トップオピニオン社説中道改革分裂 票目当ての野合に風吹かず【社説】

中道改革分裂 票目当ての野合に風吹かず【社説】

 野党の中道改革連合、立憲民主党、公明党が合流を見送った。これを受け、中道は立民系と公明系に分裂し、分党手続きに入る見通しとなった。政策や理念を掲げて結成されたはずの新党が短期間でなくなることは、投票した有権者への裏切りだ。繰り返される野党勢力の離合集散は政治不信を深めるだけでなく、自ら支持基盤を損なう自傷行為にほかならない。

記者会見する(左から)公明党の西田実仁幹事長、中道改革連合の階猛幹事長、立憲民主党の田名部匡代幹事長=28日、国会内
記者会見する(左から)公明党の西田実仁幹事長、中道改革連合の階猛幹事長、立憲民主党の田名部匡代幹事長=28日、国会内

衆院選大敗で合流頓挫

 もともと立民と公明は、2月の衆院選後に参院での合流を視野に入れていたが、大敗して頓挫した。選挙後、衆院は与党である自民党と日本維新の会が圧倒的多数を占めたものの、参院では少数与党という状況を背景に、7月から再び合流協議が進められた。立民と公明が結集すれば参院で60議席を超え、存在感が増すとの計算があった。

 だが、支持基盤の違いを越えることはできなかった。創価学会を支持母体とする公明系と、労働組合を基盤とする立民系では政治文化も組織風土も異なる。公明系が一歩引いて立民系の小川淳也代表を支える体制も、信頼関係を十分に築くことができなければ無理がある。

 そもそも中道結党の出発点には、政局的な思惑が色濃くにじんでいた。公明は自民との連立を解消し、衆院選直前に立民と合流した。小選挙区で公明票に支えられてきた自民候補を落選に追い込む戦略だったとみられる。立民もまた、公明を取り込むことで政権交代への期待を抱いたのだろう。

 しかし、追い風は吹かなかった。時事通信の政党支持率調査では、合流前の1月は立民4・2%、公明2・5%で、単純合計なら6・7%となる。

 ところが、中道の支持率は結党後の2月にそれを下回る6・3%だった。衆院選で、中道は172議席から49議席に後退する大敗を喫した。その後、支持率はさらに低下し、7月には1・7%になった。

 有権者が冷ややかな理由は過去の経験にある。1993年の細川護熙連立政権から政界再編が始まったが、その過程で結党した新進党、民主党、民進党、希望の党などは残っていない。選挙戦術を優先した「野合」が長続きしないことを、有権者は何度も見てきた。中道も同じ轍(てつ)を踏んだことになる。

 ただ、衆院選の比例代表で1000万票を超える支持を集めた事実は重い。決して少なくない有権者が「中道政治」への期待を託したのである。問題は、その期待に応えるだけの活動を国会で示せなかったことだ。選挙で掲げた「暮らし最優先」「生活者ファースト」「食料品の消費税率ゼロ」などの公約を軸に党が結束し、論戦を挑んだ姿は見えにくかった。

建前でしかなかった理念

 本来、政党の真価が問われるのは選挙ではなく国会である。法案審議を通じて政策の違いを明確に示し、国民生活の課題解決に取り組むことで支持は広がるはずだ。

 理念・政策が建前でしかない合流や選挙目当ての再編では、国民の信頼は得られない。中道の分裂は、その厳しい現実を改めて示している。

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