【持論時論】秋田の十文字和紙―十文字和紙愛好会会長 泉川 祐子さんに聞く 風合いと手触りに魅せられ

200年の伝統 応援したい 糸・織・染の専門家が協力

和紙の魅力に惹(ひ)かれて仲間と共に原料の栽培・採取から紙漉(す)き、作品作り、子供たちへの指導まで行っているのが秋田県横手市の十文字和紙愛好会会長の泉川祐子さんだ。200年以上続く十文字和紙の紙漉き職人が1人だけだと知り「地元の和紙作りを大事にしたい、応援したい」との素朴な動機から仲間と始めた。今では会員が15人となり、若い作り手も加わりバラエティーに富んだ作品が作られ続けている。(聞き手=伊藤志郎)

いずみかわ・ゆうこ 小学校教師を約30年勤め「十文字和紙の会」で応援し始める。平成28年に「十文字和紙愛好会」を仲間と結成。約15人の会員と共に和紙の魅力を伝え続けている。

――和紙というと、書道や水墨画を思い浮かべるが、さまざまな用途・作品があるんですね。

帽子や灯(あか)り、人形、傘、小物などに加え、和紙から作った紙糸(かみいと)で服を織るとか。また色彩も藍染めや柿渋、栗の皮で染めるなどいろいろあります。

――今は愛好会をつくり活動している。

もともとは、30年ほど前に校長先生など10人くらいでつくった「和紙の会」がありました。十文字に住む紙漉き職人の佐々木清男さんを支援したいと、当時の十文字町の町長が西地区公民館で体験工房を開いたりしていたんです。今は十文字農村環境改善センターと名前を変え、創作活動室には舟もあって手漉き和紙が制作できますよ。

私は当時、小学校の教師でしたから、伝統工芸を子供たちに教えるために佐々木さんのことを知り、和紙を地元のものとして大事にしたい、応援したいとの思いがあって、この会に途中から参加しました。

「和紙の会」は清男さんを施設面などで応援するものですが、和紙で帽子や小物を作っている渡辺弘子さんとも知り合い、清男さんを応援するとともに、材料の栽培から染め、織りも自分たちでやりたいと、平成28年に新しく今の「十文字和紙愛好会」をつくって活動を始めました。地元の子供たちの体験指導やはがき作り体験もしています。

――和紙の材料の栽培からやっているんですか。

コウゾ(楮)の木を刈り取り、皮をそぎ取り、叩(たた)いてよく揉(も)んでごみを落とします。大きな釜を火にかけて1時間ほどふかし、蒸したての熱いうちに皮を剥ぎ乾燥します。2日間かけて数百本のコウゾを処理します。清男さんの所に手伝いに行っていた時に、先代のおじいちゃんからもいろいろ教わりました。

刈り取りは11月20日ごろで、作業は人数が必要なので週末にしています。佐々木さんの畑に加え、私の畑でもコウゾを栽培しています。糊(のり)作りは、ノリウツギの外皮をそぎ取り、熱湯を入れて一晩寝かせ漉(こ)します。

紙漉きはよく知られているように、コウゾの木の皮の繊維と水、糊を混ぜ合わせて漉きます。紙の大きさは、83センチ×36センチと142センチ×52センチが主で、作業は冬になります。

――和紙の魅力は。

風合いですね。それに柔らかく、手触りがいい。私は和紙から糸を作りますが、手で引っ張っても切れないほど強度もあります。十文字の冬は雪深いですが、暖かいこたつに入って紙を束ねるのは、私にとっては至福の時間ですね。

――和紙から作った糸を初めて見ました。

7、8年前ですね、紙糸をしっかりと作り始めたのは。それまでは本を見て自己流でやっていて、テーブルのマットとか10年ほど前にはウエディングドレスを作ったこともあります。普段はカナダに住んで紙作りをしている先生がいて、京都に戻って来た時に本格的に教わりました。

紙を細く切って、足踏みの糸車でよって糸にします。色は紙の段階で染めます。藍染めはもちろん、藍(アイ)の生の葉っぱで染めると緑色になります。柿渋とか栗の渋皮で染めるとまた別の色が出せます。毛筆で短歌を書いた反故(ほご)紙があったので、それから糸を作ったら、紙にランダムに墨の色が出るので面白いものが出来上がりました。

布を織るときは、経糸(たていと)を藍染めの麻糸にし緯糸(よこいと)は反故紙から作った糸とか、経糸も緯糸も紙の糸とか、また絹糸を使うとかするといろいろな布が出来上がります。紙糸は使い込んでいくと柔らかくなりますね。 

――紙糸で作った織物も服とかタペストリーとかさまざまな作品がありますね。

十文字で織物教室を開いている先生がいて、麻やゼンマイ、羊毛の糸紡ぎから織物まで習いました。

――色もいろいろ。

近くの浅舞(あさまい)地区で藍染めをやっている当時70代のおばあちゃんが熱心に教えてくれました。盆踊りで全国的に有名な西馬音内(にしもない)の衣装も作られた方です。自分で藍を植えて、生の葉を乾燥・発酵させたすくも(植物染料)を作って藍染めをする方で、コンクールで優勝もし呉服店には反物を卸していました。「私は布で染めでるが、紙でも藍染めができるかもしれない。やりでならば、教えるど」と言ってもらいました。私の家にも来てもらいましたが、今は亡くなっています。

私の畑にも藍を植えていて、かめの中に入れた藍は栄養がなければ駄目なので、酒っこ飲ませたり、麦のふすま(小麦粒の表皮部分)を与えたりします。藍は種を植えれば毎年できますので、絶やさないでいます。

いろんな出会いがあって、いろんなことができる。紙糸を作る人、藍染めをする人、織る人の協力があってできたことです。

――会員の方がいろいろな作品を作っている。

もちろん和紙そのものも作っていますが、帽子や傘、灯り、人形、小物と皆さん個性を発揮した作品作りをしています。拓本とかちぎり絵、おもちゃ、ついたて、欄間(らんま)とか若い方たちが頑張っています。型染めをする人もいます。


【メモ】十文字和紙は、十文字町睦合(むつあい)で江戸時代中期ごろから始まり集落の大半が紙漉きをしたという。最盛期は明治時代で、50軒ほどが作り、雄物川の舟運(しゅううん)を活用し秋田市や他の町村に販売した。大正時代にも10軒ほどあったが、今は佐々木清男さん一人だけが農閑期の12月から3月にかけて紙を漉く。泉川さんは平成17年に初めて仲間と共に「3人展」を開催。19年、令和3年に続き今年3月には「心ぬぐだまる和紙のせかい展」を同会と出羽(いでは)和紙で共催し、和紙人形作家・草薙郷子さんの協賛作品、横手城南高校生の特別出品もあり賑(にぎ)わった。

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