時代の荒波に翻弄された台湾人―在日台湾同郷会常務理事 張杜 信恵さんに聞く

「民主化」の次は「普通の国」に 断交で突如、無国籍状態に

世界に広がった「正名運動」

ちょう・のぶえ 1941年、台湾台南市生まれ。65年に来日し、ドレスメーカー学院(当時はドレスメーカー女学院)を卒業。国民党政府を批判したためブラックリストに入り、96年まで故郷に帰れなかった。現在は在日台湾同郷会常務理事、在日台湾婦女会名誉会長、日台商務促進会顧問、埼玉台湾総会顧問、民進党海外発展委員会日本委員などを務めている。
日本統治時代から国民党政府による独裁体制時代、そして現在の民主化時代へと、短期間で劇的な社会の変化を経験してきた台湾。日本に住む台湾人たちは、時代の荒波に翻弄(ほんろう)されてきた台湾の歴史をどう見ているのか。独裁体制時代に来日し、日本から台湾の民主化を支援してきた「在日台湾同郷会」常務理事の張杜信恵さんに、日華(日台)断交時に味わった苦労や期待する将来の台湾像などについて聞いた。(聞き手=村松澄恵)

 ――在日台湾同郷会とはどのような組織か。

1971年に蒋介石総統は自分が中国の正統な代表であると思い、「共産党の匪賊(ひぞく)」と一緒にはいられないとして、国連を脱退してしまった。72年には日本が中国と国交正常化し、台湾と断交した。どちらも本当にショックだった。

当時、日本に留学中の私は、国籍がない状態になってしまった。そこで、台湾から来た者同士で助け合おうと、在日台湾同郷会が73年につくられた。74年には世界台湾同郷会が出来た。

2001年には「在日台湾婦女会」が出来た。当時の米国とカナダには「北米台湾婦女会」があり、なぜ日本にはないのかと聞かれたことで結成された。

 ――代表的な活動は。

台湾出身者は外国人登録証明書の国籍を中国とされていた。中国の国籍もなければ、パスポートも台湾政府の発行だ。にもかかわらず、国籍を中国とされるのは大変な人権侵害であり、法務省などに抗議活動を行った。この「台湾正名運動」は同郷会にとって大きな活動だった。

当時は、日本に住む中国人のマナーが悪かったため、国籍が中国だと家を貸してくれないこともあった。自分たちの権利を守るために多くの在日台湾人が運動に参加した。2001年から09年までの約8年間の活動により、12年から導入された在留カードに「台湾」の表記が認められた。

日本で始まった台湾正名運動は、やがて蒋介石総統が大陸から持ち込んだ「中華民国」ではなく「台湾」と呼称する運動となり、世界へ広がった。台湾政府が「中華民国(台湾)」とするようになったのも、私たちの運動が呼び水になったからだと思っている。

台湾年表
1895年
 下関条約により清朝は台湾を日本へ割譲する
1945年 日本敗戦
  46年 中華民国憲法制定
  48年 蒋介石氏が総統に就任
  49年 戒厳令が施行される
  71年 中華民国が国連を脱退
  72年 日中国交正常化に伴い日華(日台)断交
  79年 米中国交正常化に伴い米台断交
  87年 戒厳令が解除される
2016年 蔡英文氏が総統に就任

 ――日華が断交した当時の状況は。

国交がなくなったことで、台湾は大使館を追い出され、仕方なくマンションの一室で業務を続けた。それが惨めだった。

無国籍状態になってしまった台湾人留学生に対し、日本の大学の教授たちは入国管理局に掛け合って身元を保証するなど面倒をよく見てくれた。教授たちのおかげで日本にいることができた。国民党政府の批判を行っていた学生も多く、台湾に帰ることになっていたら捕まっていたかもしれない。

 ――台湾は1987年まで国民党政府による戒厳令があった。当時の台湾はどのような社会だったのか。

蒋介石総統は中国共産党に負けて大陸から台湾に渡り、48年に総統に就任した。台湾語は汚い言葉とののしられ、話すと罰を受け、中国関係の本を読むとすぐ捕まって投獄された。台湾の知識人の中には、国民党軍がなぜ共産党軍に負けたのか気になり、香港から本を密輸入する者もいたが、密告され捕まった。

私が中学生の時、親友のお兄さんは台湾大学の優秀な学生だったが、中国の本を少し読んだだけで捕まって殺された。当時は、何も悪いことをしていないのになぜ殺されたのか分からなかった。親たちは子供が大学を卒業したら、できるだけ外国に出すようにしていた時代だった。

 ――台湾は日本統治時代、国民党政府による独裁時代、民主化の時代と短期間で変化してきた。それが人々に与えた影響は。

台湾の各世代は、政府の教育方針がそれぞれ異なることによって思想に大きな差がある。そのため、自分自身を「日本人」「日本人であり台湾人」「中国人」「台湾人であり中国人」「台湾人」と考える人に分かれる。現在では自らを日本人、中国人だという人は減ってきているが、依然としてアイデンティティーの問題を抱えている。政権が変わるごとに、中国への対応や日本でいう学習指導要領が大きく変わるので影響は大きい。

 ――思い描く台湾の未来は。

「普通の国」になってほしい。台湾と外交関係を持つのは今では14カ国になってしまった。国際機関への加入や他国と外交関係を結ぶことが当然のようにできるようになってほしい。

だが、それは急がなくてもいいことだ。私は既に台湾が民主化するまで50年待った。まずは、台湾と中国の間にある危機にどう対応するかが大事だと思う。

 ――「普通の国」になるために必要なことは。

シンガポール人や一部のマレーシア人も民族的には中国系だが、シンガポール人、マレーシア人というアイデンティティーを持つ。中国は「血は水より濃い」として血統を強調するが、国籍と民族は関係ない。

日本の教科書は台湾を中国の一部として教えている。このため、多くの日本人は中国共産党が支配する中華人民共和国から台湾人は独立したいのだと誤解している。だが、台湾人が望んでいるのは、蒋介石総統が大陸から持ち込んだ中華民国体制から独立することであって、中華人民共和国からではない。

 ――これからの日台関係に必要なことは。

現在の日本と台湾・蔡英文政権の関係は、これまで最も友好的だと思う。できれば日本も米国のように台湾関係法を作ってほしい。

ただ、台湾も他力本願なところがある。台湾は小さいためやむを得ない部分もあるが、台湾自身がもっと強くならないといけない。

例えば、中国から台湾産パイナップルの輸入禁止などの嫌がらせを受けると、台湾は日本の友情や義理に頼るが、それは違うのではないか。もっと長期的に別の道を探す必要があると思う。

 ――強大化する中国とどのように向き合うべきか。

台湾有事についてよく言われるようになった。軍事力だけで戦うのは危ない。台湾も日本も戦場になってほしくない。やむを得ない場合は仕方ないが、何より話し合いの外交が大事だ。

島国は大陸と違い、支配ではなく調和を大切にする。日本も昔から調和を重んじてきた国で、そうした役割を世界でも果たせることができるのではないかと期待している。


【メモ】2011年の東日本大震災後から台湾に親しみを感じる日本人が増えてきた。だが、台湾人が抱えるアイデンティティーの問題や歴史的背景はあまり知られていない。「台湾独立」と聞くと、中国共産党の支配する中華人民共和国からの独立だと考えがちだ。台湾が独立したいのは、大陸から台湾に逃れてきた蒋介石総統の中華民国だという指摘は重要だ。

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