日本の文学界では、古くから女流作家が活躍してきた。近代においては与謝野晶子、樋口一葉、さらにさかのぼれば紫式部、清少納言など、千年も前から女性が筆を執ってきた歴史がある。自身も女流作家で『女子の武士道』著者の石川真理子氏は、これは世界的にもまれなことだと指摘する。文学的見地から、日本女性の姿と日本の家族観について語った。(聞き手=佐野富成、辻本奈緒子)

――日本文学には女性が描く作品も多いのですが、その歴史をどう見ていますか。
歴史的な背景を見ると、中世までの日本では女性がものすごく活躍していました。平安時代の8~9世紀に女性が文章を書いて物語を残すというのは、世界的に見ても非常に珍しいこと。戦国時代でも女性は虐げられてばかりではなく、秀吉の妻の寧々などは相当な発言力を持っていました。
それが切り替わったのは朱子学が入ってきてからであり、江戸中期以降にその影響が濃くなります。特に武家の女性は朱子学的な「女性とはこうあるべき」という教えの下、たしなみとしての武道を身に付けないといけなくなりました。
さらに明治になり、良妻賢母論を英国から導入しました。もともと「良妻賢母」は日本にあったものではなく、西洋から導入したものでして、それを女子教育の柱としたところから、日本が大きく変わっていきました。
それから女流文学も、息苦しさの中からの発露として描かれるような形に変わってしまいました。平安時代の女流文学の伸びやかさに比べ、例えば政党を立ち上げた平塚らいてうの文学作品は、海外のフェミニズムにかなり影響を受けています。なので「私たちはこのように圧迫されているんだ」として、それをぶち破りたいという負のエネルギーの中から出てきています。中世の女流文学と明治になってからの女流文学とは、ものすごく変わってしまいました。
天武天皇の時代に書かれた神話の世界には女性神が登場しますが、その気の強さ、伸びやかさ、積極性は凄(すさ)まじく、女性神の姿は言うなれば、当時の意識が恐らく投影されています。そうなると、実は日本女性はとても積極的で気が強く、知的ではっきりしていたであろうことが見て取れます。
――日本の本来あった文化は、実はもう明治になった時点で新しい文化に変わってしまったと考えていいのでしょうか。
明治の日本を「これが日本の姿」と思ったら大間違いです。江戸時代の女性はみんな“キャリアウーマン”であり、家で仕事ができる状況でもありました。
大家族であれば、子育てを必ずしも母親がするものではありませんでした。“イクメン”という言葉がありますが、江戸時代だと男性の子育ては当たり前でした。私にはむしろ、現在は江戸への回帰に見えます。
当時の外国人の記録を見ても、商売上手なのは妻の方だという記録がいくらでもあります。「夫は計算が苦手なのに、妻は外国人の客を見たら、倍の値段を吹っ掛けるほど商売上手だ」と、そういうたくましさもあります。
日本の場合、家族という単位が不思議な感じだったのです。昔の武家は跡取りが無能では良くないので、養子縁組が当たり前でした。庶民の方は子供を家族だけでなく、地域で育てています。
お父さん、お母さん、子供たちという単位で固まることは、日本の歴史から見れば珍しく、それだと母親ばかりに負担が掛かるので、苦しくなります。保育園に入れなきゃいけないとか、今のお母さんたちは行き場がありません。
ただ、コロナをきっかけに、オンライン環境が整い、子供を育てながら家で仕事ができるようになり、江戸時代のような家内工業で職住一体型の生活が、デジタルの力を借りてできるようになってきたのです。
江戸時代は皆よそから来た人ばかり。庶民も武士も核家族でしたが、みんな内職をしていました。仕事を家でしながら、赤ちゃんの面倒も見ていたのです。奇(く)しくも江戸時代のそういう在り方が、デジタルの力を借りて別の形で今後できるのではと思っています。
――現代は親子の在り方も課題です。子供を躾(しつけ)ようとしても、親の姿に子供が幻滅する場合もあります。
私が躾という点で、これはすごいと思った作家が幸田露伴です。露伴の娘である文(あや)が露伴の躾について回想しています。その回想を読んで私は、露伴の躾はパーフェクトだと思いました。
雑巾掛けの仕方、掃除の仕方など、露伴の躾はとても厳しいものでしたが、時には一緒にままごとで遊んだりもしています。ただ遊ぶのでなく、庭でおままごとする時、葉っぱをお皿に見立てて、「源平作り(紅白で作った刺身)にしよう」と、どう置いたらきれいかを真剣に考えるほどでした。
何に対しても真剣であるのは、物事と真正面から向き合っているからです。露伴は美意識が半端ではないので、人間としての厳しさはありましたが、ありのままの姿を通じて自分の生き方をわが子に見せているのが、私の好きなところです。
露伴の言動の背景には母親の姿があり、祖母の姿もありました。「母はこうだった、おばあさんはこうだった」と言いながら文に教えているのです。文とお父さんの二人だけの関係でしたが、その背景に家族というバックボーンがありました。そういうものを今、できれば取り戻してほしいです。
私は子育て中、子供に嘘(うそ)はつきたくなかったので、「お母さんはできないから、一緒にやろうよ」と言っていました。そういう姿勢が親子の間でも大事だと思います。
――今後、日本人の持つ伝統的価値観をどう発信していくべきでしょうか。
今でも海外の人たちがたくさん日本を訪れています。でも、日本は発信があまり上手ではないので、メタバース(インターネット上の仮想空間)を使うといいのではないかと思っています。
メタバースではパスポートも何も要らず、日本を体験できます。メタバースの中で武士道体験や日本のお祭りなどをどんどんやるといいですね。日本の祭りは独特で面白いですし、そういった日本体験をメタバースの中で、文化庁や官公庁も中心になってつくっていくといいのではないでしょうか。
【メモ】石川氏が指摘するように、国の施策や社会的風潮の後押しもあり、今は男女関係なく家を守り、子育てをするのが当たり前になりつつある。この「江戸回帰」の流れを歓迎したい。外国から何でも取り入れるだけでなく、古き良き時代の文化の発信は、世界のための日本として行うべきことだろう。