物や祭具などは昔のままだが、それを現在の名工が造り上げる。そうやって伝統が継承されてきた。

私という個人も同様で、「全体に合わせながら埋没してはいけない。遊離すると孤立し、埋没すると自分でなくなる」とも語る。

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