【持論時論】意識不明になって考えたこと―喝破道場前塾長 報四恩精舎住職 野田 大燈師に聞く

意識あるうち 悔いなき時を 死後より今生きること大事 現在に含まれる過去未来

高松空港のカウンターで突然倒れ、意識不明のまま病院に運ばれた禅僧の野田大燈さん。無事に回復したが、死の危機を体験し、77歳の年齢から死後のことを考えたという。曹洞宗を開いた道元禅師は「生死(しょうじ)の中に佛あれば、生死なし」と説く。瀬戸内海を望む五色台の山上にある喝破道場のハーブティー喫茶に老師を訪ね、話を聞いた。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

のだ・だいとう 昭和21年、香川県生まれ。セールスマンなどを経て29歳で出家、大本山永平寺で修行。高松市・五色台に喝破道場を建て、不登校児たちと共同生活を始める。その後、曹洞宗の宗教法人「報四恩精舎」を設立し住職に。精神障害児短期治療施設若竹学園を開設した。サッカー日本代表元監督の岡田武史氏の心の師として知られる。著書は『子どもを変える禅道場』(大法輪閣)、『平常心是道』(毎日コミュニケーションズ)など。

――臨死体験はありましたか。

残念ながら、全くの意識不明状態でそれはありませんでした。

――どう倒れたのですか。

3月13日、高松空港のカウンターで羽田往復の航空券購入をしていて突然、意識を失い、目覚めると病院のベッドの上でした。立ったまま後ろ向きに倒れ、後頭部をひどく打ち、出血がひどかったようです。周りは血の海で、カウンター係や並んでいた方々は、さぞ驚いたことと思います。

ベッドの上で目覚めると、医師から「お名前は、お歳(とし)は、生年月日は、今は何月何日ですか」と口早に質問されました。何とか氏名と生年月日は答えられましたが、今が何月で四季が何かは分かりません。記憶が飛んでいたのですね。その後、空港のカウンターに行ったことまでは思い出しました。後頭部に7センチの裂傷があり、MRI検査で脳内出血が認められたと言われました。

家族が駆け付けたところで、倒れた状況や症状の説明があり、約15秒の心臓停止と後頭部裂傷、脳内出血があったとの診断。担当医は私に「大燈さん」と親しく呼び掛け、「もう少しで77歳なので、今回の怪我(けが)も含めて、長期入院や延命処置について考えておいた方がいいです。延命処置をしても生ける屍(しかばね)では本望ではないでしょうから、どの時点で処置を中止するかも考えてください」と言われました。

私は即座に「多くの方に支援を頂き現在に満足していますので、延命処置は不要です」と遺言に近いことを言い、家族も納得したと思います。さまざまな診察を受けましたが、意識を失った原因は不明とのことでした。

翌日のMRIで脳内出血が消失していることが判明し、2日後に退院しました。人生、まさに一寸先は闇ですね。意識のあるうちは悔いのない時間を過ごさなければと考えさせられました。

その後、通院していた病院の元病院長に相談し、全身を検査してもらいました。朝のMRIから始まり、昼食も取らず、全ての検査が終了したのが午後6時前。3~4日の人間ドックを1日で受診したようなものです。元病院長の「専門医が個々に診察・治療しても、全体が統合されたものでなければ医療と言えない」の言葉に愕然(がくぜん)とし、「今後はこの医師に身を委ねよう」と決心しました。

――死後についてはどう思われますか。

曹洞宗は「生死一如」で、生と死は紙の裏と表のようなもの、あの世などはないという教えです。亡くなったらそのままで、死後のことなど考えなくていいという最も実存的な仏教です。

――それが釈迦(しゃか)の教えでもありますね。しかし、弟子たちはそれに満足できず、地獄や極楽の話を創り出すようになります。禅宗は釈迦の教えに最も近く、最も遠いのが死後の極楽往生を説く浄土宗と言われています。

中国禅の高僧は旅装束で立ったまま死んだという話もあります。空から生まれた私たちは、亡くなると空に戻るというのが禅の死生観です。空は何もない世界で、悪いことをしたら地獄へ、善いことをしたら極楽へ、というものではない。死後のことにとらわれるより、大事なのは今で、今に生きる、誠心誠意を尽くすというのが禅の教えです。坐禅(ざぜん)では吐いて吸う、一息一息に意識を集中することから始めます。その意味では、今をどれほど真剣に生きているかを反省させられました。

僧侶なのでいつ死んでもいいと思っていましたが、改めて気付かされたのは、やり残したことの多さです。口では断捨離を言いながら、何の断捨離もできていないのですから。何もかもやりっ放しなので、具体的には息子をはじめ後継者たちが大変なことになります。何よりも、それが恥ずかしくなりました。ある意味、「今のやり方でいいのか」と天啓を受けたように思います。そこで今、私が手がけている仕事を、徐々に人に任せるようにしています。

――老師は在家のサラリーマンから出家し、不登校や非行少年を受け入れる禅道場の財団法人喝破道場を設立、曹洞宗の寺「四恩の里」を開き、児童心理治療施設の若竹学園を創設し、その間、板橋興宗管長に呼ばれて総持寺後堂になるとカウンセリングを僧堂に導入し、高松に帰ると厚生労働省委託事業の「若者自立塾」や農業と福祉の連携である「開花塾」を始め、最近では縄文村の活動にも取り組んでいます。どれも存続できるようにしないといけない。

それが、今を生きる禅宗の教えでもあります。幸い、長男が宗教部門を、次男が福祉部門を引き継ぎ、それぞれの施設にもふさわしい指導者がいます。

道元禅師によると、時間は過去↓現在↓未来と流れるのではなく、過去も未来も現在に含まれているという。確かに私たちは過去を背負い、未来を見通しながら「今」に生きています。

――ハイデッガーの『存在と時間』ですね。ところで、道元禅師は少年時代「人に仏性があるのなら、なぜ修行しなければならないのか」という素朴な疑問を抱きます。後に得た答えは「仏性があるから修行できる」でした。それは私たちの生活実感に即しています。

生かされている命に気付いたのですね。それによって、ますます自分を磨くために修行する。それこそが宗教的な悟り、救われている状態です。修行の先に悟りがあるのではなく、一心に修行できている状態が悟りであるという。曹洞禅は生活禅で、日常的な暮らしを大切な修行として生きる宗教です。


【メモ】記者は老師に呼ばれ、農福連携の「開花塾」で高齢者中心のわが農事組合法人について「健康長寿型農業です」と話したことがある。障害者や高齢者など就労が難しい人たちに働く場を提供することは、人生100年時代に必要なだけでなく、生きがいのある社会づくりにも欠かせない。1000年を超える宗教世界の老師だから、最先端の事業に取り組める。

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