大麻解禁で治安悪化も
タイの総選挙(下院選)が14日に行われる。焦点は、クーデターによってタクシン元首相の政権を奪い9年続いた親軍政治が終止符を打ち、タクシン元首相の次女ペートンタン氏を首相候補として担いだ野党・タイ貢献党が復権を果たすかどうかだ。タイ総選挙の展望を国際関係アナリストの松本利秋氏に聞いた。
(聞き手=池永達夫)
――ずばり、「タクシン政権」は復活するのか。
タイのインテリを含め電話やネットで、話をしてみた。結論を先に言うと、現政権の維持は難しいという雰囲気だ。
9年前の2014年、プラユット陸軍司令官がクーデターを起こした以後の政権は、事実上の軍事政権であって、政治に対しては全くの素人だったということが、これまでの治世で分かったということだ。
プラユット政権では最初の3年間は、遅延してばかりの地下鉄工事等の公共事業を強権発動し契約通りに守らせたり、力ずくの政治の実績はあったものの、残りの6年間は何も新しいことはやっておらず、緊張感を欠いた政権に堕した。
デジタル経済が世界経済をけん引したり、新しい技術がどんどん出てきている中、そうした技術を積極的に取り入れたり開発に着手し、世界的な潮流に乗ろうという意欲が見られず手をこまねいたままだったことが、とりわけ若手世代に失望をもたらした。
――社会的問題では。
もう一つの大きな不安要因が、プラユット政権で大麻を解禁したことだ。この措置の反動として、大麻だけでなく麻薬も安くなった。子供の小遣いでも買えるようになった。
一方、大麻に税金をかけるので年600億円ほど税収が増すとのことだった。ただあくまで建前だけの話で、抜け穴いっぱいのザルだから思惑通りの税収が上がるとはとても思えない。
結局、麻薬に絡んだ強盗や性犯罪など、さまざまな犯罪が起きるようになり治安の悪化が懸念材料となっている。麻薬中毒者も増加し、親殺しだとか子殺しだとか、タイで伝統的に保持してきた家庭の文化が崩れ始めている。
――その他には。
さらにもう一つ。タイ人の不安をあおっているのが、中国の進出問題だ。いろんな所でチャイナタウンが出来上がって、中華レストランがあり、中国の両替屋があり、中国人民元がそこで通用する。
どうしてそうなったかというと、中国人の政商というか怪しげな財界人が大量に入り込み、プラユット政権に対して、アンダーテーブルとか政治的不正が横行した経緯(いきさつ)がある。そうしたことを問題視する人々が少なからず存在する。
――対中政策では各党に違いはあるのか。
東南アジア各国は経済的関係が強い中国を抜きには語れないが、タイも例外ではない。中国や欧米とも付き合い、双方から利益を得ようとする天秤(てんびん)外交を基本とする共通認識がある。
ただ14日の総選挙では、旧態依然の政治を変えたいという若者たちや一般庶民が多い感触を受ける。
――それが、一般的なバンコクの中間層の認識とみていいのか。
そうだ。
もう一つ、タクシン氏の次女ペートンタン氏に人気があって、最近の世論調査によると46%の支持を得ているとされる。
第2子となる男児を出産したばかりの彼女は、普通の主婦感覚を前面に押し出し選挙戦を戦っている。ただ都市部の中間層にとっては、タクシン元首相の系列については不安があるのも事実だ。
なお彼女はチュラロンコン大学を首席で卒業したことになっているが、実は彼女の入学には、謎があった。その時は、タクシン氏が首相に就任しており、識者は眉唾ものだとみている。
――これまでのタイ政界には、農村を地盤とするタクシン派と、都市部の反タクシンという基本構図があったが、別の視点からみる必要があるのか。
タクシン氏は農村に対し、バラマキ政策を取った。
農村に対する保護政策は、国王が全国から寄付を集めてやってきた経緯があったが、タクシン氏は政権時代、政府予算をそれに使った。
いわば国王の支援の手を遮るようなタクシン氏は、タイの基本的な社会構造の挑戦者としての側面がある。
――先回の選挙で、若者に人気のあった改革志向の新未来党は。
幹部らは不敬罪で捕まったが、後継党の前進党がダークホースになる可能性がある。
――プラユット政権内部で分裂騒動が起きた。原因は何か。
軍寄りの政党をつくっても、その運営がうまくいってなかった。結局、プラユット氏について行く人間は少なく、新政党から出馬せざるを得なかった。
新中間層が、プラユット氏に背を向ける傾向が強まっている。
ただタクシン派が総選挙で勝利したとしても、すんなり政権奪取できるわけではない。
総選挙後に実施される首相指名選挙は下院議員(定数500)と、軍政下で任命された上院議員(定数250)が合同で投票することになるからだ。上院議員は国軍の意向になびくものとみられ、親軍勢力が多数派になりやすい仕組みとなっている。
このためタクシン派が政権に就くためには、他政党と連立を組む必要があり上院議員への影響力のある「国民国家の力党」と連立政権を樹立する可能性が高い。
――分裂した与党が、よりを戻すことは。
多分、難しいだろう。
【メモ】タイでは王国の防人(さきもり)である軍人への好感度は高い。クーデター政権がタイで受け入れられたのも、軍人への好感度の高さが支えた側面がある。だが、9年間も親軍政権が続いたばかりか、目を見張るような実績が皆無では国民に飽きられてしまう。そろそろ軍人は兵舎に帰る時期なのかもしれない。