真言宗・大本山「弘法寺」管長 小田全宏さんインタビュー
自己主張は苦手だが、協調性に富むのが日本人の「強み」とよく言われる。しかし、「3密」を避けることが求められるコロナ禍では人と人との交流が減っている。その影響か、孤立感を深めたり、“コロナうつ”を訴える人も少なくない。
ウィズコロナ時代の「非日常」でも、自分を見失わず心豊かに生きるための「人間力」や知恵について、人間教育に尽力する、真言宗・大本山「弘法寺」管長の小田全宏さんに聞いた。
(聞き手=森田清策)
「幸せ」見出す軸を持とう
プラス思考で過度に恐れず
新型コロナパンデミックから2年。コロナ禍をどう受け止めていますか。
コロナウイルス感染それ自体よりも、精神的な苦痛の方が人々に与えた影響が大きかったと思います。コロナに対する「恐れ」や「不安」のことです。ウィズコロナ時代で重要なことは、マスク着用や手洗いなどの感染防止対策をしっかりとした上で、過度に恐れないことです。
ウィズコロナは、社会にどんな変化をもたらすでしょうか。
コロナ禍をきっかけに、義理やしがらみの人付き合いが見直されてきました。例えば、「飲みニケーション」。会社の飲み会は「同僚と親交を深める」「本音が聞ける」などとして、かつては「必要派」の方が多かった。2年前からそれができなくなって寂しいと感じている人がいますが、アンケート調査をすると、若い人のみならず全年代で「不要派」が多くなっています。今後は、本当に付き合いたい人と付き合っていくようになるでしょう。
また、コロナ禍では、ステイホームの時間が長く、その時間をどう過ごすかを見詰めた人も多かったと思います。そうした状況では、時間を本当に「楽しい」と思えることに使うことの大切さに気付きます。
だから、変わるのは人付き合いだけではありません。趣味も見直されるでしょう。私は趣味で卓球をやるほか、フルートや篠笛(しのぶえ)を吹きます。音楽活動では、箏を演奏する娘と一緒にライブも開きますが、演奏中は何とも言えない幸福感で心が満たされます。
時間を忘れて、没頭できる何かを持っている人は幸せです。真言宗の「即身成仏」がこれに当たります。何かに没頭している人はもう成仏しているのです。
仕事も同じです。基本的に、仕事はお金をもらうために行うので、時にはやりたくないことも含まれてきます。そこで大切なことは、仕事の中にも喜びを見いだすこと。その心があれば幸せを感じられます。
過度に恐れない気持ちと、趣味などで幸せな時間を持つことはつながっているのではありませんか。
その通りです。「恐れない」の裏側は、日々の中に「うれしい」と思う時間を意識的に持つことがあります。例えば、ご飯は無意識に食べないで、「おいしい」と思う。その瞬間はコロナに対する恐れはありません。
恐れる気持ちは誰も持っています。しかし、それは人間の脳がもともと不安や恐れを感じるようになっているからです。ネガティブな感情が沸き起こった時には、「それが人間だ」と受け入れることです。その上で、少しでも意識してプラスになるように考えていけば、人生は変わってきます。
「3密」が起こりやすいことから、大人数の葬儀が減る一方、家族葬が増えています。葬儀の形も変わりつつありますが、この傾向は定着するのでしょうか。
大勢が参列する葬儀ですと、親族は忙しくなってしまい、死者と向き合う時間が持てません。家族葬であれば、死者と向き合うことができます。よくよく考えれば、死者は「葬式参列者が少ない」などと文句は言いません。良い部分が多分にあることを踏まえると、コロナ以後も、この傾向は変わらないでしょう。
一方、死んでからでは何も伝えられないことを思うと、死ぬ前に生前葬のような会を開くのも良いでしょう。
コロナ禍では親の死に目に会えなかった人も少なくありませんでしたが、自分の親を送る時には、二つの意識があればいいと思います。「ありがとう」の気持ちと、「私は幸せ」という思いです。
先祖から見ると、自分の子供が幸せに生きていて、「ありがとう」と思ってくれていることが一番の供養になります。今、自分が幸せであると感じることは先祖がいてくれたおかげであり、その思いが先祖を全て供養するのです。
地球の温暖化などで環境問題がクローズアップされています。そこにパンデミックが起きました。
人口増加が加速しています。100年前、15億人だった人口が5倍になって、今や70億人。それだけでなく、一人ひとりのエネルギー消費も増えています。今後、エネルギー消費量はますます増えるでしょう。
今の時代に必要なことは「より速く」「より大きく」という価値観ではない「幸せ」を生み出すことです。そのためには、まずは自分の心で「私は幸せだ」ということに目覚めることが大切です。多くのお金を生み出すから幸せになるのではないことに気が付く必要があります。これからの時代は「幸福資本主義」。幸せの基準はなんだろうと考えないといけません。
つまり、過度な消費に走ることの裏返しは、自分が幸せを感じていないということでしょうか。
「幸せになりたい」と言う人を多く見てきましたが、裏を返せば、それはまだ「私は幸せじゃない」と自分に言っていることと同じです。仏教的に言うと、「今、すでにこの瞬間が幸せである」というところに、意識が向いていれば、人間は過度な消費をしませんし、人と比べて、へこむこともありません。
そして、人は日々の生活の中で、季節の美しさなど、ささいなことでも十分に楽しむことができるものです。近くの公園で「紅葉がきれいだな」と思うだけでも幸せになります。心の中で喜びを感じるセンサーを高めたら、同じ景色を見ていても幸せになることができるのです。
リモートで在宅勤務ができるようになったことで、地方に移住する動きが若い世代に出てきました。
人口減少は急速です。若い人が多少地方に移住したところで焼け石に水で、過疎化は止められません。地方の空き家は何年かたったら、自治体が没収して、更地に戻すような工夫が必要です。
全国にお寺は7万6千ケ寺、神社は8万1千ケ社ありますが、それぞれ地域の中で、良い場所に建っています。しかし、30年後には3分の2は消え、廃虚になります。今、私は寺の活用法を考えています。宿坊を作ったり、瞑想(めいそう)することができるようにするなど、人が集まる場所にしたい。
地域共同体が消えつつあるのは大変な問題ですが、自分が住む町や村を良くしていくことを、ボランティアというよりもそれ自体が自分の楽しみになるマインドを持てたらいいですね。それには、「自分の持ち物は一体なんぞや」と問い掛けて、地球を自分のものだと思うことです。町も「自分のものだ」と思ったらきれにしたくなります。
ウィズコロナ時代における「人間力」とは何でしょうか。
「陽転思考」――。つまり、人生に起こるあらゆる出来事をあるがままに受け止め、感謝の心を抱きつつ、ベストを尽くして、自分が精いっぱい生きると決めることです。そのため、これからは命を持って生まれた「私」が生きていることは、素晴らしいと思えるように、自己肯定感を高める教育をやってほしいですね。