トップオピニオン社説飛鳥・藤原の宮都 古代国家の成立から学ぶ【社説】

飛鳥・藤原の宮都 古代国家の成立から学ぶ【社説】

 「飛鳥・藤原の宮都(きゅうと)」(奈良県)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されることが決まった。古代国家の体制が整備され、仏教文化の礎が築かれていくさまを物語る文化遺産の世界的な価値が認められたことを喜びたい。

世界遺産登録が決まった飛鳥時代の遺跡群「飛鳥・藤原の宮都」の高松塚古墳=5月29日、奈良県明日香村
世界遺産登録が決まった飛鳥時代の遺跡群「飛鳥・藤原の宮都」の高松塚古墳=5月29日、奈良県明日香村(時事)

6~8世紀の遺跡群

 「飛鳥・藤原」は明日香村、橿原(かしはら)市、桜井市に点在する19件の資産群から成る。時代としては6世紀末から8世紀初頭。中国大陸や朝鮮半島から先進文化を取り入れ、中央集権的な律令国家体制が整備された。仏教が伝来し文化の飛躍がもたらされた時代でもある。

 大化の改新の「乙巳(いっし)の変」の舞台となった飛鳥宮跡、本格的な伽(が)藍(らん)を備えた日本最古の仏教寺院である飛鳥寺、「飛鳥美人」で有名な彩色壁画の高松塚古墳、四神図の描かれたキトラ古墳、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳、日本初の本格的都城の中心、藤原宮跡などから成る。

 2007年に「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」としてユネスコの暫定リストに記載。政府が昨年、「二つの宮都の変遷を通じ、東アジアの古代国家形成期に中央集権体制が誕生した経緯を示す唯一無二の資産」としてユネスコに推薦していた。

 これに対し世界遺産委員会は「中国大陸や朝鮮半島との交流と仏教伝来を示し、後代にも大きな文化的影響を与えた」「東アジアの古代宮都の形成過程を示す重要な物証」と高く評価した。

 6世紀末から8世紀初頭は、中国大陸に隋、唐という強大な国家が出現し、朝鮮半島の高句麗、新羅、百済の3国は、その圧迫をもろに受ける。日本は島国であった分、圧迫よりも文化的な恩恵を受けることの方が多かった。仏教だけでなく、漢字、儒教、暦法、国家体制を整える律令などはこの時代に日本に入って来た。

 しかし大陸や半島の激動、緊張は、日本をより強固な国家体制を整える方向へ向かわせた。強大な権力を誇っていた蘇我氏を排除し、天皇を中心とした国家体制づくりを進めた大化の改新も、そのような東アジア情勢の変動を背景としていた。外圧と先進文化の流入の中で天皇を中心とした新しい国家体制が生まれたという点で、明治維新にも似た大変革の時代であった。

 聖徳太子が遣隋使を送ったのもこの時代だ。太子は「日出処の天子」と書いた国書を隋の皇帝に送って対等の立場を取り、隋の冊封体制に組み込まれることはなかった。交流は続けながらも日本としての独立性を守るという対中外交の基本は、この頃確立したのである。「飛鳥・藤原」を巡る時は、こうした先人たちの歩みに思いを馳(は)せたい。

移住者の増加を期待

 東アジア的スケールを持つ歴史の舞台となった「飛鳥・藤原」だが、そのほとんどは田園地帯の中にある。歴史的な景観と風土を守るために1980年に施行された特例法「明日香法」によるものだ。この法律によって発掘調査も大きく進展した。ただ住民にとっては、家の増築一つ簡単ではなく、過疎化が進んでいる。世界文化遺産登録を機に、若い人を中心に移住者が増えることを期待したい。

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