罪や穢れ忌み嫌う 日本人の暮らしの芯に
新型コロナ感染症で改めて私たちの生活空間には汚れが満ちており、清浄さを保つことが健康にとって大事だと思われるようになった。清潔を重んじる日本人の衛生観は、古来、民族宗教である神道に典型的に現れている。それが神社神道の祓(はらえ)と禊(みそぎ)で、それぞれの意味を日本文化にも詳しい生田神社(神戸市)の加藤隆久名誉宮司に聞いた。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
――神道による神事の初めには必ず穢(けが)れを祓う儀式があります。
日本古来の神道は明(あか)く浄(きよ)い宗教と言われ、明浄を尊び、罪や穢れを忌み嫌う心性は日本文化の基層にあります。清浄を尊び不浄を避ける感性が日本人の宗教意識の基礎にあり、そこから生まれた習俗や儀礼が形式化されたのが神道で、日本人の生き方の宗教的表現と言えます。それは茶道や華道などいろいろな芸事にも取り入れられ、日本人の暮らしの芯になっています。
――神との関係ではどうなりますか?
明浄が人間生来の姿で、それを神が好まれるため、私たちは明浄な心身になることで神と交流し融和することができると信じられてきました。神社に詣でると、最初に手水舎(ちょうずや)で手を洗い口をすすぎます。神事に参列すると、まず神職によるお祓いを受けるのも、心身の罪穢れを祓い除いて、明浄な姿になるためです。この儀礼なしには神道は成立せず、神前で行う祈願や感謝、奉告、慰霊など全ての神事の大前提になるのが「浄め」で、それを実現するのが「祓い」なのです。
――祓いの方法は?
大きく分けて二つあります。一つは水を用いる「禊ぎ」で、よくないことを忘れたことにするのを「水に流す」というのもその一つで、いかにも神道的な発想です。もう一つは罪穢れを幣(さぬ)(麻)や形代に託してなくす「祓い」で、神事の初めに神職が行います。
――禊祓の起源は?
『古事記』『日本書紀』の神話にあります。日本の国を産んだのは夫婦神のイザナギとイザナミで、イザナミは火の神を産んだのが原因で死に、黄泉(よみ)の国という穢れた地下の世界に行ってしまいます。妻に会いたいイザナギは黄泉の国に行き、イザナミに国産みが未完成なので地上に帰るよう話します。ところがイザナミは、黄泉の国の食べ物を食べてしまったので帰れないと答え、さらにイザナギが説得すると、黄泉の神に相談してくるが、その間、私を探さないようにと言って去ります。
ところが、我慢できなくなったイザナギが見つけた妻の姿は、腐乱した死体にウジがたかり、雷が鳴っているような恐ろしいものでした。姿を見られたイザナミは、恥をかかされたと怒り、イザナギを追い掛けます。
何とか逃げ切り中(なか)つ国(くに)(地上世界)に帰ったイザナギは、黄泉の国で付いた穢れを洗い清めるために、筑紫の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で禊ぎをしました。これが禊の起源で、その時生まれた神が、アマテラスとツクヨミ、スサノオです。
母(イザナミ)に会うため根の国(黄泉)に行きたいとスサノオが泣いて暴れるので、姉のアマテラスがそれを許すと、あいさつのため天上に来たスサノオが乱暴狼藉(ろうぜき)の限りを尽くしたので、怒ったアマテラスは岩戸(いわと)に身を隠してしまいます。それが天岩戸神話の始まりで、罪を犯したスサノオに対して八百万の神は、「千座(ちくら)の置戸(おきど)の祓具(はらえつもの)を負わせた」と『日本書紀』にあり、これが祓の起源とされています。千座の置戸とはたくさんの代償物という意味で、それが祓には必要だとされていたことに古代法制の起源がうかがえます。
――神社では夏冬の年2回、「大祓(おおはらえ)」があります。
それはもともと個人の祓ではなく国家的な行事で、宮中でも行われています。6月末日の大祓は「夏越(なごし)の祓」と呼ばれ、境内に立てられた茅の輪を3回くぐります。12月末日の大祓が「年越(としこし)の祓」で、新しい年を迎えるために心身を清めます。
大祓は、日本神話にある根の国(黄泉)に国土の一切の罪穢れを祓い遣(や)る儀式として始まりました。恒例の大祓は年2回、宮中と伊勢神宮をはじめ全国の神社で行われ、臨時の大祓は大嘗祭など特別な祭事や神葬祭の忌明(きあ)けの時などに行われます。もっとも伊勢神宮では、6月と12月の大祓のほかに、2月の祈年祭、5月の神衣祭、6月の月次祭、10月の神嘗祭、11月の新嘗祭、12月の月次祭の各大祭の前月末日にも、五十鈴川のほとりで大祓式が行われます。また全国の神社で、毎朝の神拝行事に際し、大祓詞を奉唱(ほうしょう)するところが増えています。
――年2回になったのは?
一年を2期に分ける思惟(しい)形式が古来、日本人にあったからでしょう。暦には春分と秋分、夏至と冬至など半年周期に節月(せつづき)があります。経済に上半期、下半期があるのも、古来の慣例によるものでしょう。
――大祓では中臣祓詞(なかとみのはらえことば)が宣読さ(せんどく)れますね。
大祓式に用いられる大祓詞の宣読を中臣氏が担当したからです。神への奏上(そうじょう)ではなく、参集した百官に宣り聞かせるもので、葦原中国(あしはらのなかつくに)平定から降臨した天孫が日本を治めるまでが語られ、国民が犯してしまう罪容を「天つ罪・国つ罪」として列挙し、罪の祓い方が述べられます。
天つ罪はスサノオが高天原(たかまがはら)で犯した罪で、畔(あぜ)を壊し、溝を埋めるなど農耕を妨害する行為です。国つ罪は身体的な異常による穢れや近親相姦など反社会的な性行為、天災、他者の生命や財産を損なう呪いなどの罪で、差別的な内容もあるため、今日では省略されています。
大祓式は応仁の乱でしばらく中断されましたが、江戸時代の1691年に再興され、明治4年に節折(よおり)大祓式復興が布告され、旧儀が再興されました。戦後の現憲法下では大祓が国家行事ではなくなり、宮中では内廷行事として、全国の神社では各社の行事として行われています。