
日米両政府が、沖縄県宜野湾市にある米軍普天間飛行場の返還に合意してから12日で30年がたった。
移設工事停滞させた訴訟
1995年に米兵による少女暴行事件が起きたことをきっかけに沖縄の反基地感情が高まり、返還運動が起きた。96年4月、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が県内移設を条件に「5~7年以内」の普天間返還に合意。同年12月に日米両政府は、普天間を含む県内の米軍11施設計約5000㌶の返還で最終合意した。しかし、返還が実現した施設は一部にとどまっている。特に、普天間の返還時期のめどがいまだに立っていないのは残念だ。
2003年に普天間を上空から視察したラムズフェルド米国防長官(当時)は「世界一危険な飛行場」「事故が起きない方が不思議だ」と語った。その姿は今も変わらない。
移設先を沖縄本島北部の名護市辺野古としたことは日米両政府の決定事項だ。ところが、翁長雄志前知事(故人)と玉城デニー現知事による革新県政の11年半の間、県は移設に反対してきた。
その間、移設を巡る国と県の間の訴訟は14件に上るが、和解・取り下げを除いて全てで県が敗訴した。県は不毛な争いが工事の停滞を招いたことを自覚すべきだ。
一方で、普天間の地元である宜野湾市、移設先の名護市では移設容認派の市長が誕生した。議会でもいずれも市長派が過半数を占めている。
辺野古では現在、地盤改良工事と並行して土砂投入も進むが、埋め立ての進捗(しんちょく)は2月末時点で全体の17%にとどまる。辺野古沖の軟弱地盤の改良は難工事である上、サンゴ礁などの生態系保護や難しい気象条件が重なっている。環境にも十分な配慮をしながら、安全に工事を進めてもらいたい。
別の懸念がある。普天間の滑走路は約2740㍍だが、辺野古で計画されているのはV字型に配置される約1800㍍の滑走路2本。米国防総省が2025年9月に出した文書では、現在のレベルの運用をするには短過ぎるとの認識で、代替として使える長い滑走路が選定されるまで「普天間は返還されない」という見解をまとめていたことが分かっている。
小泉進次郎防衛相は「日米同盟の抑止力の維持と普天間飛行場の危険性の除去を考え合わせた時、辺野古移設が唯一の解決策という考えに変わりない」と強調。移設完了後も返還されない状況を「全く想定していない」と言うが、米軍の要求にどう応えるのか。想定されるのは那覇空港の活用だが、政府には、普天間周辺の住民の不安を解消する説明責任がある。
返還後のビジョン示せ
沖縄の経済界や基地を抱える自治体は普天間返還後を見据え、跡地を活用したプロジェクトに向け動き始めている。普天間など返還予定の米軍施設跡地を一体開発するための取り組みを行い、2050年の青写真を描いている。
県経済の返還後の発展ビジョンを示すことが返還時期を早める起爆剤になるであろう。





