5月には葛城山のツツジ
桜前線が日本列島を北上し始めると奈良に行きたくなる。歴史的な寺社の風景に、時代を超えて変わらない花々が彩りを添えるからだ。万葉の時代から、日本人は秘めた思いを花に託し、歌を詠んできた。春が深まりゆく4月から5月、奈良の万葉花歩きの楽しみを、奈良市在住の片岡寧豊(ねいほう)さんに聞いた。(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
春は花を愛(め)でながらの奈良歩きが楽しい。
春の花のサクラはソメイヨシノが代表的ですが、『万葉集』に登場するのはヤマザクラで、赤褐色の若葉が出ると同時に花が咲きます。「一目千本」と言われる吉野山のサクラが満開になるのは下千本の4月5日ごろに始まり、中千本が7日、上千本が10日、奥千本が15日ごろと長く楽しめます。
春雨が降ると花が散ってしまわないか心配になりますが、万葉人も思いは同じで、「春雨は いたくな降りそ 桜花 いまだ見なくに 散らまく惜しも」(春雨よ、強く降らないでおくれ、桜の花が、まだ見ないうちに散ってしまうのは惜しいから)という歌があります。
奈良公園ではナラノヤエザクラが4月下旬から5月上旬にかけて開花します。
百人一首にも選ばれている伊勢大輔(いせのたいふ)が詠んだ「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな」でよく知られていますね。オクヤマザクラの変種で、ヤエザクラにしては小ぶりな花が特徴です。
『万葉集』の歌枕としても有名な佐保川沿いでは、約5キロにわたるソメイヨシノの桜並木が壮観です。江戸時代末期、奈良の奉行になった川路聖謨(としあきら)が、東大寺周辺の景観整備に植えたのが始まりで、樹齢170年の「川路桜」も数本残っています。
宇陀市の又兵衛桜とは?
樹齢300年のしだれ桜で、大坂夏の陣で活躍した後藤又兵衛の屋敷跡にあることでそう呼ばれるようになりました。
平城宮跡では新緑のシダレヤナギに朱雀門が映えます。
長く垂れ下がる細い枝から一斉に新芽が出て、小さな雄花が開花していきます。春の深まりに合わせ線状の葉が若草色から濃い緑色へと変わります。大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)は「うち上る 佐保の川原の 青柳は 今は春へと なりにけるかも」(人々がそぞろ歩く、佐保の川原の青柳は、すっかり春らしくなってしまったことだ)と詠んでいます。
5月に見たいのは御所市にある葛城山のツツジです。
大和葛城山は山上が緩やかなスロープで、5月中旬から下旬にかけて、山肌一面がヤマツツジで真っ赤に染まります。ヤマツツジの花ことば「燃える思い」の通りですね。やさしいピンク色のモチツツジや白いツツジもあり目を楽しませてくれます。「たくひれの 鷺坂山の 白つつじ 我ににほはね 妹に示さむ」(鷺坂山に咲いている白つつじよ、私の着物に染みついておくれ、妻に示そう)と、白ツツジに呼び掛けています。
山の辺の道の中ほどにあり、地獄絵で有名な天理市の長岳寺のツツジは、4月下旬から5月上旬が見頃です。
黄色が鮮やかなヤマブキも春らしいですね。
京都の松尾大社が名所ですが、奈良では高市郡高取町にある壷阪寺のヤマブキが4月上旬から下旬まで楽しめます。正式には南法華寺という真言宗系単立の寺で、山号が壺阪山。本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病封じの霊験があるといわれ、夫婦愛をうたった人形浄瑠璃「壺坂霊験記」の舞台として有名です。
大伴池主は病床の大伴家持に「うぐひすの 来鳴く山吹 うたがたも 君が手触れず 花散らめやも」(うぐいすが来て鳴いている山吹は、よもや、あなたの手に触れないまま、花が散るようなことがありましょうか)と、見舞いの思いを込め、ヤマブキの花を添えてこの歌を届けています。
一見の価値があるのは春日大社の「砂ずりの藤」です。
フジは春日山から大社境内に古くから自生していて、藤原氏ゆかりの花ということもあり、春日大社の社紋は「下り藤」です。鎌倉時代からの「砂ずりの藤」は樹齢800年といわれ、見頃は5月の連休です。隣接の春日大社神苑萬葉植物園には20品種、約200本のフジが4月中旬から5月中旬まで次々に開花します。室町時代の奈良八景では興福寺南円堂のフジが挙げられています。
田辺福麻呂(さきまろ)は「藤波の 咲き行くみれば ほととぎす 鳴くべきときに 近付きにけり」と、揺れるフジの花を波にたとえて詠んでいます。
5月中旬から下旬にかけてカキツバタが気品のある紫の花を咲かせます。
前述の長岳寺の庭園で池に面して咲く光景はとても優美です。
カキツバタの可憐(かれん)な花姿に女心を仮託して、「我(あれ)のみや かく恋(こひ)すらむ かきつばた につらふ妹は いかにかあるらむ」(私だけがこんなにも恋しているのだろうか、カキツバタのように美しい頬の赤いあの娘は、どんな気持ちなのだろう」と、自分の思いの高まりにつけても、相手の心を推し量ろうとする恋歌に詠まれています。
大伴坂上郎女が親しい人を招いて催した宴の席で「酒杯に 梅の花浮かべ 思ふどち 飲みての後は 散りぬるともよし」と詠んだのに応えて、「官にも 許したまへり 今夜のみ 飲まむ酒かも 散りこすなゆめ」(いえ、今夜のような宴は役所もお許しになっていますから、梅の花よけっして散ってくれるな)と詠んでいます。後者の歌の注釈には、天然痘が流行したので、役所が「都の町の中で宴会を開いてはいけないが、一人や二人で飲むのは許可する」という禁酒令を出したとあります。今と同じですね。
ツバキには「奈良三名椿」がありますね。
伝香寺の「散り椿」、白毫寺の「五色椿」、そして東大寺の「のりこぼし椿」で、それぞれ見応えがあります。
【メモ】 春、奈良が花で彩られると、名所・史跡を訪ねる片岡さんの文化講座も忙しくなる。ゴールデンウイークに春日大社のフジを見る講座はいつも満員。花を観賞しながら、万葉人たちも同じように花々を愛で、いろいろな思いを花に託して歌を詠んできたことを紹介する。人気スポットだけでなく、片岡さんが発見した穴場も。花々の生命力を感じて、参加者の心もときめいてくる。そして、ふと万葉の時代に帰ったような感じになるのが不思議だ。