【持論時論】美の死蔵 北海道美術協会会員 山崎 亮氏に聞く

会員宅に眠る多数の作品 地方性生かし展示を 施設整備、廃校の活用も

北海道内の美術家の集まりである北海道美術協会(道展)には現在、330人ほどの会員・会友がいる。北海道の美術文化の向上に貢献してきた一方、道展を牽引(けんいん)してきた団塊の世代の会員の作品が、今後自宅に収蔵されたまま日の目を見る機会もなく埋もれてしまうという危惧がある。そうした北海道が生み出した芸術作品を管理・保管する手立てについて道展会員の山崎亮氏に聞いた。

(聞き手=湯朝 肇・札幌支局長)

 やまざき・りょう 1952年、北海道旭川市生まれ。北海道教育大学札幌校特設美術課程卒業。卒業後は札幌市内の中学校で美術科を教え、その間に平成2年に道展会員となる。その後、北海道高等聾学校でデザイン科の教師に就任。平成25年に退職。現在に至る。

――山崎さんは長年、道展の会員を務められていると聞きます。危機感を募らせているということですが、どういうことですか。

現在、北海道には全道美術協会(全道展)、新北海道美術協会(新道展)、そして私どもが所属する北海道美術協会(道展)という大きな美術公募団体が三つあります。この中で道展は最も歴史が古く大正14年の設立となっています。ジャンルは日本画、油彩、水彩、版画、彫刻、工芸の六つから成っています。70代後半から80代のいわゆる団塊の世代と言われている会員が多く、これまで道展を引っ張ってきてくださいました。ただ、そうした方々の多くの作品がこのまま埋もれてしまうのではないかということなのです。

通常、会員や会友が制作した作品は、個展やグループ展などで展示され、それが終わると、そのまま個人宅での収蔵となります。作家が存命中の間は、そこで管理・保管ができますが、作家が亡くなると遺族の管理ということになり、保管が問題となってきます。

――会員の方が亡くなられた後の作品の管理・保管は、どのようなケースが多いのですか。

基本的には遺族の方が管理・保管することになります。もちろん、有名な作家の作品は美術館などに寄贈されて収蔵される場合もありますが、美術館の収蔵・保管スペースの関係もあり、すべて美術館が受け入れるというわけではありません。札幌市内にも北海道立近代美術館や芸術の森美術館など幾つかの美術館がありますが、むしろ稀(まれ)にしか受け入れてもらえないというのが実情です。

そこでまた、遺族の方の管理・保管が難しいとなると、残された作品は、作家の知人・友人への遺産分け、病院や公民館といった公共施設への寄贈、さらには作家本人が生前に処分してしまうというケースもあります。

私の経験では友人の会員が亡くなられた後、後輩が札幌市内の大学で作品を保管していましたが、後輩が退官のため大学での保管が難しくなり、知人に配るというので私もその方の作品を5点ほど戴(いただ)きました。その後残った作品は後輩が“お焚き上げ”という形で作品を処分しました。言ってみれば燃やしてしまったわけです。

ただ、こうした状況は単に悲しいという感情的な問題だけではなく、北海道の美術界を含めて芸術分野における大きな損失であると思えて仕方がないのです。

多くの作家の作品が、作家本人が亡くなった時から散逸と消滅が始まるといっても過言ではありません。北海道が生み出した作家の作品が消えてなくなってしまうわけですから、北海道の芸術文化の歴史がそこで消えて二度と見ることができなくなってしまう。とくに戦後の北海道の美術の歴史が消滅してしまうことは大きな問題と言えると思います。

――作品を残すための対策はありますか。

結論として言えば、公共の作品収蔵施設を早急に造るべきだと思います。とりわけ、大都会である札幌において必要だと考えます。というのも地方においては地方が生んだ芸術家ということで自治体やその町の美術館なりが関心を持って施設を整備し、定期的な企画が行われる傾向があるように見えます。

しかし、札幌は多くの会員がいることもあって、今のところ市が積極的に動いているようには見えません。確かに、札幌市でも9年前の2014年から3年に一度の札幌国際芸術祭なるものを開催していますが、地元の作家とは全然関連していないのです。これでは札幌の美術界の歩みを知ることはできません。

そこで亡き作家の作品を収蔵する方法として、新たに施設を建設するのではなく、廃校を利活用するというのも一つの方法だと思います。札幌市内でも少子化で廃校になる小学校や空きクラスが増えています。学校図書館のようにギャラリーを一つ造り、展示スペースとして収蔵作品の展示を企画し、期限を決めて巡回美術教育の一環として、身近に本物を鑑賞できる場をつくるのも良い教育効果が出ると思います。

もちろん、作品の整理や保管、補修さらには巡回展示する際の人員確保や経費など課題もありますが、それらを含めて道内作家の作品をどう残していくかを議論していくことは大いに意義あることだと考えています。

――山崎さんは道展の会員になったのはいつですか。また、どのようなモチーフで絵を描いているのですか。

道展の会員になったのは平成2(1990)年で、今年で33年たちます。子供の頃から絵が好きで、中学生の時には絵描きになろうと思っていました。北海道教育大学札幌校の特設美術課程を専攻し、卒業後は札幌市内の中学校、北海道高等聾(ろう)学校で美術やデザインを教える傍ら、絵画の制作に取り組んできました。

作品をつくるテーマとしては「空から見た地上の風景あるいは空の様子など空に関わる視点で描くこと」を念頭に置いています。そう思ったのは今から20年前にイスラエルへのツアーに参加した際、上空から見る砂漠やエルサレムの街並みの様子が非常に印象的で、そこから「空」をテーマに作品を描こうと思ったのがきっかけです。

それまでは「人間の生死」をテーマにした作品が多く、重い雰囲気が漂っていました。「空からの視点」をテーマにしたことで作品が明るくなったとも言われます。もちろん、「空」ばかり描いているわけではありませんが、これからも「空、いうなれば天からの視点」を持って作品に取り組んでいこうと思っています。


【メモ】美術の公募団体展は毎年、応募を受け付けているが、一般出品者で何度か受賞を重ねた人が「会友」となる。会友を何年か続け、実績を重ねて認められた人が「会員」に昇格する。「会員」は、たいていの団体展では「審査員」を意味し、会の運営にも携わる。山崎さんは道展の会員として今なお精力的に作品に取り組んでいる。北海道の美術文化を残したいという山崎さんの北海道の美術界への熱い思いを感じるインタビューだった。

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