模倣犯を生んだ暴力の肯定 米ジョージタウン大学教授/ケビン・ドーク氏(上)
――世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への批判が高まったことを受け、悪質な寄付などの勧誘行為を禁じる被害者救済新法が成立したが、山上被告が結果的に暴力で目的を達成したことになり、問題があるとの指摘がある。こうした主張に同意するか。
部分的に同意する。ある団体に寄付をしたとき、一定の期間内であれば、それを取り戻すことができるという内容であれば、その法律自体は許容範囲かもしれない。
しかし、問題は、その法律によって宗教は搾取的で邪悪なものだという認識が作り出されていることだ。宗教は破壊的、反社会的な現象ではなく、社会をより健全にするものであるという前向きな報道が必要だ。
しかし、あたかも宗教が問題であるかのような印象を与えるなら、山上被告にとって成功を意味する。そうであるなら、その法律を成立させるべきではない。
安倍氏の暗殺事件後、宗教への非難が始まったが、山上被告への共感の多くは、彼が旧統一教会に虐げられたと感じていることによるものだった。
しかし、どのような宗教も人々を悲惨な状況に陥れることはない。宗教が抑圧的だという考えは、宗教を好まない典型的なリベラル派の議論にすぎない。実際に米国や日本で暴力を振るっているのは、リベラル派たちだ。
日本はもっと宗教や宗教の自由を尊重し、世俗的リベラリズムの弊害に目を向けてほしい。そして、なぜ人々は人間として必要な道徳観を持たないのか、世俗的リベラリズムがどの程度こうした状況を引き起こしているのかと問い掛けてほしい。
自由民主主義国家は、若者に道徳的な価値観を教える能力を失っているようだ。だから、誰もが自分自身が自分の神になってしまう。山上被告は自らを神のように思っていたのだろう。それは残念なことだ。
――岸田首相は昨年8月、自民党と旧統一教会との関係断絶を宣言した。これによって、政治が宗教の影響を受けることは悪であるかのような、政教分離の誤った解釈を蔓延(まんえん)させてしまった。
その通りだ。米国では政教分離は、政治家の生活から宗教を排除するという意味ではなく、国家を宗教に介入させないという意味だ。日本の政治家に信教の自由がないというのは、絶対に間違っている。
日本のメディアや世論が、宗教は危険なもので、世俗的な社会の方が良いと考えているのを見ると、本当に当惑させられる。世俗主義が良いというなら、宗教を弾圧している共産主義の中国がより良い場所だと思うのだろうか。
宗教は時代遅れで迷信的なものだから抑圧すべきであり、国家の言うことだけを聞いていれば国民はもっと自由になれるというのは、まさに中国政府の残忍な人たちの考えだ。
これは日本が宗教を抑圧し続ければ、直面する可能性のある真のリスクだ。そうなれば、人々は国家を崇拝するようになり、何でも言うことを聞く中国のような国になってしまう。
――共産党の志位和夫委員長が、昨年11月にツイッターで、旧統一教会に対し「今度は決着つけるまでとことんやる」と述べた。
これこそ日本で議論すべき真の問題だ。共産主義者たちは、すべての宗教、特に旧統一教会を押さえ付けようとしている。これは、韓国で発祥した旧統一教会が反共主義を掲げているからだ。自民党のメンバーの多くも反共主義者である。
日本共産党による運動の目的は、反共主義を消滅させることだ。旧統一教会を消滅させるなら、共産中国のように他のどの宗教をも消滅させるだろう。
共産主義国家はすべてを支配するために、宗教を邪魔なものだと考えるからだ。本当の問題は、中国の言いなりにならない旧統一教会と自民党を中傷しようとする共産主義者たちである。このことを、もっと日本のメディアは明確にしてほしい。
(聞き手=ワシントン・山崎洋介)