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沖縄慰霊の日 沖縄戦の実相の客観検証を【社説】

沖縄戦における犠牲者の刻銘碑「平和の礎」の前で手を合わせる遺族=沖縄県糸満市の沖縄県平和祈念公園
沖縄戦における犠牲者の刻銘碑「平和の礎」の前で手を合わせる遺族=沖縄県糸満市の沖縄県平和祈念公園

 沖縄県はきょう「慰霊の日」を迎え、沖縄本島南部、糸満市の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」を開催する。第2次世界大戦末期、日本軍と連合国軍の間で激しい地上戦が展開され、民間人約9万4000人、米軍人1万2520人を含む約20万人が犠牲になった。戦没者の御霊に哀悼の誠を捧げたい。

 戦禍を国全体で共有

 81年前の6月23日、旧日本軍第32軍の牛島満司令官(大将)が糸満市摩文仁の丘で自決。旧日本軍の組織的戦闘が終結した日として「慰霊の日」に定められた。沖縄戦について、地元メディアは本土防衛の「捨て石」という表現を用い、旧日本軍による抑圧を強調する自虐史観を発信し続けている。戦後80年を超えても自虐史観により国旗・国歌を拒絶したり、自衛隊を敵視したりする一部勢力がいる。

 沖縄が本土復帰する6年前に合同出版から発行された『沖縄の子ら 作文は訴える』(日本教職員組合、沖縄教職員会共編)には、終戦から20年後の「慰霊の日」特別番組を観たという小学3年生の感想文がある。

 「沖縄を助けようと思ってやってきた軍艦大和。でもすぐ敵の飛行機隊にやっつけられました。飛行機で船に体当たりする特攻隊。泣きながら静かに出発していきました。肩を叩いて励ましながら泣く飛行係。敵も味方も死者が増えていきました」

 当時のテレビ番組製作者は、日本軍が「沖縄を助ける」と表現していたのだ。

 平和祈念公園には追悼碑「平和の礎(いしじ)」が建てられている。礎には国籍を問わず、また軍人・民間人の区別なく沖縄戦などで戦没した24万人以上の氏名が刻まれている。沖縄戦では県外出身の軍人約6万5000人が亡くなった。慰霊の日は、沖縄県民だけでなく国全体で過去の戦禍を共有する日である。

 礎には毎年、新たに申告があった戦没者の名前を刻む。2025年、26年に追加された県外出身者の半数以上は海軍の戦艦大和の乗組員だった。

 戦艦大和は沖縄防衛を懸けて出撃したが、1945年4月7日に米軍の猛攻を受けて鹿児島県沖で沈没し、乗員約3000人が命を落とした。さらに、特攻機約3000機が沖縄戦に出撃した。特攻で戦死した英霊が沖縄を守るために命を懸けて戦ったことの証左だ。これら県外出身の軍人を取り上げずに、沖縄戦を「捨て石」と伝承していくことはかえって戦争の実相を遠ざけるのではないか。

 沖縄戦で亡くなった多くの防衛隊員や学徒は、家族と郷土、そして祖国日本を守るために戦った。県は戦史の全貌を客観的に伝えるべきだ。

 日本の主権守る「要衝」

 先人の犠牲の上に今の平和と豊かな沖縄がある。歴史から教訓を学び、郷土への誇りと感謝を育む日にしたい。

 そして東アジアの厳しい安全保障環境の中、地政学的に重要な位置にある沖縄は、日本の主権と自由民主主義を守る「要衝」である。日本や沖縄を再び戦場にせず豊かな沖縄を次世代に引き継ぐためにも、県は国との協調路線に立ち返り、現実的な振興と国防の双方で役割を果たす決意を固める日にしたい。

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